私は夫が認知症だと診断されたときに、「心理カウンセラーとして、夫を絶対
怒らせない介護をしよう」と、心に決めた。もともと穏和な人だし、日常生活
ではほとんど以前と変わらず、また不自由はなく、平穏に暮らしていた。
確か認知症と診断され間もなくだったが、こんな事件が起こった。
ある日私がどうしても出かなければならない用事があり、地元にある信用金庫へ
お使いを頼んだ。何しろ長年通っていて、我が家の並びの一本道なので、私は
安心していた。私が帰ってきてすぐに夫に聞いたら「行ってきたよ」と言うが、家の
中のどこを探してもなかった。「どうしたの?通帳もお金もないけど」と聞いても
分からない。私はすぐに信用金庫へ走ったが、確かに夫は行ったし、下ろしたお金
を持って帰ったことも確認できた。それはかなり大金だったが、私はそれより夫が
一本道の家に帰る途中に紛失したのが、どうしても理解できず、途中で盗られたのか
とも思ったりした。
私には大変ショックだった。さんざん探したうえ、やっぱり紛失したのだと諦めた
が、自分の気持ちがどうにもコントロールできなくなり、とても家に帰る気がせず
羽根木公園へ行った。梅林の誰もいないベンチで、「これから夫はどうなるのだろう」
ととても悲しくなり、一人で涙を流したのは決して忘れられない。
それは梅がまだ咲いていなかった、とても寒く空のきれいな日だった。
認知症だと分かっている夫に、私が頼んだのが悪かったのだと、夫を一言も責めな
かった。でも早急に印鑑だけは作らなければと、次の日下北沢にあるお店で印鑑を
注文した。間もなく出来上がったが、その日に何と玄関の入り口にあるスリッパ立の
後ろから、通帳と、お金と、印鑑が出てきた。それが私にとって何より嬉しかった
のは夫が途中でなくしたのではない事実だった
後日分かったのは、お金を下ろして家に帰る途中に、朝の仲間の友人と偶然会って
お茶に誘われたそうだ。その現金を一度家に置きに帰り、3階に上がるのは友人を
待たせるので、入口のスリッパ立の見えないところへ隠したようだ。
それをすっかり忘れたのが、紛失の原因だったが、私はまだ夫は大丈夫だと胸を
なでおろしたことがあった。それからは重要なことは決して夫に頼めないのだと
覚悟し現在に至っている。でも8年間にこれほど心配したのは、只の一度だけだった。
怒らせない介護をしよう」と、心に決めた。もともと穏和な人だし、日常生活
ではほとんど以前と変わらず、また不自由はなく、平穏に暮らしていた。
確か認知症と診断され間もなくだったが、こんな事件が起こった。
ある日私がどうしても出かなければならない用事があり、地元にある信用金庫へ
お使いを頼んだ。何しろ長年通っていて、我が家の並びの一本道なので、私は
安心していた。私が帰ってきてすぐに夫に聞いたら「行ってきたよ」と言うが、家の
中のどこを探してもなかった。「どうしたの?通帳もお金もないけど」と聞いても
分からない。私はすぐに信用金庫へ走ったが、確かに夫は行ったし、下ろしたお金
を持って帰ったことも確認できた。それはかなり大金だったが、私はそれより夫が
一本道の家に帰る途中に紛失したのが、どうしても理解できず、途中で盗られたのか
とも思ったりした。
私には大変ショックだった。さんざん探したうえ、やっぱり紛失したのだと諦めた
が、自分の気持ちがどうにもコントロールできなくなり、とても家に帰る気がせず
羽根木公園へ行った。梅林の誰もいないベンチで、「これから夫はどうなるのだろう」
ととても悲しくなり、一人で涙を流したのは決して忘れられない。
それは梅がまだ咲いていなかった、とても寒く空のきれいな日だった。
認知症だと分かっている夫に、私が頼んだのが悪かったのだと、夫を一言も責めな
かった。でも早急に印鑑だけは作らなければと、次の日下北沢にあるお店で印鑑を
注文した。間もなく出来上がったが、その日に何と玄関の入り口にあるスリッパ立の
後ろから、通帳と、お金と、印鑑が出てきた。それが私にとって何より嬉しかった
のは夫が途中でなくしたのではない事実だった
後日分かったのは、お金を下ろして家に帰る途中に、朝の仲間の友人と偶然会って
お茶に誘われたそうだ。その現金を一度家に置きに帰り、3階に上がるのは友人を
待たせるので、入口のスリッパ立の見えないところへ隠したようだ。
それをすっかり忘れたのが、紛失の原因だったが、私はまだ夫は大丈夫だと胸を
なでおろしたことがあった。それからは重要なことは決して夫に頼めないのだと
覚悟し現在に至っている。でも8年間にこれほど心配したのは、只の一度だけだった。