コパアメリカ・アスンシオンの惨劇から10年

 今から10年前の日本時間の今日・99年7月3日はパラグアイで開催されて
いたコパ・アメリカでトルシエ・ジャパンがパラグアイから0-4で完敗した
‘アスンシオンの惨劇’の日だ。

 西暦で奇数の年に行われる南米選手権のコパ・アメリカに日本が2002年
の開催国という事で招待された。
 貴重なアウェーでの試合を経験できると思いきや、協会は当時平行して
行われていたシドニー五輪1次予選を重要視し2002年のW杯で出場した
メンバーの殆どが召集されず。
 更に中田英寿はセリエAでの1年目の疲労を考慮され不参加で、フランス
W杯で唯一の1点を取った中山雅史も大会前の練習試合で鼻骨骨折で離脱
していた。
 そんな状態で臨んだトルシエジャパンは、初戦でペルーに2-3と点の取り
合いの末 敗れて迎えた2試合目が開催国のパラグアイ戦だ。

 一方のパラグアイは初戦のボリビア戦で攻めまくりながら0-0で引き分けて
しまい、パラグアイ対日本戦の前に行われたペルー対ボリビア戦で終了
間際にペルーが1点を挙げて1-0で勝ったためパラグアイは絶対に勝た
ないといけない試合になった。
 というのも このグループで1位になると決勝ラウンドの初戦を3位通過した
8番目のチームと対戦できるし、決勝までの3試合を全てメイン会場のアスン
シオンで行えるのだ。

  試合は開始早々から一方的なパラグアイペースとなって押し込まれ、
19分に早くも先制されると40分にも追加点を挙げられ0-2で前半終了。
 後半も全くいいところがなく2点を追加されて終わってみれば0-4の完敗
だった。

 ‘パラグアイに0-4で負けるとは’

‘なんでこんなに弱いのか’

と試合後マスコミは非難ごうごうだったが、これは十分予想された事。

 パラグアイといえば98フランスW杯前のキリン杯で来日し1-1で引き分け、
W杯でもブルガリア・スペイン・ナイジェリアとのグループを1勝 2分でスペ
インを抑えて2位で通過すると決勝トーナメント初戦でフランスに敗れた
ものの0-1の延長Vゴール負けだった。
 それぐらい守備が堅い堅守速攻のチームというイメージが強い。

 初戦で対戦したペルーとも23日前に行われたキリン杯で対戦して0-0で
引き分けているのだが、いずれも日本で行われた試合とコパ・アメリカ
での試合では全く違うチームになっていた。


 やはりアウェーでの戦いとホームでの戦い方を
使い分けていたのだ。

 にも拘わらず2002年のW杯でプレーしたメンバーはGKの楢崎正剛とDFの
森岡隆三・服部年宏ぐらいで独特のトルシエ戦術をマスターしてない
チームではペルーやパラグアイには歯が立たなかったのは仕方ない。 

 そういう事情も全く考慮に入れずに表面上の結果だけ見て
トルシエ無能論を垂れ流していたマスコミは、10年経っても全く
進歩がない。

 こちらの方が 深刻なのではあるが・・・・・ 

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