6月20日マチネの観劇記です。
【物語】
純真で心優しい青年キャンディードは、城の哲学教師パングロスから「この世に起こることは、全て最善に仕組まれている」と教えられて幸せな生活を送っている。男爵令嬢クネゴンデと恋仲になるが彼女の両親の大反対にあい、城を追い出され放浪の旅に出ることに。行く先々で悲惨な目に遭い続けるキャンディード。戦争、大地震、宗教裁判、嵐、詐欺……。これでもかと降りかかる苦難の数々を乗り越えて、愛するクネゴンデと巡りあえるのか??そして、キャンディードの見つけた「本当」の生き方とは…?(公式サイトより)
千秋楽から1週間以上経っていたりするわけなのですが……今更ながら観劇記をば
観劇前には、好き嫌いが分かれる演目、哲学的、難しい、退屈、寝ちゃう、いろんな声が聞こえていて心配……というか難しくて理解できなかったらどうしようというのが一番の心配の種でした。一方で一足早く観劇した友人たちから心躍る感想を聞いていて期待は膨らみ
いや~~行って大正解
めちゃめちゃ面白い作品でした
原作は未読、以前上演された亜門版は未見、まさに“キャンディード”な状態(ラテン語で真っ白という意味だそうです byパングロス)で行ったのですが、始まると同時に引き込まれました。中身は考えれば考えるほど深みに嵌っていきそうな難しさ???難しいは難しいのかもしれないけど、あーでもない、こーでもないと考える余白満載だし、今回のジョン演出は原作に忠実に作られたということでしたがとても分かりやすかったので楽しめました。レミゼやベガーズ……どちらかというとベガーズの方かな
そっちが狂うほど(笑)好きな人には堪らない作品だと思います
舞台は普段はオケピがある位置までせり出していて(オケは紗幕越しの舞台後方)地球を表してるような大きな光の輪っか2つ重なっていて、そのうち1つは幕が上がると同時に天井高く吊り上げられていきます。真ん中にはベガーズを髣髴させるような木のトランク?物入れ??が1つ。劇中ではここから登場人物が出てきたり退場したり、あるいはこの中から衣装が出てきたり……ってこれぞ思いっきりベガーズ…か
最初は市村さん演じるヴォルテールが踊り回っていて、その動きに誘われるかのように物語の登場人物たちが続々と出てきて一緒に踊っていて、彼らを操るようなヴォルテールがいて……もうぅ~~すっごく素敵な光景なんですよ、これが!!!よくディズニー映画とかで見られるシーンだけど、作者が自分の書いた本を開くとそこから登場人物たちが飛び出してくるその動きに似ていて冒頭から感動しちゃって
そして1幕の最後はクネコンデを助け出したキャンディードがクネコンデの世話役をしていた老女と、クネコンデ救出の道中で仲間になったカカンボと4人が新世界に旅立つのですが、その4人がトランクを船に見立てて(ここら辺りもベガーズっぽい
)最後はそのトランクの中に引っ込んでいって蓋が閉まり、その上にヴォルテールがチョコンと座っているところで1幕が終了~~その光景がこれまた素敵で……今回はヴォルテールが自ら描いた作品のストーリーテラーになって物語を進めていくので、こういう演出はいい味付けになっていたと思いました
音楽はいわずと知れたレナード・バーンスタイン
有名なのはやっぱり一番最初のOvertureかな
全体的にはクラシック寄りな音楽だったように感じましたね~~呼吸というか息遣いというか、、、あとはリズムの取り方とか、普通に音楽をやってきた人には極めてまっとうな受け止め方ができるというか……別に他のミューがどうのこうのと言っているわけではないので誤解なきよう
基本的なルールに則った音楽なので自然で心地よかったです。ただ、キャストの皆さんは相当大変だったんじゃないかな~~と思います。音大の声楽科出身のキャストが多かったのも妙に納得してしまいましたわ
クネコンデを演じた新妻聖子ちゃん、、、この役ってソプラノ歌手がキャスティングされるような役らしいです……っていうか他の役もオペラ歌手が普通にキャスティングされる作品なんですよね~~キャンディードって。いや~~ソロ曲「Glitter And Be Gay」で出てくるコロラトゥーラはちょっとやそっとじゃ歌えないわけで……正直なところ純粋に歌だけを取り出せば
な感じは否めないけど、オペラ専門の人と比較するのは酷というもの
じいもそこまで悪魔ではないですよ~~(爆!) 聖子ちゃんなりに大健闘だったし、役作りの観点から見ればクネコンデのしたたかさ……ってかある意味めちゃめちゃ正直で素直なキャラクターだと思うんだけどな~~そういう憎めない可愛らしい部分も含めて素敵な演じ方だったんじゃないかな~と
他のキャストの皆さんもさすが“ジョン・カンパニー”に選ばれるだけあって素敵な方々ばかりでした。やっぱり一等凄かったのは市村さん
いや~~彼なしではこの作品は成り立たないといってもいい!最初から最後まで出ずっぱり&喋りっぱなし……凄すぎます
メインの役は作者のヴォルテールだけど、もう1つ、哲学教師のバンクロスも演じていて、その演じ分けはメガネをかけるかどうかというところで観る側にも分かりやすくなっているんだけど、舞台を支配する…というよりは操ると言った方がいいかも~~市村さんだからこそ出せる空気感と存在感がありました。存在感といえば老女を演じた阿知波さん、彼女も凄かった
クネコンデが「自分ほど不幸な人生を送っている女はいない」と思いっきり悲劇のヒロインになって手をつけられなくなる場面があるのですが、そこで老女が更に悲惨な自分の過去を語るところがあって、その語りっぷりが素晴らしかったです。悲惨なのに達観した部分あり~の、陽気になれる強さあり~の、人生への諦めがあり~の、人が生きていく中で積み重ねていくものの重厚感みたいなものかな~~そういうのが詰まった老女の心が伝わってきました。あと、、、面白かったのがサカケンのマキシミリアン。こういうキャラクターで出会うのってじいは初めてでしたが、そのバカ息子っぷりが面白すぎ~~とにかくやることなすこと全てがアホだし、言ってることがいちいち嫌みったらしいんですわ。しかも「ドイツの…どこ?」「私生児と妹は結婚させな~い」と、その語尾の伸ばし方がこれまた頭が空っぽの正真正銘のおバカを表しているようで……憎まれ役なんだけどバカすぎて憎めない~みたいな
なかなか良いキャラでした
駒田さんと村井パパはもちろん言うことなし!駒田さんが良い人の役って久しぶりのような???カカンボ、、、イイ奴だよぉ~~マーティンが出てきた時は思わずロキッドを思い出して、皮肉~陰口~~言うのはいいが役人と政治家のいないとこで~♪と歌い出しそうになっちゃったよ
だって風貌も似ているし~~ってそういう問題じゃないか
でも、市村さん演じるヴォルテールの楽天主義説と対峙できるのは村井パパのマーティンじゃないと
って感じでしたわ。それと、、、中井君が演じたエロ総督
もうぅ~~可愛すぎて愛すべきキャラでしたね~~しかも立派に歌い上げているところ
その歌唱力と歌声に萌え萌えしちゃうのと同時に総督のやりたい放題のイケイケっぷりと男の愚かさが面白くてこれまた萌えましたわ
コニタンも良かったですね~~やっぱり一番印象に残ったのは6人の王の場面。キャンディードにあるべき生き方を諭すやり取りだったり歌だったりが素晴らしくて……魂に響きました。でね~~実はじい、もう1つ心に残った場面があって、1幕で戦争で負傷したキャンディードが転がり込む病院の人の役をやっていた時のコニタン。キャンディードが戦争の真実を悟る姿に向けた視線が気になって気になって……その前に本来なら弱き者を助けるべき牧師が負傷したキャンディードを見捨てるシーンがあって、世間的には聖/正とされている牧師側が異端or悪とみなした側→病院(梅毒患者とか多くて世間から疎まれている)がキャンディードを助けるというある意味皮肉さに溢れた場面の後だったので、そういうのも含めた役の空気感が伝わってきたんじゃないかな~~と思いました
と、、、ここまで来て肝心の人を……忘れてはいませんよ~~芳雄クン
素直に言っちゃうと(爆!)周りがとにかく凄くて逆に印象が薄まった感は否めないかも
でも、キャンディード→まっさらな天真爛漫さといじられっぷりは芳雄クンだからこそ演じられる部分もあるような……って実際はブラック王子のようですが(笑) でもイイ経験になったんじゃないかな~と思いますね~~ジョン演出は初めてとのことだし、今後に活かしてほしいな~と期待
そうそう、芳雄クンのファンには堪らないんじゃないかという場面がありましたね~~2列目センター付近
船に乗り遅れたキャンディードが追いかけるところがあって、「ちょっとごめんなさい
」と慌てながら客席の間に入って通り抜けつつ、時にはお客さんの膝に乗ってみたりなんぞ……あと、エルドラドから連れてきた羊のメー子ちゃんを後ろから抱くシーンがあったり。じいは10列目のサブセンにいたので遠くから眺めるだけでしたが、他にも結構客席降りがあったりしてすぐ横の通路を歩くキャンディードな芳雄クンを見物~~久しぶりに間近で見たけど、やっぱり舞台衣装で化けますね~~何げに惚れ惚れ
じいの愛人その1か2か3か、、、何だ?(笑)
でね~~話の中身!とにかく面白かったですね~~みんな不死身すぎて(笑) でも、こういうツッコミどころ満載なとろこも含めて、何だか旧約聖書を読んでいるように感じたんですわ。一見分かりやすくて、普通に考えたらあり得なさすぎて笑えるんだけど、でも実はその中に深いものがいっぱいいっぱい詰まっている
歴史的なこと、宗教的なこと、哲学的なこと、人間とは何ぞや?といういろ~~んなものを表しているように感じました。一番単純に考えれば
善を信じるまっさらなキャンディードが世の中の“汚れ”を知って成長していくという、赤ん坊→大人への成長物語……これも人生を問う1つの流れなのよね~~でも、行き着くところが労働と楽園。最後のナンバー「Make Our Garden Grow」に表れていると思うんだけど、結構これってキリスト教的な落しどころに近い気がしました。それでいて、物語の中では宗教戦争あり~の、ユダヤ教との確執と馴れ合いがあり~のでキリスト教に対する皮肉も満載だったりするから四方八方から議論したり突っ込みたくなる話なのでめちゃめちゃ面白いのよね
クネコンデを取り合うユダヤ教の司祭とキリスト教の司祭、、、キリスト教の方はふとM!のコロレドのやりたい放題が頭を過ぎったけど……それは置いといて、同じ聖地を共有する上でどうのこうのとやり取りをするシーンがあったりして、これってまさにパレスチナ問題に繋がる言い分だったり、ヨーロッパにおけるユダヤ人に対する視点だったりするわけで、何げにきわどいかも~なんて勝手に考えて唸ってみたり
そして、、、やっぱりこれが一番外せないところかな~~最終的にキャンディードは「人生は善良でもなく悪でもない。全て織り交ぜての人生。人間はその中で精一杯生きていかなくてはならない」というところにたどり着くけど、これってベガーズやレミゼにも共通すると思うけど、マイナスを認めるからこそ出てくる前向きのエネルギーであり優しさでもあるんですよね。コニタンのブログで「キャンディードはベガーズとレミゼの間にある作品かもしれない」みたいなことを書いていたのを読んだんだけど、じいが思うには……「ベガーズ=下向きの前向きさで、レミゼ~上向きの前向き」かな~と。ベガーズは人間の汚い部分が愛おしくて、レミゼは人間の崇高な部分が愛おしい。でも、アプローチは違っても共通する部分があって、「人はみな生きるためにもがいて罪をせおう、愛し愛されて苦しんで生き抜いてどうせ終わる命だけど最後は悲劇とは限らない人生」「世に苦しみの炎消えないがどんな闇夜もやがて朝が来る」……そういう人間の生き様っていうのかな~~そういうのを全部ひっくるめてキャンディードの生き様に表れているような気がしたんですよね。あと、本来なら幸せなはずのエルドラドでの何不自由のない生活には満たされずに新たな出発をする、自分のできる労働をして自分の目指す世界を作る(憎まれ役だったマキシミリアンが「馬の世話をするなら自分にもできる」と言った場面は凄いと思ったの~
)ところも人間らしいな~と思いましたね~~何となく旧約聖書の創世記の流れに似たような感じもしたけど
ただね~~実はじいの中でまだまだ租借できていない?分かっていない??ところがあって「腑に落ちきっていない」部分があるんだけど(最後のキャンディードが行き着いた先のところも実は納得できてないのよね
)そういう気持ちも含めて人間が描かれているところを味わったな~というのが今の気持ち。だからこそ!もう1回観たかったんだけど都合がつかなくて……チケの売れ行き的な評判では微妙かもしれないけど(爆!)こういう舞台こそ「ガッツリ観たな~」と思えるし、またやってくれないかな~と密かに
熱く希望してるのよね~~