宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

ミラレパの詩(うた)

2005年11月22日 | Weblog
昨日ネット上で宗教の資料を読んでいると、突如
妙な画像が目に飛び込んできました。
ここでその画像の細部の表現は控えさせて頂きますが、
何らかの事故後と思われる紳士の遺体で、下半身は全く
見当たらぬ…そうした写真でした。そしてそこに「貴方は
死を迎えるための準備が出来ていますか?」といった
内容の言葉が添えられていました。

ネット上では様々な社会的禁忌に触れる写真や画像の
専門的な提供者が存在し、またそれを無差別に普及する
人々が以前から存在していますが、わたくしのネット歴の長さ
を考えると、こうした写真を昨日やっと初めて実見したという
のは良い方なのかもしれません。
その昨日の不幸な写真は目に焼き付いてしまい、と同時に何故か
チベットの愛される聖者ミラレパの言葉が頭の中で反響して
いました。

「死体というやつを怖がってばかりいるけど、そいつは今生きて
いるその身体の根っこに巣くっている。」

その写真に対する恐ろしさは感じませんでしたが、その言葉を黙想しながら、
死について考える機会となりました。

「私は死が怖くて山に逃げ込んだ。日夜死の意味について瞑想を繰り返し、
死を超越した心の自然に辿り着き、今では死の恐れも和らぎ消えていった。」

とはいえこうした写真や映像を刹那的なスリルを求めるために閲覧する
行為自体に対し、その故人や遺族を辱める様な印象があり個人的に反対です…。
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