北島康介が遺したもの

北島引退決意 真剣勝負は「終わりです」涙で「やりきった」

 早いもので競泳の北島康介がリオ五輪代表選考レースを兼ねた
日本選手権の200m平泳ぎで、代表権を取れずに引退を表明して
から1週間以上が経つ。

 シドニー五輪で初代表になるとアテネと北京で2大会連続平泳ぎ
二冠を達成し、ロンドンでは個人種目でメダルこそ逃したものの
メドレーリレーで史上最高の銀メダルを獲得するなど競泳日本を
引っ張ってきた選手だった。

 思えばソウルの100m背泳ぎで鈴木大地、バルセロナの200平泳
ぎで岩崎恭子が金は取ったものの獲得メダルは1個のみで決勝に
何人残れるかというのが日本の競泳界の現状だった。

 複数メダルが期待されたアトランタでメダルなしに終わった次の
シドニーでは銀2と銅2という複数メダルを獲得したものの、いず
れも女子のみで大会前から男子は影が薄い存在だった中100m平泳
ぎでメダルまでタッチの差で4位に入った北島の存在は100mバタ
フライで5位に入った山本貴司と共に男子希望の星だった。

 シドニー翌年の世界水泳で3位に入り念願のメダルを獲得すると
釜山アジア大会で世界新記録を叩き出し、翌年の世界選手権でも
優勝しアテネでは一躍優勝候補に名乗りを上げる。

 アテネ&北京では最高のライバル:ブレンダン・ハンセンとの一騎
打ちを制しての2大会連続平泳ぎ二冠達成は競泳界に光を当て、自
身は日本初のプロスイマーになってスポンサーがどんどん付き始め
た事から選手達の競技寿命も伸びて日本競泳陣は飛躍的にレベルア
ップし今では複数メダルは当然となり銀3、銅8の計11個を獲得
したロンドンでは‘金がない’と不満の声が上がるまでになった。

 これも北島が勝者のメンタリティを代表に植え付けてくれたおか
げで、金メダルが明確な目標になって行ったのが分かる。

 つまり北島自身が金を取るだけでなく周囲はおろか、後輩達にも
金メダルを具体的な目標にさせてくれた日本競泳界でも稀有の選手
だと思うのだ。

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