森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

フランス女性の生活の知恵

2016-04-21 | 思い・つれづれ

昨日不安そうな声で、結婚している娘から電話があった。
NHKである噂に関して公式Twitterでの注意喚起があったという。
でもM8の地震に見舞われるという噂の地に住む私たちは、その噂さえ知らなかったの
で、逆にNHKが取り上げるほどの噂があるという事実に驚いた。
不安だけど騒ぎ過ぎないように心掛けて生活したい・・。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2月に突然辞めた女性は「人生は一度しかないんだから、好きな道に進もうと思って」
そう言って、その前から辞めることが決まっていながら新しい人が決まるまで勤める
ことになっていた若いTさんを尻目にさっさとエステの道に進んだ。

そのTさん。年末に私と休みを交代してくれる人を積極的に探してくれた優しい女性で
思った通り、彼女は辞めた女性が(若い人にだけ)配ったエステの無料体験チケットを
使わなかったそう。彼女は今、以前挫折したある介護の資格を取るために勉強に励みな
がら、残る私たちのために日数を減らして勤め続けてくれている。
私から見れば、派手なメイクやネイルに励むどの女性より、彼女が輝いて見える。


輝いて見えるという繋がりで、少し前にリニューアルした雑誌「ku:nel」の特集
「フランス女性の生活の知恵」について少し。
しっかり読みたい記事が多かったので買ったはずだが、時間が無くて放置したままだっ
たので捨てようとして、興味深い記事に目が留まり見入ってしまった。

吉本ばななさんのエッセイでは「私はどんな豪華な場所でもしわしわの服のまま、
ドレスコードぎりぎりの様子で堂々としている」とあり、彼女曰く「大変でもなんでも
自分だけの生き方のスタイルとファッションが一致すると、お互いが補い合って色々な
魔法が起きるのだ」という。

誰もが自分らしくありたいと願うけれど、なにかと理由をつけて「不自由な自分」の立
場のせいにする。そして自由にやっている人に「それは貴女だからできるのよ」などと
言うとある。 もちろん彼女自身もずっとこんな風ではなかったと。


彼女自身のつまずきのポイントは「家事をやり過ぎてしまう」ことらしく、そのせいで
結局倒れたりして「何でも私がやっているじゃないかよ!」と急に暴れる衝動にかられ
ることもあったらしい。
なので彼女の解決策は「最低限をやる」「最低限は自分でやるけどけど、それ以外は絶対
にやらない。こうしたことで人のせいにしなくなった」という。

「ちょっとだけでいい。 やってみる。変えてみる。」

本当にその通りだと思う。大抵の女性は分っているけどやってないだけなんじゃないかな。
写真もとても素敵で、良い年令になっても年令なりのオシャレや楽しみを持つフランス
の女性たちの生き方には、改めて学ぶ所が多かった。

 

 

 

真の意味での「美容」に関しても、「割りばしワーク」など、興味深い記事も。

 

おっと、遅刻!!
行ってきます。




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もしもその時に

2016-04-18 | 思い・つれづれ
九州ではまだまだ大小の地震が続いている。
それでもここ福岡は、ほとんど揺れを感じなくなってきた。

けれども被害の大きかった地域の人たちは、倒壊や危険であることから家にも
戻れず、避難所に居てさえ「生きるため」の設備が機能していなかったり食料
や水が行き渡らないことも多くて、不自由な生活を強いられていることだろう。

テレビでは、東京から高速バスやあらゆる交通機関を乗り継ぎ34時間かけて
熊本の家族の元に戻った男性を取材していた。
そういう時、互いに愛で結ばれた家族なら一刻も早く「元気な顔を観たい」と
思うのが普通だろう。

もしもその時に、遠くに住む私の息子はそんなことをするだろうか?

最初の地震の日、そして翌日の強い地震の時も、崖の上に家がある姉や、古い
マンションの4階に住む娘とはいち早く連絡を取り合い無事を確認した。
けれど、こんな時に電話もよこさない息子だから・・ふとそんなことを思った。

結婚した娘が、昔、ヴァネッサ・カールトンのこの曲をよく聴いていた。
カヴァーしているのは以前こちらでも取り上げた「ワンオク」
こんな時だから、歌詞が身に沁みます・・。

ONE OK ROCK - A Thousand Miles 【 Full HD 1080p 】


もしも南海トラフ地震などが現実となったら、息子の住む地域は一体どうなるの
だろうなどと、つい想像して心配になる私の方が「取り越し苦労」なのかもしれ
ないけど、親というのはそういうものなんだなと、若い頃私たちを心配してばか
りいた母を「ちょっと鬱陶しく感じた」自分を反省している。

最初の地震の日は娘がご飯は要らないということだったので、仕事から帰って
自分ひとりだからと、適当に作って済ませ呑気に画像を撮ったりしてました。
まさかこの後に、こんなことになるなんて。


 

これでも普段の一人の食卓時に比べ、おかずが多い方(笑)焼き豚ともやしとミックスビーンズのサラダ
 
姉から届いた三つ葉を茹でてお浸しに  サーモンのカルバッチョ風ゆず胡椒和え


  どうかこれ以上の被害が広がりませんように。
  被災者の方々に、一日も早く「ふつうの生活」が訪れますように。
   ※心配してメールをくださった方、有難うございました☆
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17回忌

2016-04-14 | 家族友人
昨日は、母の「17回忌」。
平日なので来られなかった家族の方がずっと多くて
実家でこじんまりと終えました。

この時期になると
母らしく、桜が散り終えた頃に静かに亡くなった当時のあれこれや
花びらを踏んで病院の坂道を歩いて通った頃の、あのやるせない気持ちを思い出します。
けれども時を経るにつれ、母が私たちにしてくれた日常の小さなことが話題に上るようにもなりました。
辛い気持ちがそういった楽しい思い出にすり替わっていくから不思議です。


お母さん、私たちも歳をとりましたよ。
もう少し頑張ってみるから見守っていてね。
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 後始末

2016-04-08 | 思い・つれづれ
先日ririkoさんと会った日に、次回の『ワイドスクランブル』で、以前こちらでも
何度かご紹介した安東英子さんのコーナーがあると教えてもらったので、前回の放送
をネットでチェックしてから、火曜日の放送を録画して観た。

安東先生、福岡から東京に出ていかれてますます頑張ってますねー^^。

それにしても、依頼者宅の何とモノが多いことか!
こういう番組で取り上げられる家の多くが同様の問題を抱えていることが多いけど、
これだけのモノを詰め込む前に(詰め込むこともできないくらい散らかってましたが)
なぜ同じものをいくつもいくつも買ってしまうのか・・と他人事ながら呆れてしまう。

まぁ、我が家にも同じように沢山の洋服や靴やバッグを買ってくる人がいるので
身につまされるけど;;
でも自分のモノならいざ知らず、たとえ家族のモノであろうと勝手に処分するワケには
いかずで、毎日もどかしい思いで暮らしている。

仕方なく、「終活」の一環として少しずつ「自分の持ち物」を処分している。
マイケル以外の数十本あった洋楽アーティストのビデオなどはあまり悩むこともなく
処分できたが、マイケルの百本以上のビデオはyoutubeがあるのでもう観ないと思う
のに、処分できず持越し;

衣類やバッグの多くは娘からの「お上がり」とか、同じように買い物が好きな私の姉から
貰ったものが多いので、さほど思い入れがないのは確かだけど、貧乏性が邪魔をする(笑)
今回処分したのはこちら。

 

帽子はあまり似合わず、被ることが無かったので。 
 


↓のレンガ色のアルパカマフラーとグリーンのストールは、南米雑貨屋に勤めていた頃に買ったもの。
高かったし好きな色なので、一つだけ救おうかな(笑)


こちらの柔らかいオレンジのアルパカスカーフは、母が病の床にある時に私がプレゼントした。
母はこれを入院するまで嬉しそうに身に着けてくれていて、亡くなった後、それを持ち帰った。
それから暫くの間、私はこれをスヌードのように縫い合わせて家で身に着けたが、ボロボロに
なっても母の匂いがするようでなかなか捨てられなかった。
でも私だっていつどうなるかわからない年令になったのだから、思い切って捨てることにした。

 

思い入れがあるものを処分するには、「納得する時間」がそれなりに要るのだろうと気付く。

まだまだ使いそうなものは残しましょうか。
それにしても寒色系が好きなのねーワタシ。こうやって見ると自分の好みがよく分かる。

 

段々似合わなくなるモノの方がずっと多いけど、それでも中には昔は似合わなかったモノが
意外にも似合うようになったりで驚くことも。



食べ物だって昔は口にしなかったものが美味しく感じたりするのよね。 フシギ!

         

こちら、ロイズのチョコをかけたチップスより好きかも。

 
         へぇ~そうにゃのー
        


以前こちらでも取り上げた「世界で一番貧しい大統領」が、今来日中だという。
彼の言う「次から次にモノを欲しがる人」は、きっと何か満たされない思いを抱えて生きてい
るのだろう。  ストレス社会にもきっと原因があるのかもしれない。

子育ての時期、私はいつも子供たちに「どんなに一所懸命やったことでも、後始末が
出来なければダメだよ」と厳しすぎるくらいに教えた。 彼らが大人になった今、果
たしてそれが出来ているかどうかは判らないけど、今でも何かあるたびに、私は自分
自身にもそれを課しているように思う。失敗してもいい。きちんと後始末さえできれ
ば・・と。 夫がいい加減で放り投げた「結婚生活の後始末」、子供たちをちゃんと
育てようと必要以上に気負い過ぎた気もする・・。

それでも私の人生の残骸を、子供たちに背負わせるわけにはいかない。
ちゃんと始末して死にたい。
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手にした「自由」は

2016-04-04 | 思い・つれづれ
友人のririkoさんと久しぶりにランチを楽しんだ。
ririkoさんは以前より一層出不精になっているので、ランチ目的というより
ゆっくりお喋りしたいということで、当初の目的だったオシャレな店ではなく
「星乃珈琲」を選んだ。

 

彼女はひとしきり「専業主婦」として「夫に気を遣う生活」を愚痴った後、
「私と犬は自分が守るって言うのよ~」とうんざりした様子で付け加える(笑)

「守ってくれる人」がいない私にしてみれば贅沢な悩みだと思うけれど、以前
自分は「籠の鳥」だと嘆いていた頃に彼女に誘いかけても、なんだかんだと理
由をつけて家から出ようとしなかったので、「籠の中」が彼女にとっては居心地
の良い安全な場所であり、その中に留まるのは自身の意思だと私には思えた。

実際、その日も彼女は少しの待ち時間も人に酔うし、冒険も嫌だということで
人気で並ばねば入れなかった店を諦めたのだから、彼女自身、そのことを充分
に判っているのだと思う(笑)

私はと言えば、昨日もとんでもないことを言うお客(さんは付けたくないくらい酷い!)
に仰天したばかりで、もはやこの世には礼儀というものは無くなったのかと
またもや嘆きたくなるほどに仕事で散々な目に遭ったばかりだった。

なので、働かなくていいなんて、私にしてみれば羨ましいことこの上ないよと話し、
「夫婦も長くなれば色んな不満がお互い出てくるだろうけどね」と共感もする。
それぞれの立場のどちらがいいなんて、誰にも判らないとは思う。
良い所と苦しいところが、背中合わせなのだろう。   でもいろんな女性の悩みを
聴くにつけ、「貴女はまだ恵まれていると思うよ」と言い、短く楽しい時間は過ぎた。

そして彼女は会ってから2時間ちょっとで、留守番のわんこが待つ家にいそい
そと帰って行った。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、すっぽり空いた数時間。私は家に帰るにはまだまだ早い。
でも娘の家に寄るにはふうちゃんの昼寝時間に当たるので迷惑だろうと、街を
一人ブラブラ歩くことにした。

本当に久しぶりの一人の街歩き。
昔は「子供たちが大人になったらどんなにか自由な生活が待っていることだろう」
と思っていた。

と言っても家族との生活を煩わしいと思ったことはない。  大袈裟かもしれないけど
離婚してからずっと、いつか待っているはずの「一人の人生」を、覚悟して生きてきた。
どうせそういう日が来てしまうのなら、失ったものばかりを数えるのは止そう。
引き換えに手にするものを、心待ちにしながら生きる方が楽しいじゃないかと。

ところがいつまで経っても「自由」な時間はなかなか手に入らなかった。
時間というのは、たとえ休日であろうが、努力しなければたちまち消えて無くなって
しまうものなのだ。
時間は「作る」もの。 待っていても訪れない。こんな風に突如空いた時間は
滅多にない「贈り物」。

まずは銀行の用事を済ませ、雑貨屋を覘き、本屋に行き、それからゆっくりと
お城のある公園を回って早くも散り始めた桜を眺め、家具屋をぶらりと歩き、
手芸店で布を観て次に作るモノを想像しながら家路に就いた(何も買わずに)

 

 

 

      
         (ガラケーで撮った画像なのでいまいちです;)

さぁ 明日からまた仕事、頑張ろう☆
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