Eat Catalunya

2015-01-26 | スペイン

 

美術館の丘の上で見かけた幸せそうな恋人同士、お互いに写真を撮りあい仲のむつましさに微笑ましくなりました。

こんな恋人たちをバルセロナではよく見かけます。

 
 

(eatcatalunya)

スペインもフランスと同じように東西南北広い国、

それぞれ地域によって料理やその材料は異なってきます。

ここは何と言ってもカタルーニャ料理。
だいぶ前に買ったカタロニア料理の本を最近すっかり忘れていました。
バルセロナでの夜はそんな料理本を思い起こされる本場のカタルーニャ料理の味でした。
 
 
パエリャはお決まりのサフランの黄色が見えずどちらかと言うと焦げたトマト色とでも言えるものでした。
でも味は魚のストックがよくきき抜群で
別に頼んだイカをオリーブオイルでソテーした後ニンニクのみじん切りがかかった物と相性もあいもっとこの料理本を勉強するべきです。
 
カタロニア料理には欠かせられない基本とでも言えるSofreigt、単なるトマトソースです。
これが多くの料理に使ってありトマトとオニオンの甘さとコクが料理の最後まで
味わえるものでした。
 
 
(eatcatalunya)
 
過去に二度ほど作ってはみたもののいまいち上手くできなく再度挑戦してみたいものです。
ペザント料理とも言えるカタルーニャ料理は気取らずぼくのような人間にはぴったりな
料理です。
 
 
英語ですがここにそのソフレの作り方が載っています。
 
 
 
また次の日の夜はウサギ、ヤマウズラのローストを米と一緒にこのソフレ
で煮込んだもの、ソラマメとイベリコハムのオリーブオイルソテー。
メニューは沢山ありすぎて 二晩ではすべてのカタルーニャ料理の醍醐味は味わいきれません。
 
 
 
 

サグラダ ファミリア、 ガウディ

2015-01-25 | スペイン

 

切っても切り離せられないバルセロナとガウディ。
バルセロナの近くで生まれたガウディはバルセロナで育ち敬虔なカソリックだったそうです。
人付き合いは悪く晩年の十数年間は建築中のサグラダ ファミリア近くに住みその建築に精を出していたのです。
不幸にも路面電車に轢かれそのみすぼらしい姿からガウディだとは気がつかれず病院に運ばれるのも遅くなり一つ目の塔が完成した数日後にこの世を去ったのでした。
 
 
 
バルセロナに来る観光客は考えることは皆同じなのか朝一番にこの教会にやってくるらしくメトロから外に出るとすでにチケット売り場は長い行列、
この行列に並んだ価値は十分あるサグラダ ファミリアでした。
 
 
教会というものは中に入るとキャンドルが灯り結構温かいものですがここは未だに建築中ということか頭上からはドリルの音が聞こえキャンドルは見かけず寒さが印象的です。
 
そんな騒音も寒さも忘れさせてくれるほどの感動がわき起こったのはローマのバチカンを訪れた時と同様なものでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本人の石工師が彫りだしたエンゼルの像だそうです。
 
 
 
 
 
 
これらがガウディのドローイングだとしたらドラフツマンだったとは言えないかもしれません。
バルセロナ生まれのミロが若かった頃年老いたガウディと一緒にドローイング教室で一緒に勉強したことがあったそうです。
そのミロもドローイングには才能がなかったそうです。
 
バルセロナから帰り今読んでいる Colm Toibin の Homage to Barcelona
再び行きたくなりました。
 
 
 
教会のかたわらにあるガウディが働いていた机の周りの様子、自分で作り出したのではないかと思われる三角形の立体定規のようなものが壁にかけられています。
 
 
地下の礼拝堂の奥にガウディの棺が納められている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

バルセロナ

2015-01-24 | スペイン

Manresa 

 

 Manresa 

 

 Manresa

 

 モンセラットを後にして車のナヴィにバルセロナを入れると時間的には一時間半ほど、

ホテルのチェックインには早すぎた為もう少し内陸に入った町 Manresa  に行ってみることにした。
ここはバルセロナ同様織物が盛んな街でした、帽子も作られていたそうでそんな店もみられます。
 
スペインの若者の失業率は50パーセント以上というのはどこまで信頼できるものか、無職らしい若者の数が多いことは確かでした。
特別見るところもなく思いがけず見かけた靴屋でスエードの靴を買うことになってしまった。
確かにフランスやイギリスより値段は手頃です。
 

 

 

 

 

ホテルの部屋からの眺め

 

 

バルセロナのホテルにはまだ日が高い午後に着き散策するには程よい時間です。
 
ホテルは港に面した近代的なホテル、
大きな窓からはイビサやマヨルカ島に渡る船が発着している光景やケーブルカーが見えます。
 
ホテルから少し街の方面に向かうと コロンバスの像が立っているランブラス大通りの始まりです。
 
広い道の真ん中が遊歩道となるランブラスは暖かいシーズンだとごった返しているはずです、
今の時期はそれほど人出があるわけでなくスリや他の犯罪に巻き込まれるような心配もなさそうです。
 
ランブラス通りから幾つかある横道に入れば興味深い通りにめぐりあえそうな感じです、
地理に不確かではあまり冒険はできません。
 
 
 

夕方になっても商売をしている食べ物のマーケット。

このイベリコ ハムは高いのか安いのか、 

この隣には同じサイズの物が60ユーロで売られていました。

 

夕方になっても新鮮な魚が。

 ランブラス の通り

 

 

 


モンセラット

2015-01-23 | スペイン

(グーグル写真)

地中海沿いの町ペピニョンに戻り小一時間ほど高速を走るといつの間にか道路サインはスペイン語になり国境を越えていたのです。

EUが統合される前はパスポートコントロールやポリスの影もあったような記憶だが今ではみかけません、カタルーニャにやってきました。
 
一日目の終わりはバルセロナを通過し20キロほど山の方に向かい暗闇のモンセラットの宿に到着しました。
この日は冷たい雨が降り続け翌日の山の上の修道院の観光が気がかりだったものの目覚めると雨は上がり悪くはありません。
 
麓の村から修道院まではフニクラか車で行くことができます、
時間の節約で車で上がって行くことにしました。
 
黒いマドンナが納められていることで有名な修道院はシーズンオフにもかかわらず絶え間のない参拝客でいっぱいです。
 
 
 

修道院に着いたと同時に霧がでてきました。

 

フニクラに乗ってもこの日は景色は良くなかったでしょう。

 

奇岩の山々にはそれぞれ名前がついているそうです。

 

エレガントな15世紀の回廊。

 

 

四方を囲まれた大聖堂の中庭の大理石のパターンはカタルーニャ語?

 

霧がでたり消えたり変化が激しいです。

 

 

ポプラの木の彫刻に黒く顔が塗られたマドンナ。

 

 

マドンナが鎮座する金のモザイクの小さな部屋。

 

そしてバルセロナに向かいます。