昨日、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した「おくりびと」。
日本のメディア(特にテレビ)は、一日これ一色だった。
報道に沸く特集の中、印象的だったのは、この脚本の原案と
なった本「納棺夫日記」(文春文庫版)の著者へのインタビ
ューだった。
青木新門さんという納棺夫を長年経験された方が著したその
本を読み、感動した本木さんが美しい手書きの誠実な文章で
青木さんへ送った何通もの手紙が紹介されていた。
しかし「いつか映画に」という本木さんの願いは、
青木さんの「映画にしてもらうなら本木君で」という
気持ちとは重なり合うものの、「宗教という部分の強調」を
望まれる青木さんの思いとは合致せず、「原作者」として
名を連ねるには至らなかったという経緯があったそうだ。
私は本木君と言えば「シブガキ隊のモックン」としての
印象以外、あまり彼のことを知るチャンスはなかったので、
このことで、彼が「本をよく読む物静かで誠実な一青年」
として、私の中で塗り替えられてしまった感がある。
でも
私は昔からそういう部分では、勝手な思い込みによる失敗も
幾度かあった。元夫だった人に対しても然り。
高校生時代に交際を申し込まれた私は、図書委員という立場から
彼の図書カードが文学書の数々のタイトルで
びっしりと埋め尽くされているのを見ていた。
この人ならと、付き合うことを決めたようなところもある。
悲劇の始まりはそこにあった(笑)
付き合い始めて殆ど、彼が本を読む姿を見た記憶がない。
「本を読む=思慮深い」という発想もほどほどにしておかね
ばと肝に銘じたい。
ただ私は、たとえば声高に「世界の平和の為に闘っている」
「社会的弱者の立場に立っている」
と公言してはばからないような類の人がちょっと苦手だ。
活動家として知られるある海外アーティストが、
来日した際のインタビュー中、終始ソファにふんぞり返って
受け答えしているのを見たことがある。
私はデビュー時から彼らの主張も聞いてきた。
でも、いつもそれぞれの運動に一貫性が感じられなくて
違和感を持ち、好きになれずにいた。
だから尊大なその態度に「なるほど」と思った。
自己顕示欲の産物は、いつかは見透かされる。
謙虚さの中にこそ、「人を助けたい」という気持ちの
真実があると思っている。
だから逆に、こんな風にいつも全く違う印象で見ていた人が
謙虚な気持ちで他の人間に接しているのを知った時、
意外な一面に心が洗われるような気がする。
日本のメディア(特にテレビ)は、一日これ一色だった。
報道に沸く特集の中、印象的だったのは、この脚本の原案と
なった本「納棺夫日記」(文春文庫版)の著者へのインタビ
ューだった。
青木新門さんという納棺夫を長年経験された方が著したその
本を読み、感動した本木さんが美しい手書きの誠実な文章で
青木さんへ送った何通もの手紙が紹介されていた。
しかし「いつか映画に」という本木さんの願いは、
青木さんの「映画にしてもらうなら本木君で」という
気持ちとは重なり合うものの、「宗教という部分の強調」を
望まれる青木さんの思いとは合致せず、「原作者」として
名を連ねるには至らなかったという経緯があったそうだ。
私は本木君と言えば「シブガキ隊のモックン」としての
印象以外、あまり彼のことを知るチャンスはなかったので、
このことで、彼が「本をよく読む物静かで誠実な一青年」
として、私の中で塗り替えられてしまった感がある。
でも
私は昔からそういう部分では、勝手な思い込みによる失敗も
幾度かあった。元夫だった人に対しても然り。
高校生時代に交際を申し込まれた私は、図書委員という立場から
彼の図書カードが文学書の数々のタイトルで
びっしりと埋め尽くされているのを見ていた。
この人ならと、付き合うことを決めたようなところもある。
悲劇の始まりはそこにあった(笑)
付き合い始めて殆ど、彼が本を読む姿を見た記憶がない。
「本を読む=思慮深い」という発想もほどほどにしておかね
ばと肝に銘じたい。
ただ私は、たとえば声高に「世界の平和の為に闘っている」
「社会的弱者の立場に立っている」
と公言してはばからないような類の人がちょっと苦手だ。
活動家として知られるある海外アーティストが、
来日した際のインタビュー中、終始ソファにふんぞり返って
受け答えしているのを見たことがある。
私はデビュー時から彼らの主張も聞いてきた。
でも、いつもそれぞれの運動に一貫性が感じられなくて
違和感を持ち、好きになれずにいた。
だから尊大なその態度に「なるほど」と思った。
自己顕示欲の産物は、いつかは見透かされる。
謙虚さの中にこそ、「人を助けたい」という気持ちの
真実があると思っている。
だから逆に、こんな風にいつも全く違う印象で見ていた人が
謙虚な気持ちで他の人間に接しているのを知った時、
意外な一面に心が洗われるような気がする。