宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

与えるすべ

2006年06月01日 | Weblog
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中国の楚の時代、孫叔傲(そん・しゅくごう)が幼少の時、
遊びに出て泣いて帰ってきた。母が訳を聞くと、『僕は
双頭の蛇を見たので数日中に死ぬでしょう。それが悲しい
のです。』と告げた。当時は双頭の蛇を見た者は近い内に
死ぬと伝えられていた。母がその蛇は今何処にいるのかと
尋ねると、『再び他の誰かが見るといけないと思ったので、
殺して土に埋めました。』と答えた。そこで母は『それなら
心配はいらない。お前は決して死にはしない。昔から"陰徳
あれば陽報あり"と言うではないか。お前のした事は立派な
陰徳である。死ぬどころかきっと陽報があるだろう。』と
言って慰めた。孫は成長して国守になり、その名を聞かれた
だけで国が治まった。誰にも知られずにそっと善行をしていれば、
必ず人の目に立つような善い報いが返ってくるのである。
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「陰徳」という思想は聖書の中にも「右手で為す事を左手に
知らせるな。」という言葉がある様に、実に普遍的な教えで
ある様に感じられます。しかし現在の社会は、人に知られる様に
して行う「陽徳」の方にやや比重が置かれております様にも
感じられます。

http://www3.ic-net.or.jp/~koba52/hakusyu48%20inntoku.htm
こちらを読みますと、一部の学校の道徳教育の中でも「陰徳」が
教えられている様子を知る事が出来ましたが、ただ自身の目的
達成のための霊的環境を整える事を目的として実践するという
実例は「陰徳」の本質とは少々異なっております様にも感じられ
ました。身の上の吉祥を期待して何らかの善行を行う事は、
ともすれば献身ではなく、取引、もしくは一つの単なる
目的達成法になってしまう場合もある様にも思われ、一見
容易な様で、難しいものでもあります様に感じます。

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