40年前は池田高校の黄金時代

 6月に入ると蚊の出没が目立ち始めるため、痒み止め軟膏などの
CMが流れる時期だが38年前に藤田まことが`IKEDA’と記された野球
のユニフォームを着用し並んで‘校歌ぁ~’の号令と共に‘ムヒが丘に
痒みを止めて、池田&池田模範堂’と歌うムヒのCMがあった。

 この時にムヒを作っている会社が池田模範堂というのが分かった
のだが当時、徳島の池田高校が水野雄仁や江上光浩らを擁し82年夏
と83年の春の甲子園で優勝しており夏の優勝も確実視されていたな
ど強かったので池田つながりにあやかったCMだったわけだ。

 つまり池田高校の強さは際立っており全国区の知名度だったため、
そういったCMを作られていたのだ。

 この頃やく みつるの4コママンガに池田の蔦文也監督もどきがホ
エールズの関根潤三監督に対戦を申し込み、‘超高校級のミズノ&
エガミ抜きで’どうでっしゃろう’と言われ‘もう一声’と返す作品が
あった。

 タイガースファンの月亭八方に至っては、40 年前の5月19日に
スワローズのルーキー荒木大輔からタイガース打線が5回無得点
に抑えられプロ入り初勝利を献上した事から‘タイガースは池田
高校より弱い’と語っていた。

 理由はタイガース打線が荒木を打てなかったのに対し前年夏に
池田は荒木から7点取り結果的に14ー2で勝った事から、そのロジ
ックが出たわけだがタイガースファンから言われるぐらい池田の
インパクトは強かったわけだ。

 これが強豪私立のPL学園(85年のタイガースは桑田&清原時代
のPLと互角に戦える)や
大阪桐蔭の全盛時なら、こんな事はない
のだろうが池田は田舎の公立校にも拘わらず一時代を築いたので
こういった社会現象となったのだろう。

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