‘名将・木内幸男監督 今夏で退任’に思う

常総学院の木内監督、今夏勇退=現場復帰に幕―高校野球(時事通信) - goo ニュース

 常総学院の木内幸男監督が今年の夏を最後に退任するというニュースが
入ってきた。
 今年80歳なのだから体力的にも厳しかったのだろうが、正直言って03年夏に
優勝を飾って引退という形で終わらせたかった。

 私が木内監督を初めて知ったのが77年夏の取手二の監督として甲子園に
初出場した時である。

 この年は夏休みに筑波の親戚宅に遊びに行っていたので茨城県予選の決勝を
TV観戦できたのだが、選抜出場の土浦日大に勝っての甲子園出場で意外に
いいチームだなと思っていた。

 実際この年の初戦で2年前の選抜ベスト8の掛川西に4-1で勝って初勝利を
挙げた時のノビノビ野球のスタイルは魅力的だったし、茨城弁丸出しの勝利監督
インタビューもインパクトが強かった。

 もっとも初出場で初勝利を挙げたものの2回戦で敗れるとノビノビ野球の負の
側面である‘勝負どころのポカ’が出て78年夏・81年夏・83年春と3年連続で
初戦敗退。

 84年に前年選抜のメンバーが中心で‘東の横綱’と言われ夏にベスト8入りする
松山商や池田に勝って出てきた徳島商に勝ってベスト8入りしたものの初出場の
岩倉に再逆転されて負けと取りこぼしが目に付いた。

 そして迎えた夏は初戦で箕島と対戦し7回まで0-3でリードされて‘大型チームが
試合巧者のチームに負ける典型的なパターン’と思っていたら8回に一気に5点を
挙げて逆転勝ち。

 これで勢いに乗って決勝に進出し、桑田・清原のPL学園に延長10回の末8-4で
勝って見事に優勝したのには驚いた。
 常にリードしていたものの9回裏にHRで追いつかれ、これまでPL相手にこの
パターンは必ず逆転負けだったのだが、10回に3ランで突き放したのだから凄い。

 常総学院に移ってからちょうど3年目に甲子園出場すると夏は2回戦で沖縄水産
の上原・3回戦は尽誠学園の伊良部・ベスト8では中京の木村・ベスト4では東亜
学園の川島と好投手相手に勝って決勝進出し、立浪らがいたPLに敗れたものの
‘これは強くなるぞ’と思ったのだ。

 面白いのが87~89年、92~94年、01~03年と強い年代がある反面、それ
以外の年代は98年以外は甲子園出場がないというメリハリぶり。

 甲子園出場する年代で力を使い、の谷間に 力を溜めていたという事だろうか。

 島田直也・仁志敏久・金子誠らプロで通用する選手を育てているが、彼らがいた
年には優勝がないというのも特徴だ。

 ちなみに常総学院で01年春は仙台育英、03年夏は東北と決勝の相手は宮城
県代表で いずれも東北勢の初優勝を阻んでの優勝というパターン。
 特に03年は0-2でリードされていた4回にダルビッシュに集中打を浴びせて
3点を挙げて攻略したのは圧巻だった。

 残念だったのは03年に優勝して勇退したはずが05年春・07年&08年夏に3回
続けて初戦敗退すると藤代から招いていた持丸監督の後釜として復帰した事。

 既に70歳を越えているのだから総監督という形でバックアップしても直接指揮を
取らせるよりも後継者を育成できなかったのかと残念でならないし、実際に08年に
復帰して2年連続で夏に出場したものの いずれも初戦敗退。

 09年には開幕戦で九国大付に4-0からの逆転負けを喫していたが、前年に関東
一から完敗したときに最近の選手との接し方の難しさを吐露していたのが印象的
だった。

 茨城県代表が春夏通じて甲子園では70勝ほど挙げているが、その半分以上の
勝ち星である40勝を挙げて茨城のレベルを引き上げた木内監督の功績は揺るが
ないだろう。

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