40年前の高校野球の打撃レベルに ついて

 先週NHKでOAされたヒーローたちの名勝負で銚子商-作新学院戦が取り
上げられたし、既に削除されてしまったが某動画サイトで40年前の73年夏の
甲子園・作新学院-柳川商戦を先日見る機会があった。


 いわゆる作新の超高校級の豪腕・江川卓に対し柳川がプッシュ打法で立ち
向かい江川の無失点記録を止めたものの最後は延長15回に力尽きてサヨナラ
負けをした試合と、雨の降る延長12回に押し出しサヨナラで銚子商がサヨナラ
勝ちをする試合だ。


 当時 小4だった私も これらの試合を見て高校野球の魅力に嵌まり込んだわけ
だが40年経った今 見ているとレベルの違いに愕然とする。


 一番驚くのがサヨナラの場面で2アウト2塁でセンター前に緩いゴロが抜けて
行ったから今のレベルなら楽勝でサヨナラと思ったらクロスプレーになってキャッ
チャーが落球してなければアウトっぽいタイミングなのだ。


 一方 銚子商が10回裏に2アウト2塁でライト前ヒットが出てライトがはじいて
いるにも拘らずキャッチャーの小倉がベースをブロックした事もあるが、ホームで
アウトになるのも然り。


 結局 外野の守備位置が今では考えられないぐらい前に守っているので多少
緩い打球でもクロスプレーになっていたわけで、そんな無謀とも思える前進守備が
できたのも木製バットを使用していた事もあって打者のレベルが低かったのだろう。


 あの頃の高校野球ではライトゴロも たまに見る事ができたのも外野の守備位置が
浅いのが原因だったし、作新戦で柳川がサヨナラ負けのピンチに外野手を1人
内野に配置して5人内野を敷いたりできたのも打力のレベルが低かったからゆえ。


 昨年のNumberの高校野球特集で池田の水野雄仁と中京の野中徹博の対談で
打撃練習に関して中京は1日に5本づつ4回=20本で残りは守備練習ばかり
だったのに対し、池田は最低20分はやっていたという記述があったのだが40年
前は中京の練習時間配分の方が正統派だったわけで柳川が作新戦でやったような
事もできたわけだ。


 その時代のプロ野球はMLBで日本人選手がプレーするなど夢のまた夢という
レベルだったのに対し、現在ここまで通用するレベルまで上がったのも30年前に
一時代を築いた池田のスタイルを各校が参考にしたからこそだろう。


 打力が進化したからこそ それを抑えるためにピッチャーも更なるレベルアップが
求められるし、内外野の守備位置も深くなっていくという野球界全体のレベル
アップにつながったと思うのだ。


 それを考えると30年前に甲子園戦術を変えた池田の存在は日本の野球を格段に
レベルアップさせた事になる。

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