昨日、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した「おくりびと」。
日本のメディア(特にテレビ)は、一日これ一色だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/3c/f71ca135c9c5749e032d87404ae2f531.jpg)
報道に沸く特集の中、印象的だったのは、この脚本の原案と
なった本「納棺夫日記」(文春文庫版)の著者へのインタビ
ューだった。
青木新門さんという納棺夫を長年経験された方が著したその
本を読み、感動した本木さんが美しい手書きの誠実な文章で
青木さんへ送った何通もの手紙が紹介されていた。
しかし「いつか映画に」という本木さんの願いは、
青木さんの「映画にしてもらうなら本木君で」という
気持ちとは重なり合うものの、「宗教という部分の強調」を
望まれる青木さんの思いとは合致せず、「原作者」として
名を連ねるには至らなかったという経緯があったそうだ。
私は本木君と言えば「シブガキ隊のモックン」としての
印象以外、あまり彼のことを知るチャンスはなかったので、
このことで、彼が「本をよく読む物静かで誠実な一青年」
として、私の中で塗り替えられてしまった感がある。
でも
私は昔からそういう部分では、勝手な思い込みによる失敗も
幾度かあった。元夫だった人に対しても然り。
高校生時代に交際を申し込まれた私は、図書委員という立場から
彼の図書カードが文学書の数々のタイトルで
びっしりと埋め尽くされているのを見ていた。
この人ならと、付き合うことを決めたようなところもある。
悲劇の始まりはそこにあった(笑)
付き合い始めて殆ど、彼が本を読む姿を見た記憶がない。
「本を読む=思慮深い」という発想もほどほどにしておかね
ばと肝に銘じたい。
ただ私は、たとえば声高に「世界の平和の為に闘っている」
「社会的弱者の立場に立っている」
と公言してはばからないような類の人がちょっと苦手だ。
活動家として知られるある海外アーティストが、
来日した際のインタビュー中、終始ソファにふんぞり返って
受け答えしているのを見たことがある。
私はデビュー時から彼らの主張も聞いてきた。
でも、いつもそれぞれの運動に一貫性が感じられなくて
違和感を持ち、好きになれずにいた。
だから尊大なその態度に「なるほど」と思った。
自己顕示欲の産物は、いつかは見透かされる。
謙虚さの中にこそ、「人を助けたい」という気持ちの
真実があると思っている。
だから逆に、こんな風にいつも全く違う印象で見ていた人が
謙虚な気持ちで他の人間に接しているのを知った時、
意外な一面に心が洗われるような気がする。
日本のメディア(特にテレビ)は、一日これ一色だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/3c/f71ca135c9c5749e032d87404ae2f531.jpg)
報道に沸く特集の中、印象的だったのは、この脚本の原案と
なった本「納棺夫日記」(文春文庫版)の著者へのインタビ
ューだった。
青木新門さんという納棺夫を長年経験された方が著したその
本を読み、感動した本木さんが美しい手書きの誠実な文章で
青木さんへ送った何通もの手紙が紹介されていた。
しかし「いつか映画に」という本木さんの願いは、
青木さんの「映画にしてもらうなら本木君で」という
気持ちとは重なり合うものの、「宗教という部分の強調」を
望まれる青木さんの思いとは合致せず、「原作者」として
名を連ねるには至らなかったという経緯があったそうだ。
私は本木君と言えば「シブガキ隊のモックン」としての
印象以外、あまり彼のことを知るチャンスはなかったので、
このことで、彼が「本をよく読む物静かで誠実な一青年」
として、私の中で塗り替えられてしまった感がある。
でも
私は昔からそういう部分では、勝手な思い込みによる失敗も
幾度かあった。元夫だった人に対しても然り。
高校生時代に交際を申し込まれた私は、図書委員という立場から
彼の図書カードが文学書の数々のタイトルで
びっしりと埋め尽くされているのを見ていた。
この人ならと、付き合うことを決めたようなところもある。
悲劇の始まりはそこにあった(笑)
付き合い始めて殆ど、彼が本を読む姿を見た記憶がない。
「本を読む=思慮深い」という発想もほどほどにしておかね
ばと肝に銘じたい。
ただ私は、たとえば声高に「世界の平和の為に闘っている」
「社会的弱者の立場に立っている」
と公言してはばからないような類の人がちょっと苦手だ。
活動家として知られるある海外アーティストが、
来日した際のインタビュー中、終始ソファにふんぞり返って
受け答えしているのを見たことがある。
私はデビュー時から彼らの主張も聞いてきた。
でも、いつもそれぞれの運動に一貫性が感じられなくて
違和感を持ち、好きになれずにいた。
だから尊大なその態度に「なるほど」と思った。
自己顕示欲の産物は、いつかは見透かされる。
謙虚さの中にこそ、「人を助けたい」という気持ちの
真実があると思っている。
だから逆に、こんな風にいつも全く違う印象で見ていた人が
謙虚な気持ちで他の人間に接しているのを知った時、
意外な一面に心が洗われるような気がする。