‘怪童’中西太氏 逝く


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20230518-0198

 元西鉄ライオンズの中心打者で現役引退後はイチローをはじめと
した多くの打者を育てた中西太氏が、90歳で亡くなったニュースが
流れていた。

 現役時代はライオンズの中心打者で打ちまくりピッチャーライナ
ーのはずが延びてスコアボードを越えたエピソードなど枚挙にいと
まがなかったし、現役引退後は4球団の監督を経て多くのチームで
打撃コーチを務め多くの選手達を育てた名コーチとしても有名だ。

 64年生まれの私としては現役時代を知らないので監督&コーチと
してしかイメージが湧かないが、氏が打撃コーチをしたチームは一
気にチーム打率が上がると言われていた。

 それを実感したのが92年のジャイアンツで前年.253と打てずに4位
に終わった翌年に中西氏をヘッドコーチに迎えると,2624とチーム打
率1位に押し上げて最後まで優勝争いを展開したのに、体調を考慮し
て92年限りで退団すると翌93年は,2379に急落したのには驚いた。

 氏の教えは型から入りたがる他のコーチと違いバットをひたすら
振っていい打球を飛ばせるフォームに拘っていたので、窮屈なフォ
ーム至上主義から解放された若手打者が伸びたという事だろう。

 監督としては西鉄ライオンズ最後の優勝監督という実績はあるも
のの他での成績は今ひとつで、特にタイガース監督時代は江本孟紀
との衝突なども当時有名になっていた。

 ただ本人は‘監督より打撃コーチが天職’と語っていたのを無視して
現役時代の実績で監督に就任させるという当時の価値観を押し付け
られた形で被害者のようなものだし、監督>コーチという日本球界
の価値観を壊してくれた人でもあるわけで適材適所を体現されてい
た方だった。

 今頃は義父の三原氏をはじめ稲尾和久・豊田泰光・仰木彬ら元
西鉄戦士達から‘太っさん、やっと来たか’と迎えられているのでは
いかと思ったりする。

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