世捨猫のマンドク生活

~ Cat's my Life ~ 未だ見ぬ何かをもとめて・・・

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富士川楽座 富士山フードコートテラス

2024-12-09 20:24:24 | 史跡・観光・他
2000年のオープンから、四半世紀を向かえる道の駅 富士川楽座

2010年に、東名高速道路のスマートインターチェンジが開通。
2017年には大観覧車フジスカイビュー誕生と、たびたび話題に
あがってきたが、2024年にも富士川かりがね橋の開通によって
ふたたび注目を集める事となった、ハイウェイオアシスである。

そんな富士川楽座の3階。ちょうど富士川サービスエリアの
駐車場と同じ位置にあるのが、富士山フードコートテラスだ。

天候の良い日には、富士川越しに富士山を眺めながら
食事を楽しめる、絶景ロケーションのお食事処である。

鶏そば専門店 麺や厨から、うなぎ専門店 大漁市場など
2024年現在は5店舗が、このフードコートで営業していた。

自分が利用したのは、The 鐘庵から、ざるそば

さらに別の日に同店舗で、炙り焼肉丼セットを温そば。

まぐろ漬け丼セットは、おろしうどんで。
駿河湾産の、桜えびかき揚げも単品注文。
和食処 味一 桜えびかき揚げ丼
桜えびは、この辺りの名物という事もあり和食処 味一の方でも
かき揚げを2枚乗せた桜えびかき揚げ丼として提供されている他、
生桜えび沖漬け丼や、釜揚げ桜えびしらすの2食丼などもあり。

最後は、すし道中 やじ喜多にて赤身握り(5貫)。
すし道中 やじ喜多 赤身握り すし道中 やじ喜多 かりがね握り
富士川かりがね橋の開通を記念して、ねぎとろ、赤身、
中トロが2貫ずつ乗った、かりがね握りも提供されていた。

まだまだ色々なメニューがあるので、また富士川楽座へ
訪れた際には、ラーメンや鰻なども食べてみるとしよう。

なお画像の食券に記載されている価格は、2024年上旬のもので
現在は、一部メニューの価格が改定されているようなので注意。

富士川かりがね橋へ行く

神新汽船下田営業所

2024-09-27 18:33:22 | 史跡・観光・他
下田公園の周囲を囲うように整備されている、ベイサイドプロムナード
およそ1kmほど続くこの海岸沿いの道の途中にも様々なものが存在する。

下田公園の駐車場の前より東に向かって進んでいくと、カーブ地点の手前で
あらわれた、あぜりあ丸のプロペラ。これは、2014年まで下田と伊豆諸島を
行き来していた貨客船あぜりあ丸で実際に使われていた物が設置されている。

そんなプロペラから海の向こうに見えるのは、下田市魚市場
市場の奥には、ドームプールが特徴的な黒船ホテルも建つ。

そして、カーブを曲がった先にあるのが神新汽船下田営業所

ここから利島、新島、式根島、神津島の4島へ渡る船が出港する。

現在は、あぜりあ丸の名前を受け継いだフェリーあぜりあが運行中。
少し前までは、もう1隻。貨客船ゆり丸という船もここへと寄港して
いたが、こちらも2021年10月で引退し、トンガ王国へと譲渡された。

また、そのすぐ横には下田海上保安部の2隻の巡視船しきね
いずなみ。それから小型のボートも1艘ならんで停泊している。

それらの先では海を隔てる防波堤が、犬走島まで伸びる。防波堤の
重要性は東海大学海洋科学博物館津波実験水槽で思い知らされた。

下田公園の駐車場から400mほど進んだ所で、道の脇に休憩所が出現。
その南に見えるのが、吊り橋で渡る事のできる小さな無人島、雁島だ。

下田公園へ戻る  下田公園 目次  雁島へ行く

ペリー上陸記念公園

2024-09-14 18:53:54 | 史跡・観光・他
下田公園の駐車場から道路を挟んで斜向かいにある、もう1つの公園。→地図←
ここはペリーが下田へと上陸した事を記念し作られた、ペリー上陸記念公園だ。

道路から海へ向かって整備された、奥行き25mほどの小さな公園。
大きさ的には、ちょうど下田公園の駐車場と同等程度といった所。

そんな公園の一角に建てられた、ペリーの胸像。ペリー艦隊来航記念碑
その記念碑の脇には、アメリカ海軍から寄贈された錨も飾られてあった。

また、ペリー来航150周年の2003年に行われた第20回ニューポート黒船祭にて
炬火リレーに使われた炎が、その翌年の下田開港150周年の折に、ここにある
モニュメントに点火され、日米友好の灯として、当時のアメリカ合衆国大統領
ジョージ・ブッシュ氏から送られたメッセージと共に今もなお灯り続けている。

下田歴史の散歩道の立札9番、ペリー上陸の碑。その裏面には
ペリーが下田へ来た時の様子が描かれた、ペリー艦隊停泊図も。

そして、この公園が位置している場所は稲生沢川の終点でもあり
公園にぶつかった川は90度東側に曲がって海へと流れ込んでいる。
稲生沢川から西に下田富士。東に寝姿山が、それぞれそびえ立つ。

以前、一碧湖でも目にした伊豆半島ジオパークの解説板が、この公園にも。
これには火山の根の説明が記され、この周辺が火山帯だとうかがい知れる。

最後は公園の隅にあった、しもだ海の駅(鵜島桟橋)と。

道路の反対側に高根 見帰地童という地蔵菩薩も祀られていた。
昔話で有名な、高根山のお地蔵さまに由来したものなのかな?

下田海中水族館へ行く  下田公園 目次  下田公園へ行く

箱根駒ヶ岳 箱根元宮

2023-09-17 20:44:44 | 史跡・観光・他
箱根駒ヶ岳の山頂エリアでも、最も高い標高1,356mに位置している箱根元宮

ロープウェイの山頂駅を出ると、すぐ目前に飛び込んでくるのが、この丘の上に
祀られている社。社への道は2ルートあるが、大半の人は中央広場から鳥居の前へ
上っていける正面側から進み、もう1方の道は駅へ戻るための帰路で使用していた。

中央広場から続く参道の入口には、箱根元宮の由緒も掲げられている。

発祥は、およそ2,400年前の縄文時代末期。孝昭天皇の御代として
聖占仙人が、駒ヶ岳山頂に神仙宮を開いたのが箱根元宮の始まり。
里宮として箱根神社ができたのは、奈良時代(757年)になってからと
だいぶ後だ。例大祭ならび鑽火御神火祭は10月24日に行われている。

ロープウェイの駅の方にも、より簡易的に記された案内が貼られていた。
専門用語が多い事に変わりないが、こちらの方がまだ分かり易いだろう。

参道を上って、鳥居の前まで到着。鳥居の脇には駒ヶ岳山頂遺跡と刻まれた
石碑や、小さな石造りの祠。さらに白馬の伝説が残る馬降石も祀られている。


鳥居の前から振り返って眺める、駒ヶ岳山頂一帯の風景。見渡す限り広がる緑。
冬には雪で辺り一面が真っ白になるようだが、冬季に訪れるのは難易度が高い。

そして鳥居の先に建つ社。現在のものは箱根神社の奥宮として
昭和39年(1964年)に堤康次郎氏の寄進によって建てられたもの。
今では山頂駅とならんで、駒ヶ岳に残された貴重な建造物だ。

社を右側へ回り込むと、なにやら朽ちた小屋も残っている。

社から左裏側には駒ヶ岳山頂と刻まれた石碑とガレ場。明らかに
人工的に形成されたであろう四角い岩が、いくつも転がっていた。

そんなガレ場に生息していた、左側の足が2本無いザトウムシ
探せば他にもアサギマダラを始めとした様々な昆虫がいるだろう。

レジャー開発が進んだ半世紀前とは異なり、現在の駒ヶ岳は自然を
再生させる形での整備へとシフトし、より元来の姿に近づいている。

ロープウェー頂上駅へ戻る  箱根園目次  相模湾展望広場へ進む

箱根園 箱根駒ヶ岳ロープウェー

2023-09-04 18:58:50 | 史跡・観光・他
箱根園から駒ヶ岳山頂までを行き来している、箱根駒ヶ岳ロープウェー
箱根園水族館へ訪れたついでに、こちらにも乗って箱根の自然を満喫だ。

駐車場の奥から道路を挟んですぐ先にある、ロープウェイの箱根園駅

2005年に駒ケ岳ケーブルカーが廃止され、ハイキングコースまでも
閉鎖されてしまった現在、駒ヶ岳へ登るための唯一の手段となった。

料金は往復で、大人1人1,800円。小学生以下は半額の900円となる。
犬もキャリーに入れれば乗車可能で、別途料金は掛からないようだ。

索道の斜延長は1783m。乗車時間にして約7分と、以前乗った
伊豆パノラマパークロープウェイとほぼ同じ距離を運行するが
高低差に関しては590.8mで、こちらの方が150mほど高く登る。

運行方式は、昇仙峡ロープウェイなどと同じ交走式が採用されており
2台のゴンドラにはそれぞれ、箱根ジオパークのはこジ郎と、箱根園の
縁結びのエンちゃんという、マスコットキャラクター達をラッピング。

朝の9時より、毎時20分間隔で、1時間に3本を運行。
上り16時半、下り16時50分が最終時刻となっている。

また最大乗車定員は101名と、ゴンドラの大きさに見合った大人数を
一度に運ぶ事が可能で、それを支えるワイヤーロープも4本を連ねる。

ゴンドラ内から眺める富士山。この日は、この後すぐに空が雲で覆われて
しまったため、駒ヶ岳から富士山を眺める事ができた貴重なワンショット。

ちなみに道中にある支柱(鉄塔)は、たったの2本だけ。そのぶん
支柱を通過する際に発生する振動も受ける回数が少なくてすむ。

そして標高1327mにある、駒ヶ岳頂上駅へ到着・・・って
見るからに年季が感じられる建物だ。開業したのが今から
60年前となる1963年らしいので、無理もないのだけれど。

なお駒ケ岳山頂駅で現在使用されているのは、ロープウェイの
改札口がある階のみで、他の階は全て封鎖されてしまっている。
改札前には、駒ヶ岳ロープウェーの解説や、ベアリングも展示。

出口の方へ向かうと土産物売場や、プリントシール機も設置されていた。

さてそんな駒ヶ岳ロープウェイだが、2023年の6月に行われた点検にて
部品の交換が必要な箇所が見つかり、一時的に営業が休止となっている。
運行再開は9月20日の予定らしいが、訪れる際は公式の情報を確認しよう。

関連動画:高低差590mを経て駒ヶ岳山頂へ

芦ノ湖ロードへ戻る  箱根園目次  駒ヶ岳山頂エリアへ進む

三保半島 清水灯台(三保灯台)

2023-06-12 20:45:45 | 史跡・観光・他
三保半島の海岸沿いに建つ、清水灯台。 →地図←

三保灯台という愛称でも親しまれているこの灯台は
市内に4ヶ所ある地域景観資源をはじめ、土木遺産
近代化産業遺産にも登録された、国の重要文化財だ。

また、日本で初めての鉄筋コンクリート造りの灯台で
国内に23基あるAランクの保存灯台の内の1つとなる。
(自分が訪れたAランク灯台は友ヶ島灯台に続き2基目)

清水灯台の高さは、およそ18m。固有の特徴としては
三保松原に因んだ羽衣天女を風見鶏に採用している。

灯台入口の交差点から、道なりに東へ向かって進んでいくと
海を目前にした曲がり角の手前に、その入口が姿をあらわす。
とはいえ灯台敷地の門は閉められており、中には入れないが。

清水灯台の近くにあった周辺観光案内図。三保半島の先端に位置する
三保真崎海岸は、さらに1.4km先。三保松原は、その反対方向へ1.8km。

灯台の前には太平洋岸自転車道という、静岡市中島から
清水市三保をつなぐ15.6kmの自転車道も整備されていた。

海を背にして、西側に灯台の入口は設けられている。
その入口の上に掲げられた清水灯台のプレートには
初点 明治45年3月 政策 平成7年3月と記されていた。
隣の小屋は管制器室だが、平成6に無人化したそうだ。

そんな灯台の裏手には三保園ホテルの新館が建っていたのだけれど
こちらはコロナの影響で令和3年に廃業。57年の歴史に幕を閉じた。

ホテルの建物から道路を挟んで反対側にも、その名残りがある。
かんばやき(変換できない)と刻まれた小さな灯籠。お盆の風習?

その西側には、津波避難タワーも設置されている。スロープを伝って
上れる構造なのは良いのだが、いかんせん高さが心もとなくないか?
(鈴川港公園の15mの物や、吉原駅の12mの物と比べて半分もない高さ)
まあ近くには津波避難ビルもあるので、そちらへ逃げるほうが得策だ。

三保半島と言えば、富士山世界文化遺産の構成資産にも登録された
三保松原が有名だが、この清水灯台もまた、そんな全長7kmに及ぶ
海岸の途中に存在している、歴史的にも貴重な史跡の1つなのである。

三保目次

淡島外周散策 2022 FILE:3 淡島遊歩トンネル

2023-04-28 15:20:20 | 史跡・観光・他
淡島の外周を巡る遊歩道も、いよいよ終盤。
島の北西に位置する海軍桟橋までやって来た。

ここは、その名の通り戦時中に日本海軍が使用していたという桟橋。
少し前までは淡島ホテルの宿泊客用に利用されていたようだけれど...

こちらも平成29年(2017年)に発生した台風の被害を受け無惨な姿に。
以前の姿と見比べると、入口のゲートからして歪んでしまっている。

そんな桟橋の脇。立ち並んだ柱状節理の先には
島の東西を繋いでいる淡島遊歩トンネルがある。

トンネルの西口...自体は、以前と変わりないのだけど
その向こう側の海岸に、謎のトルソーが置かれていた。

トンネルは淡島ホテルが建てられた平成3年(1991年)に掘られたもの
との事だ。日本軍とは特に関係ないようで、意外と歴史が浅かった。

トンネル内部は青を基調とした電飾が施され、Blue Caveと呼ばれている。
また、ホテルのワインセラーとして使用されているCave a Vin St.Vincent
(サン・ヴァンサン)という部屋
も、トンネルの中に入口が設けられている。

トンネル東口の方にあるのは、淡島ホテルへの入口と・・・

移設された淡島釣堀。ここでは、プールが釣堀に変えられる定めなのか。

大諏訪宮という小さな神社も、前と変わらず祀られていた。

そしてついに、マリンパーク前にある船のりばが見えてきた。ここまで来れたら
もう島を1周したようなものだが、帰りの船の時間には余裕をもって行動しよう。

最後は体感広場の隣に位置している金比羅宮と、銭洗弁天が祀られた島の泉
前を通過。淡島神社への参道とは異なり、島の外周路散策は高低差も無いので
より気軽に巡ることができ、多くの人にオススメできるハイキングコースだな。

神楽岩へ戻る  淡島一覧  アザラシプールへ戻る

淡島外周散策 2022 FILE:2 神楽岩

2023-04-25 20:15:00 | 史跡・観光・他
淡島の南岸に位置する旧釣堀跡から、島の西岸へ向かって北上していく。

まず現れたのは、江戸時代に石の積み出し場として使われていたという鍛冶小屋
現在は、その名称を残した釣り場だが、石切り場としての名残りが見受けられる。

続いて獅子岩の所にもあった、あわしま自由学習パネルが再び登場。
こちらは、マガキについての説明だが、文字が薄れてしまっている。
この先には説明板すら無いフレームもあるので、それよりはマシか。

えぐれた岩山の中に建てられているのは、イエスタディー若き頃の歌碑。
波で風化した安山岩には、虫食いのような細かい穴が無数にあいていた。

海岸遊歩道の途中にも休憩用に、いくつかのベンチが設けられている。
中には草木に埋もれてしまって、とても座れそうにない物もあったり。

水族館から、ちょうど島の反対側の辺りまで来ると現れる神楽石へ降りる分岐。
別の案内では、かぐら岩と書かれていたので、石と書いて岩と読むパターンか?

こちらも獅子岩と同様に、大昔に波で削られた岩の1つだ。ここも以前は
休憩スペースだったようだが、ベンチは8年前に来た時にもう朽ちていた。
そんな神楽岩の向こう側には、銭願石という横たわった柱状節理もある。

それらを越えると、海の向こうに牛臥山が見えてきた。

そういえば道中にあった重岡健治作の像が無くなっていたが
同様に、テーブルロックにあった女性の像も姿を消している。

淡島の岩礁から飛び立つ、アオサギみとしーに餌でも貰いに行くのかな?

封鎖されたトイレ前まで来ると、遊歩道の一部が陥没していてビックリ。
おそらくは台風による被害だと思われるが、気をつけて隅の方を進もう。

淡島橋へ戻る  淡島一覧  淡島遊歩トンネルへ進む

淡島外周散策 2022 FILE:1 淡島橋

2023-04-22 19:22:22 | 史跡・観光・他
淡島の海岸線にそって、ぐるっと島を1周続いている約2.5kmの遊歩道。
こちらも淡島神社と同様に、2014年以来となる8年ぶりの再来となった。

自分が訪れた船で渡る無人島の中では、猿島に次いで規模が小さい淡島。
(ちなみに船で渡らずに行ける無人島もふくめると、最小は下田の雁島)
リゾート開発による整備も施され、無人島の中でも巡りやすい島になる。

淡島神社の参道へ入る分岐の先。にらみ合うパンダの像が置かれた
芝生広場を横に過ぎると、遊歩道は海の上に続いた淡島橋へ変わる。

今回は時期的に桜が咲いており、淡島橋も花びらの絨毯で彩られていた。

桜の樹を見上げると、盗蜜中のツグミらしき鳥の姿を確認。

また島周辺の空には、旋回するトビの姿も頻繁に見る事ができる。

淡島橋の途中に祀られた、水神宮銭願宮前に見た時と比べると
赤く塗られた木製の鳥居が朽ちてしまった姿に、時の経過を感じた。

そんな神社の前から振り返って眺める、あわしまマリンパーク方面。
淡島橋の欄干には『あわしま』の、4文字のパネルが掲げられている。

島の南東部。橋の曲がり角にさしかかると現れる、獅子岩。およそ6000年前の
波の侵食によって削られた岩肌が、まるでライオンが咆哮している姿のようだ。

橋の角を曲がった先でも、同様に侵食された岩肌が続いていく。
いずれも現在の海面より3mほど高い、縄文海進の名残りである。

淡島橋を渡りきった先にあるのは、海水プール跡を改装して作られた旧淡島釣堀
しかしこの施設は既に使われていないようで、釣堀は別の場所に新設されている。
道中唯一の自動販売機がここにあるが、コカ・コーラからペプシへ変わっていた。

釣堀跡から淡島の岩山を見上げると、人工的につけられたような傷跡が岩肌に見えた。
ロックテラスの前にあった立入禁止の廃道分岐は、この施設の裏へと続いていた物だ。

2014年の海岸遊歩道 淡島神社参道入口へ戻る 淡島一覧 神楽岩へ進む

淡島散策 2022 淡島神社

2023-04-19 19:39:39 | 史跡・観光・他
ロックテラスへの分岐地点より、残り230mとなる淡嶋神社の参道を進む。

続いて現れるのは、亀岩。階段の上の方から見下ろすと
亀が甲羅から頭を出しているような形をした岩に見える。

そして以前、大黒岩の説明板とならんで赤い灯籠があった場所には
『もう少しだからがんばって!』と書かれた立札が建てられていた。
なお道中は要所要所で、この様な励ましの言葉を目にする事となる。

大黒岩の上に祀られた、3体の大黒天像。おそらく左側のものが
江戸時代初期に作られたとされる、最も古い像ではなかろうか?

頂上の手前で現れる石切段説明板を固定していた板は無くなっていた。
神社の資材を運び上げるために、手ノミで岩盤を削って作られた階段だ。

そんな石切段の上にあるのは、文政11年(1828年)に建てられたという鳥居。
ここで上り坂は終了となり、あとは社まで真っ直ぐで平坦な道なので安心。

その道中にも大黒天が祀られた祠やら、様々な石碑が存在しているが・・・

参道を挟むように設置された、絵馬掛け。これは前回来た時には無かったな。

標高137m、参道の入口から約650mの距離を歩いて淡島弁財天の社へ到着!
本社は宮島の厳島神社だそうで、駿河湾の海上安全や大漁満足を祈願すべく
宝永5年(1707年)に弁財天神社が建立。明治元年(1868年)の神仏判然令により
正式名称が淡嶋神社と変えられ、現在では弁財天と合祀されているとの事だ。

この社の裏には、標高137mと記された三角点もあったはずだけれど
そちらは立入禁止になっていたので今回は、ここで神社巡りを終える。
島の外周巡りと共に、淡嶋神社への参拝は、良い運動になりますわ。

ロックテラスへ戻る  淡島一覧  淡島橋へ進む

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