ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
宇野 勝のヘディングプレーから30年!
今から30年前の今日81年8月26日に後楽園球場で行われたジャイアンツ-
ドラゴンズ戦の7回にドラゴンズの宇野勝が2アウト1塁からPH山本功児が打ち
上げたショートフライを頭に当てる‘ヘディング’プレーをやった日である。
いわゆる球史に残る珍プレーというヤツで、当然のように この年にプロ野球
ニュースの中で行われた珍プレー大賞にも選ばれただけでなく未だに語り継が
れているのだ。
シチュエーションもドラゴンズが2-0とリードして迎えた7回で、これまで先発
の星野仙一がジャイアンツ打線を2安打に抑えていた。
更に この試合が開幕以来完封負けがないジャイアンツの105試合目で完全な
完封ペースだったのが、思わぬ珍プレーで完封が消えたどころかバッターラン
ナーの山本功児がホームでアウトになったからよかったものの、あわや同点に
追いつかれる寸前だったので山本がホームでアウトになった場面でホームの
バックアップをしていた星野仙一はグラブを叩きつけて悔しがっていた。
実は この年の4月19日に同じ後楽園球場で行われたジャイアンツ-カープ戦
で4-1とリードしたジャイアンツが7回の2アウト1塁から4番の中畑清が打ち上
げたセンターオーバーと思われた打球を名手・山本浩二が頭に当てて3ベースに
するという珍プレーがあり、オールスター休みの間に行われたプロ野球ニュースの
上半期珍プレーランキングの堂々1位になっていた。
(山本浩二は この打球をセンターオーバーのHRと思ったのに思ったより伸び
なかったので中畑のノーパワーと言っていたのだが・・・・)
宇野勝といえば76年夏に銚子商の3番ショートで出場し‘大型ショート’と呼ばれ
ていて3回戦の東海大一戦では5併殺を取り、その中心になっていた。
その年のアサヒグラフでは その試合のコメント欄で宇野のコメントが載っていて
‘守備には自信があるんです’と語っていた5年後の事なのだが、ドラゴンズ入り
してからは‘大島康徳やケン・モッカとの恐怖の三遊間’と呼ばれるぐらい‘打てる
けどポカが多い’という選手になるとは思わなかった。
とはいえ宇野は前途したプロ野球ニュースの好プレー・珍プレー特集の中では
好プレーのパートでも必ず登場する選手だった。
つまりファインプレーをする名手ながら思わぬところでポカをやるという天才肌の
選手で、ファンから愛されるキャラクターだったという事だろう。
それを考えると最近のドラゴンズからは消えた大島康徳らと並ぶ昭和のドラゴン
ズを象徴するような選手だったと思う。
« リコに続いて... | 長男の国語の... » |
このときは、たまたま番組を見ていた友人、親戚からも連絡がありました。
が、この似顔絵コーナー、送った作品全て採用されてまして、ビデオにも残してあります。
古き良き時代の思い出です。
それは凄いですよ。
そういえば当時プロ野球ニュースでは似顔絵コーナーありましたね。
プロ野球ニュース復活して欲しいけど、無理ですね。
76年夏の甲子園は崇徳、相模、柳川、小山、天理、豊見城などに混じって銚子商も当然優勝を狙ってたんでしょうね。ましてや前年に千葉県勢は夏連覇を果たしていましたし。。。5併殺とは凄いです。黒潮打線のイメージと併せて堅守も誇っていたんですね。次の桜美林との試合前、宇野らは「相手は初陣、ベスト8いただき~」と余裕を感じていたようですが相手エース松本の巧投の前に物の見事にやられましたよね
そんな宇野も晩年は地元・千葉移転すぐのロッテでプレーしましたが、往年のような輝きがみられなかったのは少し残念でした。今夏は習志野が復活。銚子商も今世紀2度目の出場へ大いに期待したいものですね。
実は宇野は大型ショートでしたからね。
どうしても大型の選手がミスすると目立つので、他のミスが語られる事が多かったのでしょう。
桜美林戦は まさか銚子商が負けるとは思いませんでしたよ。
特にエースの佐藤が先制HRを打っただけに・・・
もし星稜×銚子商になってたらどちらが決勝へ進んだのでしょうね。2年生エース小松×黒潮打線、若き山下監督と名将・斉藤監督の采配も興味深いところです。宇野や尾上の強打をも封じて北陸勢の初優勝がこの夏に達成されたのかも。。。それほど小松の投げて打っての活躍ぶりは未だにインパクトに強いですね☆
意外な事に桜美林は春の関東大会を制しているのですよね。
ちょうど今年の習志野のような感じでしょうか。
銚子商の佐藤は今ひとつ記憶にないのですけど、初戦の高松商戦では13安打されながらも3失点に抑えてましたから打たれ強いタイプだったと思います。
ただし初戦でも自らHRを打つと打たれてしまうというパターンでした。
星稜-銚子商なら銚子商の勝ちですよ。
小松が疲れから球が上ずってましたので、例え銚子商に勝ってもサッシー・酒井を攻略したPLに勝ち目はなかったと思います。
時代は移れどやはり千葉は銚子商か習志野のインパクトが強いです。成田や拓大紅陵、千葉経大付も上位進出はありますがまだまだ甲子園の格という面では両校には及びませんよね。野球王国千葉に久々の優勝旗が翻るのはいつの日か‥☆
この頃の夏の甲子園は、ほとんど欠かさずに見ていましたし、千葉在住ですので、県大会も何試合か見に行き、銚子商の試合も生観戦しましたからこの年の事は特に印象に残っています。
銚子商の佐藤投手ですが、本格派ではなくカーブのコントロールの良い技巧派で、ランナーを出しながらも打たせて取るタイプ。故に内野守備はまさしく鉄壁の堅守を誇っており、特にショート・宇野の強肩ぶりは特筆物。高松商との試合、延長戦に入った二死一・三塁のピンチでの深いショートゴロを、ノーバウンドでの矢のような送球でアウトに取った守備がスカウトの目に止まった事が、後の本塁打王・宇野のプロ入りに繋がった、と当時県内では噂されていました。
この年は佐藤投手が磐石のエース、と言うわけではなく、もう一人アンダースローの一谷投手が控えており、二、三回戦では度胸の良い投球振りで好リリーフ見せ、後半を良く抑えていましたが、桜美林との試合では先にリードを許し、継投のタイミングを失して一谷投手の持ち味を生かせなかった事が、銚子商の敗因だった、と記憶しています。
76年の星稜は小松だけのチームではなく、打線も粘りがあって天理のキャプテンなど‘星稜はしつこい’と呆れてました。
最近言われているのは桜美林とPLはボーイズリーグ出身者が多く、海星や星稜に柳川などは軟式出身者が多かったので その差が出たようですね。
最も影が薄い準優勝校として00年の東海大浦安を
挙げたいと思います。
>吉法師様
千葉在住でしたら黄金時代を知っておられますね。
確かに一谷という投手が高松商戦もリリーフに出てましたから覚えてます。
高松商戦は監督の妙な温情で故障のエースを登板させてリズムを崩して逆転され、一旦追いつくもののと
いう展開でしたので宇野のファインプレーの場面は見てなかったのですよ。
桜美林戦は継投といっても4回であっさり逆転されましたからね・・・・
東海大浦安ありましたね。00年夏は浜名投手(背番号4?)の活躍が印象深いです。私と同世代なら佐久間らで出場の85年春、伊野商・渡辺智男にバックスクリーン弾を食らって初戦負け。この時の浦安は東の横綱クラスに挙げられてましたよね。
実は初戦の日体荏原戦の予想は忘れましたけど、3回戦の天理戦は‘天理打線は速球に強いから’という予想でしたし、豊見城戦前は‘豊見城は選抜準優勝校の
小山に勝った勢いがあるので’といずれも星稜不利な予想です。
天理戦は2失点して‘天理の拙攻’という記事もありましたから、小松の評価は豊見城に1-0で完封勝ちした試合から本格的に上がりました。
だから桜美林戦は逆に星稜有利だったのですけどね。
浦安は初出場した82年や準優勝の00年より85年のチームの方が前評判も高く、最強だと思いますよ。
まぁ渡辺智男のワンマンチームだった伊野商から負けるとは思いませんでしたし、伊野商がPLに勝って優勝するとも思いませんでした。
この頃の天理は強さと脆さが同居しており応援する側は毎回溜め息をついたものでしたよね。それでも豪快さを前面に戦うスタイルはある意味天理らしさに溢れていて私は好きでしたよ。3度の優勝も洗練さがあったとはいえ、清水監督時代のほうが勝っても負けても楽しめましたからね
センバツ準決勝でPLを下して初優勝は伊野商、智弁和歌山、沖縄尚学が思い出されます。清原には120%、あとは軽めに流す投球で金星を挙げた渡辺智男はなかなかのクレバー派。帝京は80年同様に接戦を勝ち上がり決勝で力尽きましたが、まだまだパワー不足で2度目の夏の甲子園が遠かったですね
先の話しに戻りますが、こーじさんは星稜の最強チームは何年だったと思われますか?私はやはり92年だと思うのですが、優勝するには投打とも「何か」が足りなかった気がするのです。もし76年のチームに松井が、あるいは92年のチームに小松がいたらどうだったか。。。山本省の95年準優勝も素晴らしいチームなのですが、あのチームは仮に大物選手が加わったとしてもてっぺんにはいけなかった気がします。今世紀に入ってまだ星稜は甲子園での勝ち星がありません。山下総監督はまだまだ熱く名門復活を切に願いたいものですね‥☆
たしかに小松のベストピッチは豊見城戦でした。
ちなみに栽監督が試合後に‘試合前に選手達をリラックスさせすぎた’と悔やんでいたのを覚えてますが
恐らく‘天理より楽’とか‘小山に勝ったのだから’的な事を言ったのかもしれません。
星稜最強チームは私も92年だと思いますけど、意外にも最強チームは甲子園で勝てないもの。
大阪桐蔭も辻内-平田の時が最強だと思ってましたけどベスト4ですし、中田が4番を打った2年と3年の時もベスト8が最高だったのに中田が卒業した08年に優勝したのですから・・・
三池工も優勝した65年のチームよりも62年の方が最強だったとの事です。
ただし63年のチームの活躍があるからこそ65年組に
いい素材が入学したとの事でした。
大阪桐蔭ですが、確かに05年のチームはKKのPLを思わせるような力強さがありましたね。しかし初戦の辻内の内容をみて’あ~こりゃ優勝までは厳しいでぇ~‘と私には嫌な予感がしました。結局ベスト4で苫駒にやられるのですが、甲子園で勝てるチームとそうでないチームの差みたいなものを見たような気がします。苫駒の選手はリードされても全く慌てませんし、むしろジリジリと相手を追い込んでいく独特の戦い方は今思い出しても身震いするようで、林主将はじめチーム全体が津波のような一気呵成の勢い、爆発力を秘めていましたよね。大阪桐蔭あとは04年春もダル東北との好勝負もありましたが、もし勝っていたら済美戦。ぜひ見たかったです。西岡のいた02年夏は久々の出場だったこともあり評価も普通くらいでしたでしょうか?
三池工は何気に戦力を蓄えていたのですね。その強かった代も出てほしかったです。63年といえば大阪の明星と池永のシモショーの決勝戦。三池工の初陣制覇は2年早かったかも知れませんね。あとは真弓らのいた頃の柳川商。若き福田監督も自信満々だったとのことですが、肝心な夏の県大会や秋の九州大会で勝ち切れなかったようですね。真弓、若菜以外ではどんな選手がいたのでしょうか?きっとアクの強い集団だったのでしょうね
こーじさん、もし92年に星稜が明徳に勝っていたらどこまで勝ち進んでいたと思われますか?ベスト8の尽誠戦が一つのヤマとなったでしょうが渡辺投手との対決は興味が持たれたことだと思います。決勝での西短・森尾×ゴジラ・松井。。。これは是非見たかったですね☆
個人的にはベスト4の拓大紅陵にやられていたのでは?と思います。
投打の柱はしっかりしてましたけど、松井と山口以外の選手の質が劣ってましたからね。
4人の投手を抱える拓大紅陵を打ちあぐねたのでは?
と考えます。
75年の豊見城は赤嶺自体が未知数でしたからね。
完全にノーマークなのに、あのカーブですから実戦経験のない選抜では厳しいでしょう。
大阪桐蔭は02年の時は前評判自体は大したことなかったですね。
西岡も‘いい選手’ぐらいの評価でしたし。
05年のベスト4も、04年春の経験があるからこその
ようでした。
ちなみに63年夏の福岡は柳川商なのですよ。
銚子商から1-12で大敗してますね。
その銚子商と決勝を戦ったのですから因縁めいてますよね。
同年の拓大紅稜は今の時代でも珍しい4投手を擁していたのですね(今夏奇しくも千葉の習志野がありましたか‥)。84年春いきなり8強入りしたものですから、千葉の新星として全国制覇も時間の問題と思わせました。が、東の横綱とされた86年は小柄な木村投手が新湊に打ち込まれたりして春夏とも期待外れに終わりましたよね。92年決勝、打力では西短を上回ってたと思うのですが、その年をピークに精彩を欠いているだけに小枝監督としては勝ちたかったところでしょうね。
75年春の習志野。。。今のようにセンバツ前に練試が組めない時代で、秋季大会以降、豊見城との1回戦が最初の試合だったのですね。それに当時は強いとはいえなかった沖縄の初陣校相手ということで少し侮ったのかも知れません。3年前、今春の横浜のようにセンバツはまだ実力校もピークに仕上がってないのか(試合勘が戻っていない?)おっしゃる通り初戦敗退も珍しくないですね。習志野当時の面影を残すヤクルト小川監督を見る度に、私が高校野球に興味を持ち始めた小学2年頃が思い出されます。
大阪桐蔭は91年の春夏初陣時も高いレベルにありましたね。決してフロックでの優勝ではなかったと思います。ただ沖水との対戦も2、3回戦あたりなら大野もまだ良い投球ができたでしょうし結果は逆だったかも知れませんね。
真弓の代の柳川商が73年だったなら作新江川を倒せていたでしょうか?もしそれに勝っていれば銚子商との再戦だったわけですね。プロでは記憶のない土屋×真弓も興味深いところです。何気に斉藤監督、そんな63年当時から黒潮打線を形成していたのですね。そう思うと2年後決勝で完封した三池工の上田卓三は改めて凄い男です。近年、銚子商は夏95年と05年しか出場していませんが、いずれも柳川も出ているのですね。対戦がなかったとはいえ、切っても切れない縁で両校は結ばれているのかも知れません。75年春、09年春の中京大中京と倉敷工のように‥☆
私の場合は山口を5番に据えて欲しかったですね。
彼はバッティングもよかったですから、松井を歩かされても山口で点が取れた可能性が高いです。
拓大紅陵が4人投手の元祖でしょうけど、基本的に
今年の習志野でもそうですが多過ぎるチームは何故か
優勝してないのですよね。
これが不思議な話です。
75年春の前評判は東海大相模と高知が東西の横綱で
2番手グループが倉敷工・中京・習志野・柳川商に静岡商・報徳学園だったようです。
だから習志野が豊見城に、柳川が堀越に敗れたのは
番狂わせだったようですね。
91年夏の沖縄水産なら大阪桐蔭では初戦で対戦しても負けでしょう。
むしろ鹿児島実が決勝進出した方がいい勝負になっていたと思いますよ。
千葉出身の先輩に言わせると73年は‘銚子商にとって作新より柳川の方がイヤだったと関係者が言っていた’らしいです。
理由が九州1位だったのに江川を攻略して勢いが付いているからという事でした。
4人先発衆のチームは分かりませんが、4人分業制のチームも各投手のメンタル面を維持するのが難しいのではないでしょうか?(俺はいつ登板するのだろうかという意味で)。3人だと87年のPL、93年の育英など割と役割分担もはっきりしているでしょうから、継投もスムーズに回せると思います。4人だと皆どっちつかずで守りのリズムにも影響するのでしょうかね。
75年春、両横綱が決勝で激突~!以後も長く高校野球を見続けていますが、実力(あるいは東西)ワンツーの両校決勝って84年夏くらいしか思い浮かびません。79年春、89年春もそうかも知れませんね。倉敷工や静岡商がV候補の一角だった時代が忍ばれます。しかし開幕戦で16‐15の両方ともあまりにも投手力がひどすぎますね(金属バット選抜最初の試合でしたが)。静岡商の久保寺ですが、後年の南海時代、何度か大阪球場で彼の勇姿を見ました。線は細いが器用な万能型選手でしたよね。まさにこれからという時期に逝ってしまって。。。甲子園で三遊間を組んだ大石大二郎を見るたびに久保寺のありし日をを思い出す私です。その静岡商は掛川西とともに8強入りし静岡勢が躍進しましたよね。習志野×豊見城、翌年に対戦があったならもう番狂わせなどと言われなかったでしょう。柳川商は翌年もバリバリの強力チームだっただけに一度は優勝戦線に食い込んで欲しかったですね。それはまるで上位進出が思うほど少ない浦和学院と似たようなイメージです。69年大敗でしたが準優勝の堀越は何気に選抜に強いイメージですね。
91年夏、決勝で序盤から沖水打線が火を吹いたので打力だけなら大阪桐蔭とほぼ互角と見ていますが。。。やはり桐蔭の和田、背尾の両投手とも連投の疲労があったのでしょうね。鹿実は4季連続の8強以上で定岡以来の4強入りでした。川畑は大野よりはまだスタミナも残っていたでしょうし、沖水よりも余力を感じさせる戦い方でしたからね。鹿実は今夏も出場濃厚と思わせたのに分からないものです。
73年夏、アップアップ状態だったとはいえ江川を攻略し、作新よりも打力(バスターなども)のある柳川商のほうが名将・斉藤監督も嫌だったでしょうね。練試や関東大会で手の内が分かりつつある江川作新は対戦のたびに威圧感も少なくなり、もう周囲が思うほど難敵でなかったのかも知れません。こーじさん、そろそろ寝ます。おやすみなさい(-.-)Zzz・・・・☆
決勝までの5試合での失点はわずかに1失点、それも押し出し四球での失点ですので、相手にタイムリーヒットを一本も許していないのです。緒戦のvsPL学園が5-1で以後決勝のvs防府商に至るまで全試合完封で5点以上の差を付けた一方、相手に許したヒットは5本以下と圧勝に次ぐ圧勝。
打線の破壊力も木製バットで本塁打2本をかっ飛ばした、当時2年生の四番・篠塚を筆頭に「黒潮打線」の異名にふさわしい猛打ぶりで、見ていてまったく負ける気がしなかった。
この時期、特に'72~'79頃までの千葉県の高校野球界は才能の宝庫、後にプロで活躍した選手が、
甲子園出場組では
・掛布雅之('72/習志野)・根本隆('72/銚子商)
・篠塚和典('74/銚子商)・土屋正勝('74/銚子商)
・小川順司('75/習志野)・宇野勝('76/銚子商)
・尾上旭('76/銚子商) ・和田豊('78/我孫子)
・銚子利夫('79/市立銚子)
県大会敗退組でも
・鈴木孝政('72/成東)・古屋英夫('73/木更津中央)
・石毛宏典('74/市立銚子)・高野光('79/東海大浦安)
と言った具合。
特に'72~'75の時期は、上記に名を挙げた高校の何処が甲子園に行ってもおかしくない力がありました。
その中でも、'74の銚子商業は一段格上の強さだったと、今思い返してもそう思います。
ちなみに土屋ー真弓の対戦は、土屋が先発で17試合登板し、104イニング投げて2勝6敗の成績を残した'79シーズンには数回対戦があったと記憶しています。
星稜の山下監督は‘1つの形を持っていて、これで負けたら仕方ない’というタイプですね。
だからスケールの大きな選手が出る反面、ここ一番で勝ちきれないのかもしれませんが魅力あるチームを
作りますよ。
以前から8月16日は好ゲームが見られるというジンクスがありました。
他には例えば江川のサヨナラ押し出しもです。
東西横綱の決勝対決って あまり記憶にないですね。
75年の開幕戦の試合前予想は2-1とか3-2というものでしたけど、両校のエースがカゼ引きなどでコンディションを崩してまして・・・
だからエースの兼光が復調した2回戦の東海大相模戦は1-0というスコアになりました。
堀越は3番・飯島と4番・上條の2人以外は大した事ないといわれてましたけど、柳川はまさしくこの2人からやられた形になりました。
91年の鹿児島実は川畑だけでなく小田もいましたからね。
大野一枚だけの沖水よりも勝負になったと思いますけど。
>吉法師様
私も74年の銚子商が最強だと思ってます。
エース土屋に4番・篠塚に1番の宮内主将もいい選手でしたしね。
準決勝までは2回までにリードを奪ってましたから
追いかける展開がなかったですよね。
しかもベスト16からは4連戦だったにも拘らずですからね。
1つだけ見てみたかったのが73年・74年春に敗れた
報徳学園との試合です。
相性の悪い相手でしたし代わりに出ていた‘千葉キラー’の東洋大姫路が1つ前で平安に敗れてましたから
そういうめぐり合わせもよかった形です。
倉敷工×中京。。。センバツは当時は平日でも盛況な時代でしたからね。開幕戦でV候補同士、両投手とも体調不良だったとのことですが、大観衆で秋以来の試合のマウンド。多少なりとも緊張があったのでしょうね。大乱調の初戦になった兼光投手でしたが、次の相模戦は汚名返上の好投。きっと満足で甲子園を去ったことでしょう。
91年の沖水は本当に大野一枚だけだったのですね。すでに名門校でかつ名将栽監督であったはずなのに投手が育たなかった(育てなかった?)のでしょうか。前年の神谷の代は先行逃げ切り型の印象ですが、大野のその大会は毎試合のように終盤ピンチの連続。。。テレビを見ながらハラハラドキドキしたものでしたね。
石川県に在住していた友人の兄に言わせると星稜が強かったのは山下監督以外に県内の有望選手をスカウトして回る人材がいたらしいのですけど、この人物が遊学館に引き抜かれて星稜に行っていた連中が遊学館に進むようになったという事が真相のようです。
91年の沖水はリードされた試合は殆どなかったようですからコチラも先行逃げ切りですね。
大野のケガが分かって‘大野を勝たせよう’と団結したという話がありますね。
星稜は今はサッカーのほうが有名になっています。初陣の頃はウィンタースポーツにも力を入れ出したな。。。と思ったくらいでしたが、現在ではJリーガーも何人か輩出する全国屈指の強豪となった「サッカーの星稜」。イエローのジャージはすっかり冬の風物詩?になりましたね。
91年の沖水。いずれの試合も逃げ切り勝ちは記憶していたのですが、後半いつもピンチを背負い、得点差を追い上げられた印象が強いのです。あれから20年、今はもう夏の大会で6試合すべて完投なんて有り得ませんよね(去年の島袋は‥?)。沖水も箕島も池田も天国へ旅立った名将の教え子が現在監督を務めています。名門復活へいいチームを作って近い将来甲子園へ戻ってきて欲しいですね。
遊学館は典型的な才能型チームのパターンですね。
いわゆる自分達の型で勝とうとするので、ここ一番での勝負に対する甘さがあり‘石にかじりついてでも
勝ちたい’という気が少ないようです。
金沢もベスト16の壁が厚いですよね。
91年の沖水は先制してリードをしながら終盤は必ず
追い上げられて辛うじて逃げ切り・・・というパターンばかりでしたね。
島袋は鳴門戦で途中降板してますから、とりあえず
6試合完投ではないですね。
ちなみに今大会の1人投手で賄ったチームは12ほどですね。
金沢は夏よりもどちらかとえば8強に3度進んでいるセンバツの方が相性がいいですね。星稜のようなスラッガーもそれほど聞かないですし、まず守りをしっかり固めて堅実な野球を‥というのが過去の出場チームにも著れていると思います
沖水の大野がNHKの番組であの夏を述懐していましたが「いろいろ投げさせ過ぎだとか批判を受けましたが、最後まで投げきれ。最後までやり遂げることが大切なんだと栽先生から教えられた‥」と師弟は深い信頼関係で結ばれていたのですね。あの時代はまだ先発完投がプロアマ問わず美徳とされていました。今と事情が違うとはいえ、どの投手も逞しく思えてきますね(選手寿命は短くなっていたでしょうけど)。
東福岡は監督が最悪です。
というのも彼は小倉南の出身ですから目先の1点に拘る野球をしますので、才能のある選手達を使えるどころか持て余す始末。
九国大付の若生氏が東福岡の監督だったら1回はベスト4に入ってますし、09年の九国大付を東福岡の監督が率いていたら予選も突破できないでしょう。
07年夏に久しぶりに出場したのを見ても49番目ぐらいの実力の桜井相手にエースが降板しなければ負けていたような内容の試合をやらかしましたからね。
本来なら土壇場で追いついて延長でサヨナラ勝ちしたのなら、2回戦の広陵戦でも勢いに乗って それなりの戦いになるはずが全く腰を引いた戦いに終始しましたので・・・・
金沢は千葉に相性が悪いですね。
03年も木更津総合に負けてますし。