信濃富士

2017-09-30 | 日本






ソバ畑やススキの向こうに見える安曇野のシンボル的な山、有明山(アリアケザン 2268m)に登ってみた。
正確には車で子供の頃よく行った中房温泉(ナカブサ)に行ったのだ。
中房温泉は有明山の中腹を回り裏側辺りに位置する秘湯の温泉だという謳い文句だが
今は泊まり客でないと奥にある宿舎まで行けないのが残念だ。




信濃富士と呼ばれる台形の山はそれほど高い山ではないが歩いて登るとかなりな獣道できつい登山になるらしい。
それよりここから登る燕岳(ツバクロダケ2762m)の方が北アルプスの山を制覇したという感じがする、
その奥にある槍ヶ岳や穂高岳が見え初心者にはお勧めの山だ。
この日のようないい天気だったら固めの靴と杖とオニギリ、水さえあれば登れたはずだが、、、
ここまでくると山全体のシルエットは見えずただ渓流の音と格別澄んだ空気を吸うことだけに身をまかす。




麓からは10キロほどしかないが舗装されているとはいえ昔と変わらずカーブだらけで
車一台分の道幅しかなくスリリングなドライブだった。
子供の頃は舗装もされてなくここをボンネットバスから少し新しくなったバスに揺られもっと怖かった。





片側はどこも崖っぷちでときおり雪どけの水が勢いよく流れ十分飲めそうな渓流からは岩魚が釣れるという。





子供の頃は見た記憶はないが途中にはかなり多くの猿の群れが日向ぼっこをしていた。
車が進んでいくとガードレールの後ろに隠れるが食べ物を与えるとすぐにでも飛んできそうだ。
車の窓を開けておいて何かをわし掴みされても困るので急いで引き上げることにした。


















画像はまた後ほど

2017-09-29 | 日本



ノボリ文化は日本だけのものかイギリスでもフランスでも見られないものだ、
特に田舎道を車で走っていると何処に何があるのか一目瞭然その都度止まってしまう。
生地はナイロンらしくケバケバしいものもあるが今の時代耐久性を考えると仕方ないだろうね。
この辺はリンゴの産地でイチゴなど作ってはいなかったがこの裏手の大きなビニールハウスではイチゴが勢いよく育っていた。

コンビニ文化も日本独特なもののようだ。
いつから扱っているのか宅急便が送れることには驚きとても便利だ、ATMマシンしかり、
コーヒーも100円でまずくはない。
そこで品物を買うことはないが、コピーマシンの辺りがまた面白い、
スマホから画像をプリントできるマシンまである、
一度試してみたがいまいち理解できず諦めたが再度の挑戦で見事に子供の頃の画像がプリントされて出てきた。

借りたwifiルーターがダイアルアップのように遅く画像を載せようものなら2,30分かかりそうなのとiPadで写真を撮っている為逆さまか横になっている可能性があるので画像は後ほど載せます。









右、左

2017-09-27 | 日本



秋雨前線が北上しこの曇り空が雨と代わった。

フランスで右側運転をしていて誤って左側に入って行ってしまったということは今まで一度もなかったが、6月に来た時も今回も右側に入って行ってしまったことが一度づつあった。
今思うとセンターラインのない細めの道でのことだ。
二度とも右折する時に起こり、無意識に当然のごとく右車線に入り前方から来る車に一瞬相手方を責め即座に自分の落ち度に気がついた。
あゝ気をつけなければ。


東山、西山

2017-09-26 | 日本
家から4キロほど東の山に登っていくと見晴らしのいい場所がたくさんある、
奥に見えるのは北アルプスであるがアルプス好きの人だったらこのシルエットで
一つ一つ名前を言えるはずだが山の名前に疎いぼくは全く知らない。
北アルプスは西山、今立っているこちら側は東山とぼくらはよんでいる。
その昔は舗装もされていなくボンネット型のバスが細い道をくねくね登り
この山を越えて毎日通学していた学友がいたが冬など手もほっぺたもしもやけで真っ赤になっていたのを思い出す。
この場所は二本松という場所で十年ほど前に樹齢350年の赤松が松食い虫にやられ切られてしまったそうだ。
そしてこの近辺の城主の宴の場であり桜や紅葉の頃はさぞかし綺麗だったのだろう。
無粋な電線は昔は無かったけれど仕方ない光景です。





別れ

2017-09-26 | 日本



祭りの真っ只中に子供の頃からお世話になっていた近所のおばさんが死んだ。
死んだ母と同い年のおばさんは自分の子供のように可愛がってくれた。
祭りの賑やかな騒ぎの最中にその知らせを聞いて瞬く間にあの元気だった頃のおばさんの声が蘇ってきて涙目になってしまった。
お互いの家によりあって二人でお茶を飲みながら亭主の悪口を言っていたことまで思い出す。
翌日快晴の空の下お通夜に行き優しい死に顔を見てまた涙が溢れてきてしまい
なんでこんなに涙もろくなったのだろう。
あの優しい死に顔を見れてとてもうれしくなりそしていいお別れができたと思う
葬式には五十数年ぶりに会う幼馴染たちもきっとおばさんが呼んでくれたに違いない。
おばさん、ほんとうにありがとう。