Ever,Dirk The Bogarde Letters という本を読んでいる。
ダーク ボガード が主演した ルキーノ ヴィスコンティ 映画 ヴェニスに死す を観たのは1970年初頭だったと思う、当時は脇役の一人 ビョルン アンダーセン の美少年ぶりが話題をまき主役の音楽家アッシェンバッハを演じた彼のことはほとんど知識がなかった、その上ボクは彼はアメリカ人だとさえ思っていたほどだ。(ロンドンはハムステッド生まれ)
1969年 ヴィスコンティ からこの映画のオファーがあった同時期にイギリスの社会に嫌気をさしていた彼は長年のつれトニーとプロヴァンスはグラッセ近くの古い農家を買い取り
その後18年間フランス住民となり最も幸せな時期を過ごしていた。(死後遺灰はここにばらまかれた)
そしてボガードは俳優であったかたわら書くことが好きで1999年ロンドンで死ぬまで15冊程のエッセイ集や小説をだしていた。
この ”The Bogarde Letters” は彼の死後編集されたものだが30年程にわたる友人達へあてた手紙は単刀直入な彼の性格から時には感情を害したりしながらも愛情にみちあふれた彼の書き方が当時の出来事を想像させてくれる。
トマス マン 原作の ヴェニスに死す は ヴィスコンティの古くからの友人だった マン が1910年ヴェニスからミュンヘンに向かう電車のコンパートメントでとても落ち込んだ雰囲気の髪を染め付けまつげの間から涙を流している男を見かけ話しかけたことからヒントを得たようだ。その男はヴェニスで13歳の男の子にかなわぬ恋をしてしまった グスタフ マーラー だった。
映画の完成が近ずくにつれ制作元のワーナーから予算オーヴァーだとしかりつけられたり(例えばサンマルコ広場やリドにあるホテルを1911年そのものに模様替えした)
完成後ごく一部からは ”マスターピース” だといわれたものの
アメリカのクリティックスからは ”Fag Movie" (オカマの映画)とレッテルを貼られ(その"Fag Movie"だからこそ当時映画館に足を運んだボクだったが、日本の異性愛者からの見方はどんなものだったのだろうか知るすべもなかったが)
ヴィスコンティはどうしてあんな題材のものを創ったのだといわれると、”ボガードと私はこの映画は我々のためだけに創ったのだ” と毅然と言ったそうだ。
ダーク ボガード の声を全く思い起こせないのはあの映画ではほとんど台詞がなかったような記憶がするが間違いだろうか、ぜひとも再び観てみたい映画だ。