宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

"白い雲の道"

2006年06月25日 | Weblog
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九世紀の偉大な神秘家のもとに、ある日一人の
男が訴えた。
「自分は断食と礼拝をこの30年間続けてきたが、
精神の至福というものを未だに得られずにおります。」
神秘家は言った。
「あと300年続けた所で、あなたには得られぬであろう。」
あなたの自惚れがそれを妨げているからだ。」

「どうしたらそれを無くす事が出来るのでしょうか。」
「一つしか方法はない。しかし、君には無理だ。」
「そうかもしれませんが、とにかく御教え下さい。」

「君はまず床屋に行ってその立派な髭を剃り、衣類を脱いで
腰紐だけを巻いて胡桃の入った桶を首から下げて市場に行き、
"私の頭を後ろから殴ってくれる少年に、胡桃を一個差上げます"
と言いながら裁判所まで行き、役人があなたに気づくのを待つのだ。」

「私にはその様な事は出来ません。それ以外の方法を教えて下さい。」
「あなたの自惚れを無くすにはこれしか方法がない。
私は最初に不可能だと言っておいたはずだ。そのようなわけで、
あなたの性格が直る見込みはない。」
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この話しの解説には、自分では真面目に真理を探求していると思い、
また他人のその様に思われていたとしても、実際には修行の完全なる
妨げとなる利己心などが動機となっている事がある、とあります。

悪行を働く場合よりも、却って精神修養や慈善行為などの社会的に善と
判断されている行為の場合の方が、真の隠れた動機を観察しにくい場合が
あります様に感じます。自分にとっても決して他人事などではなく、
常に気をつけねばと思います。
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