今から40年前の今日76年2月17日に日大講堂で行われたWBA:
Jミドル級タイトルマッチで、元王者の輪島功一が王者の柳済斗を
15RでKOし33歳で奇跡の返り咲きを果たした日である。
前年の6月に柳の挑戦を受けた輪島は徐々にミドルから落した挑戦
者のパワーに押され始めた5R終了直後にパンチを貰いダウンした
ダメージを引きずって7RでKO負けしタイトルを失ったわけで、
年齢的にも返り咲きは厳しいだろうと思われていた。
しかし輪島とすれば‘あの反則パンチがなければ勝てたと思って
いたし、再戦で勝てばそれを証明できる'という思いから再戦を決意
していたわけで、これは最初に王座から陥落した時にオーバーワーク
が敗因だったのを証明するために再戦しオスカー・アルバラードから
奪回したのと同じシチュエーションだったわけだ。
とはいえ試合前の予想は輪島がマスクを装着してカゼによる体調
不良などのアピールから捗々しくなく、返り咲きが絶望視された中
での再戦だったが試合は予想外の展開で進む。
立ち上がりから飛ばした輪島に対し王者陣営はカゼによる体調不
良から後半はペースダウンすると予測して前半を抑え気味に入った
のだが、ペースを握った輪島は中盤以降も衰えるどころか加速し王者
を圧倒する展開になる。
これは‘どんなにスタミナがあるヤツでも相手のペースで戦えば
疲弊するから8割のスタミナを使ってでも前半にペースを握らない
といけない'という輪島の勝負哲学に沿ったもの。
技術的には半身に構え間断なく出す左が王者の得意の右を封じる
形になっていたわけで、王者が頼みとしていた8R以降は一方的な
展開になり観客やTVの視聴者も‘倒されなければ勝てる’と確信
していた。
だが‘気を緩めたら相手にペースが移って倒される’という考え
の輪島は最後までペースを落す事なく迎えた最終R半ば、右ショート
ストレートが王者の出鼻に軽くヒットするとガックリ膝を付き本能
的に立ち上がったもののロープにもたれかかり戦意喪失してのKO
勝ちとなった。
この試合まで日本の世界挑戦は前年の8月に高田次郎がミゲール・
カントに敗れてから1月にライオン古山がセンサク・ムアンスリンに
敗れるまで9連敗中だったので、その連敗を止める意味でも快挙と
なったわけだ。
結果的に3ヵ月後の初防衛戦で輪島は敗れてタイトルを失い翌77年
6月のエディ・ガソ戦にも敗れて引退するので、この勝利が輪島功一に
とってはキャリア最後の勝利となったわけだが ある意味‘輪島ボクシ
ング'の集大成になったのだった。