宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「死者との会話」

2005年11月24日 | Weblog






親類や親しい人が亡くなった前後に 挨拶に来たという体験談は沢山あり、
以下のものもその一つです。

以下 コピペです。


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私が中学1年生の時、
父の会社で働いていた方の四国の某実家に夏休みに行きました。綺麗な田舎でした。

夜は、月明かりで周りが見渡せるぐらいでした。

昼間は、すぐそばの川に行き手長エビを取ったり、ナマズを取ったり、
川の真ん中まで泳ぎそのあとは立ち泳ぎで向こう岸に言ったりして昼間は遊んでいました。

夜になると、魚をつく槍をもって川岸に近づき、一斉に川岸に槍を投げ魚を取りました。

そうした遊びをした後、そのおじさんの家でご飯を食べ風呂にも入り芽ました。



泊って二日目の夜、寝ているときに話し声がするので目を覚ましました。

目を覚まして見たものは、おばあちゃんが家の玄関に向かって話をしていました。

10分ぐらい話をしていたと思います、

そのあと、おばあちゃんに聞きました。

「誰とお話をしていたのですか?」と聞いたところ、おじさんの弟と話をしていたそうです、

おじさんの弟は東京で工事現場の監督をしており、何時も仕送りをしていたそうです。



その弟さんの話というのは、
「おっかあもう仕送りができんようになった、後は兄やんの仕送りでやってくれ。
おれは今日工事現場で足場から落ちて死んでもうた、おっかあごめん!」

「明日、俺の身を引き取りに兄やんに東京まで来てほしい」
と話したそうです。



すると、そのあくる日の朝9時頃に東京の建築会社から電話が入り、
息子さんが足場から落ち亡くなったとの知らせがありました。

そのあと、おじさんは東京に行き、二日後にも戻って弟さんの葬式をしました。

お葬式が済んだ後の夜に、おばあちゃんが玄関に向かって何か話をしていました。

そして、私はおばあちゃんに「何を話していたのですか?」と聞きました。

亡くなった息子さんが、玄関の外にある毛秋の木から
「おっかあ、ありがとう。成仏したよ」との報告だったとのことでした。
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