平仲明信がビッグマッチを逃して30年

 今から30年前の今日92年9月9日に日本武道館で行われたWBA:
Jウエルター級タイトルマッチで王者・平仲明信が、モーリス・
イーストとの初防衛戦に臨むものの優勢に試合を進めながら11R
に左ストレートのカウンターを受けて逆転KO負けを喫しタイトル
を失った。

 試合は立ち上がりから王者が何度もグラつかせるなど優勢に試
合を進めていたが、オーバーワークから徐々に失速して迎えた11
Rに左ストレートをモロに受けてダウンし立ち上がったものの足
元がフラついてストップ負けとなったのだ。

 この試合に勝てば前王者ファン・マルチン・コッジとの防衛戦
を行い、勝てばWBC王者フリオ・セサール・チャベスとの統一戦
も視野に入っていたのだからホントに惜しい一戦だった。

 84ロス五輪代表の看板を引っ提げ沖縄のジムからの世界王者を
目指しプロ入りした平仲は4戦目で日本タイトルを獲3得し9度防衛
して王座返上し、89年4月にイタリアでWBA:Jウエルター級王者
のコッジに挑戦し3Rに2度のダウンを奪うも倒しきれず判定負け。

 3年後の92年4月にメキシコでWBA王者エドウィン・ロサリオを
1RでTKO勝ちしてタイトルを奪取したわけだが、この一戦はWBC
王者フリオ・セサール・チャベスとのWタイトルマッチで主催した
ドン・キングプロモーターの目にも留まり統一戦を持ちかけられ
たようだ。

 ところが初防衛に失敗しただけでなく試合後の検査で少量では
あったが脳内出血が確認され、引退を余儀なくされたのだから二
重の意味で痛恨の敗戦となったわけだ。

 もともと平仲の調整法は徹底的に体を苛め抜くスタイルだった
ようで、その影響からオーバーワークが原因で世界挑戦を逃して
いるのだから本人もだがジムのスタッフもブレーキをかける事が
できなかったのかと思うと大いに残念である。

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