高齢者介護施設にて、オリンピックだったか世界陸上だったかの中継がテレビに映っていたときのこと。
テレビを眺めながらおしゃべりしていた利用者様方が、ものすごい差別発言をするのにびっくりしたことがある。
皆さん礼儀正しく親切なご婦人方である。
「昔は良かった」とよく言われるけど、人権尊重、差別偏見を無くそうという意識においては、現代のほうが圧倒的に良くなっている、はず。
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私が高校生の頃の夏休み、いわゆるホームステイというので、わが校の生徒数人がアメリカに行き、アメリカから数人の学生がわが校のある地域に滞在するという事業があった。
私にはまったく無関係なはずだったのだが、夏休み直前のある日、この事業を担当している先生に呼び止められた。
なんでも私の家で学生を一人引き受けてはもらえまいかという。
ホームステイの受け入れ家庭はとうに決まっており、滞在予定の学生のプロフィールが各家庭に送られていたのだが、その中の一軒で、その家のおばあさんが「黒人はいやだ」と言い出したとのこと。
「あなたの家はお父さんが英語の先生だからどうかと思って」というのがわが家への打診理由であった。
いまどき(1986年のことだが)そんなあからさまな差別発言をする人がいるという事実がまず衝撃であった。家に帰ってどういうふうに話をしたか覚えていないが、とにかくわが家で受け入れることになった。
その年の高校の生徒会誌にこの事業に参加した生徒の作文が載っていることを思い出し、ひっぱり出して読んでみたのだが・・・思っていた以上に正直な心境が綴られていて涙した。暗くなってはいけないと必死におもしろく書こうとしているのが、また恥ずかしくも痛々しい。
黒人云々は一言も書いてなく、実際そんなことはどうでもよかったのだが、スタイリッシュでカッコいい彼女(同年齢の女の子だった。ボストン出身)に対する、陰気で地味な自分、人付き合いが苦手で注目を浴びたくないのに、彼女と周囲の日本人の橋渡しをしないといけない役割、ホストファミリーかくあるべしという理想にことごとく反するわが家(専業主婦のお母さんによる、日本らしさが味わえるおいしい料理とインテリア、小さい子供とペットがいるといいな、とかそういうの)、諸々が苦しく、結構後々までトラウマになったのだった。うちは母のほうが仕事が忙しく、また日本語しか話しません、という人だったので、家庭内がぎくしゃくしたのも悲しかった。
この時の父に関しては、あまり記憶がないのだが、まぁ普通に異国の女の子との英語での会話を楽しんでいたのだと思う。
父は高校の英語教師だったのだが、留学経験はなく、初めての海外旅行も平成に入ってからだった。
しかしながら、英語でのコミュニケーションにまったく臆することなく、勤め先に外国語指導助手(ALT)の人が新しく赴任するたびに家に招いたりもしていたのだった。
そして当たり前ながら、人種的偏見もなく(昔の英文学専攻の人だと白人至上主義とかありそうだけどそういうのも感じられなかった)、そういうところは今更ながら尊敬する。
「知らないがゆえの偏見」と「身近にいるがゆえの軋轢」はまた違うと思うけど、差別意識で思い出したことを書いてみた。
テレビを眺めながらおしゃべりしていた利用者様方が、ものすごい差別発言をするのにびっくりしたことがある。
皆さん礼儀正しく親切なご婦人方である。
「昔は良かった」とよく言われるけど、人権尊重、差別偏見を無くそうという意識においては、現代のほうが圧倒的に良くなっている、はず。
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私が高校生の頃の夏休み、いわゆるホームステイというので、わが校の生徒数人がアメリカに行き、アメリカから数人の学生がわが校のある地域に滞在するという事業があった。
私にはまったく無関係なはずだったのだが、夏休み直前のある日、この事業を担当している先生に呼び止められた。
なんでも私の家で学生を一人引き受けてはもらえまいかという。
ホームステイの受け入れ家庭はとうに決まっており、滞在予定の学生のプロフィールが各家庭に送られていたのだが、その中の一軒で、その家のおばあさんが「黒人はいやだ」と言い出したとのこと。
「あなたの家はお父さんが英語の先生だからどうかと思って」というのがわが家への打診理由であった。
いまどき(1986年のことだが)そんなあからさまな差別発言をする人がいるという事実がまず衝撃であった。家に帰ってどういうふうに話をしたか覚えていないが、とにかくわが家で受け入れることになった。
その年の高校の生徒会誌にこの事業に参加した生徒の作文が載っていることを思い出し、ひっぱり出して読んでみたのだが・・・思っていた以上に正直な心境が綴られていて涙した。暗くなってはいけないと必死におもしろく書こうとしているのが、また恥ずかしくも痛々しい。
黒人云々は一言も書いてなく、実際そんなことはどうでもよかったのだが、スタイリッシュでカッコいい彼女(同年齢の女の子だった。ボストン出身)に対する、陰気で地味な自分、人付き合いが苦手で注目を浴びたくないのに、彼女と周囲の日本人の橋渡しをしないといけない役割、ホストファミリーかくあるべしという理想にことごとく反するわが家(専業主婦のお母さんによる、日本らしさが味わえるおいしい料理とインテリア、小さい子供とペットがいるといいな、とかそういうの)、諸々が苦しく、結構後々までトラウマになったのだった。うちは母のほうが仕事が忙しく、また日本語しか話しません、という人だったので、家庭内がぎくしゃくしたのも悲しかった。
この時の父に関しては、あまり記憶がないのだが、まぁ普通に異国の女の子との英語での会話を楽しんでいたのだと思う。
父は高校の英語教師だったのだが、留学経験はなく、初めての海外旅行も平成に入ってからだった。
しかしながら、英語でのコミュニケーションにまったく臆することなく、勤め先に外国語指導助手(ALT)の人が新しく赴任するたびに家に招いたりもしていたのだった。
そして当たり前ながら、人種的偏見もなく(昔の英文学専攻の人だと白人至上主義とかありそうだけどそういうのも感じられなかった)、そういうところは今更ながら尊敬する。
「知らないがゆえの偏見」と「身近にいるがゆえの軋轢」はまた違うと思うけど、差別意識で思い出したことを書いてみた。