平成最初の五輪=バルセロナ五輪終了から30年

 今から30年前の昨日92年8月10日未明に行われた男子マラソンで
森下広一が黄
永祚との競り合いで40㌔手前で突き放されたものの、
銀メダルを獲得しただけでなく中山竹通が4位で前年世界陸上の金
メダリストの谷口浩美が途中の転倒から盛り返して8位と全員入賞
という快挙となった。

 そして終了後に閉会式が行われ、16日間の熱戦に幕を閉じた。

 このバルセロナ五輪からサッカーやバスケットボールなどでプロ
の出場が可能になりNBAのスーパースターで固めた男子バスケット
のアメリカ代表が大人気になったり、逆にサッカーはプロではある
がU23の大会になるなど競技によって温度差が出ていた。

 ちなみに日本はというと金:3個、銀:7個、銅:11個で計21個の
メダルを獲得し、ソウルの金:4個、銀:3個、銅:7個の計14個から
金メダルこそ1つ減ったものの7個増えただけでなくメダル寸前だっ
た4位というのが競泳で3種目あるなど健闘が目立っていたし高野進
の400m決勝進出という快挙もあった。

 思えばソウルまでは64東京の頃の価値観でプレーしていたのだが
実質プロ化していた西側諸国や、ステートアマの共産圏諸国に国を
挙げて強化していた韓国などの後塵を拝する形で獲得メダル数を減
らしていた。

 そういった退潮の流れが止まり国もメダル報奨金として初めて金:
300万、銀:200万、銅:
100万と選手達にとって強化費用には雀の
涙ではあるが、プロではないので励みにはなったはずだが当時の新
聞の投稿欄には‘メダルをカネで買うのか、イヤな世の中だ’的な下ら
ないものがあって暗然とするものだった。

 とりあえず若く才能ある選手達が国威発揚の悲壮感もなく楽しむ
姿を当時のマスコミは微笑ましく報じていたのだが、更なる飛躍を
期待された4年後のアトランタでは一転それだけではダメだという
事を思い知らされるのである。

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