参道の左右にある諸々を見つつ、本堂の方へと進んでいく。
参道の右側、先ほどの兄弟地蔵のすぐ隣に曽我兄弟の墓(五輪塔)が祀られていた。
その墓の横には曾我兄弟八百年記念の像。よく見ると五輪塔裏に祠も建てられてある。
それらの正面には孝行柿十郎(2世)や紅梅といった木々に、大磯虎御前・化粧坂少将の歌碑が。
源頼朝の命により植えられた孝行柿。別名を逆さ柿といい、この地方に分布している四ツ溝柿の
元祖と思われているが、オリジナルはすでに枯れてしまったらしく現在は2代目が植えられている。
枯れた孝行柿の遺木は、曽我兄弟の位牌や木像とともに本堂に安置されているらしい。
この本堂の左手前にも巨大な木が立っていたが、それについては特に触れられていなかった。
肝心な富士市指定天然記念物の曽我寺のカヤは、曽我兄弟像のすぐ後ろにそびえている。
同じく富士市指定天然記念物である曽我寺のシイは、本堂の裏側。左と右、どちらのルートから
本堂を回り込むかにより見れる姿が異なる。左側から本堂裏へ進むと、お墓の後ろに椎の幹が。
右側から潤井川沿いに進むと木全体を見上げる形になり、こちらには河津桜も植えられていた。
これで曽我寺巡りは終了だが、時期が悪かったか帰る頃には手足を蚊に刺されまくっていたのであった・・・
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参道の右側、先ほどの兄弟地蔵のすぐ隣に曽我兄弟の墓(五輪塔)が祀られていた。
その墓の横には曾我兄弟八百年記念の像。よく見ると五輪塔裏に祠も建てられてある。
それらの正面には孝行柿十郎(2世)や紅梅といった木々に、大磯虎御前・化粧坂少将の歌碑が。
源頼朝の命により植えられた孝行柿。別名を逆さ柿といい、この地方に分布している四ツ溝柿の
元祖と思われているが、オリジナルはすでに枯れてしまったらしく現在は2代目が植えられている。
枯れた孝行柿の遺木は、曽我兄弟の位牌や木像とともに本堂に安置されているらしい。
この本堂の左手前にも巨大な木が立っていたが、それについては特に触れられていなかった。
肝心な富士市指定天然記念物の曽我寺のカヤは、曽我兄弟像のすぐ後ろにそびえている。
同じく富士市指定天然記念物である曽我寺のシイは、本堂の裏側。左と右、どちらのルートから
本堂を回り込むかにより見れる姿が異なる。左側から本堂裏へ進むと、お墓の後ろに椎の幹が。
右側から潤井川沿いに進むと木全体を見上げる形になり、こちらには河津桜も植えられていた。
これで曽我寺巡りは終了だが、時期が悪かったか帰る頃には手足を蚊に刺されまくっていたのであった・・・
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