夫が認知症と診断されても、冷静に対応できたのは、実はこんな大きな経験が
あった。医学博士でその道では有名な大学教授で、世界的にも有名なS博士と
友人の大学教授と、ヨーロッパや、アジアの国際心理学会や、世界心理学会に何度
か参加した。世界的に有名な方なので、どの国の学会でも必ず基調講演をした。
2007年4月はロシアの「エカテリンブルグ」で開催の「中央アジア国際心理学会」
に3人で出席した。折角だからモスクワを観光をと話がまとまり、モスクワに二泊
して観光をした。その時S教授は何だか以前とは態度が違って、それが度々あり
そのため、友人はすっかり機嫌を悪くし、教授とまったく口を利かなくなった。
モスクワからエカテリンブルグへ着くまで、私は間に立って大変困ったのは忘れない。
「エカテリンブルグ」は、モスクワから約2000キロ、その頃は日本からホテルも
予約できないほど僻地だった。そのため英語がほとんど通じず、その学会では私達の
ために、日本語を勉強している学生の通訳をつけてくれた。
その時もS教授の様子は、相変わらず変だったので、友人と「先生は何故あれほど
変わってしまったのだろう」と、友人とときどき話した。
込めヨーロッパとアジアの境界線
翌2008年10月北京で開催された「世界心理治療学会」にも、またご一緒したが
私も初めてプレゼンテーションをしたのは、一生忘れられないほど大感動だった。
観光や歓迎会など、顔見知りの北京学会で接待され、3人での行動は全くなかった。
帰るその日の午前はS教授の基調講演で、広い会場には人が溢れていた。
※中国学会の人と一緒に
でも時間になってもS教授は現れない。「これは変だ」と感じて、私達は会場から
5分ほどのホテルへ走って行き、教授の部屋をノックした。
するとパソコンをやっていた先生は「何ですか?私の講演は午後だから」と、のんびり
おっしゃった。「先生のお話は10時からですよ。もう大勢集まっています。急いで下さい」
と言ったが、学会の進行は過密スケジュールなので、結局講演はできなかった。
その後先生が学会にどんな言い訳をなさったのか、想像できなかったが、もしかしたら
国際的な問題になっていたか知れないが、その後のことはまったく知らない。
そして後で聞いたのは「S教授は認知症だった」と言う事実で、私達は仰天した。
※おなじ会場で発表した、ロシア、ウクライナ、ドイツの方と
いつも私達とご一緒するのを知っている奥様から、もしも一言「忘れることが多いから
注意して下さいね」と伝言があれば、私達がサポートして、絶対に重要なミスはなかった。
友人と二人で大変悔しがったが、後の祭りだった。「あれほど優れた方も認知症になる」
2年間にわたるS教授の変化を、私はつぶさに体験した。そのため私は、他人に決して迷惑
をかけないために、夫に「絶対に自分は認知症である」ことを、付き合う人達にカミング
アウトをすることを勧めたのだ。主治医の精神科の先生には「大変勇気がある行動だ」と
お褒め頂いたが、その頃に比べると、認知症に対する偏見もなくなり、家族も随分開放感
を持って介護できると思っている。
あった。医学博士でその道では有名な大学教授で、世界的にも有名なS博士と
友人の大学教授と、ヨーロッパや、アジアの国際心理学会や、世界心理学会に何度
か参加した。世界的に有名な方なので、どの国の学会でも必ず基調講演をした。
2007年4月はロシアの「エカテリンブルグ」で開催の「中央アジア国際心理学会」
に3人で出席した。折角だからモスクワを観光をと話がまとまり、モスクワに二泊
して観光をした。その時S教授は何だか以前とは態度が違って、それが度々あり
そのため、友人はすっかり機嫌を悪くし、教授とまったく口を利かなくなった。
モスクワからエカテリンブルグへ着くまで、私は間に立って大変困ったのは忘れない。
「エカテリンブルグ」は、モスクワから約2000キロ、その頃は日本からホテルも
予約できないほど僻地だった。そのため英語がほとんど通じず、その学会では私達の
ために、日本語を勉強している学生の通訳をつけてくれた。
その時もS教授の様子は、相変わらず変だったので、友人と「先生は何故あれほど
変わってしまったのだろう」と、友人とときどき話した。
込めヨーロッパとアジアの境界線
翌2008年10月北京で開催された「世界心理治療学会」にも、またご一緒したが
私も初めてプレゼンテーションをしたのは、一生忘れられないほど大感動だった。
観光や歓迎会など、顔見知りの北京学会で接待され、3人での行動は全くなかった。
帰るその日の午前はS教授の基調講演で、広い会場には人が溢れていた。
※中国学会の人と一緒に
でも時間になってもS教授は現れない。「これは変だ」と感じて、私達は会場から
5分ほどのホテルへ走って行き、教授の部屋をノックした。
するとパソコンをやっていた先生は「何ですか?私の講演は午後だから」と、のんびり
おっしゃった。「先生のお話は10時からですよ。もう大勢集まっています。急いで下さい」
と言ったが、学会の進行は過密スケジュールなので、結局講演はできなかった。
その後先生が学会にどんな言い訳をなさったのか、想像できなかったが、もしかしたら
国際的な問題になっていたか知れないが、その後のことはまったく知らない。
そして後で聞いたのは「S教授は認知症だった」と言う事実で、私達は仰天した。
※おなじ会場で発表した、ロシア、ウクライナ、ドイツの方と
いつも私達とご一緒するのを知っている奥様から、もしも一言「忘れることが多いから
注意して下さいね」と伝言があれば、私達がサポートして、絶対に重要なミスはなかった。
友人と二人で大変悔しがったが、後の祭りだった。「あれほど優れた方も認知症になる」
2年間にわたるS教授の変化を、私はつぶさに体験した。そのため私は、他人に決して迷惑
をかけないために、夫に「絶対に自分は認知症である」ことを、付き合う人達にカミング
アウトをすることを勧めたのだ。主治医の精神科の先生には「大変勇気がある行動だ」と
お褒め頂いたが、その頃に比べると、認知症に対する偏見もなくなり、家族も随分開放感
を持って介護できると思っている。