森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

猫に誘われて

2007-05-31 | 動物
我が家は集合住宅の一階にあるので、よく通路やベランダにのら猫がやってくる。
彼等はまるで、人間の心を見透かすように家を選んでくる。
猫嫌いの家には決して訪問しないし、我が家全員が動物好きであることや、
特に猫アレルギーを持っている娘が皮肉にも大の猫好きであることも、
みんな分かっている気がする。

   



幾日か前にアップした、ベランダに来る飼い猫ちゃんもそう(笑)
この子は1年以上も前から来ていたけど、最近までずっと野良だと思っていた。
昼間は殆どベランダで寝ているので、冬には古い子供のオモチャ入れを改造して、
その中に買ってきた室内用のペット用ベッドを入れ、座面下にはカイロを敷き詰めて
冬越しさせた。

けれど、食事はそんなに食べないし、夜は必ず何処かに消えるので
暖かくなってきたある日、猫との隠れんぼ(猫はつけていくと喜んで
振り向きながら案内する、アレ)をやりながら、
何処へ行くのか確かめてみることにした。
そしてついに突き止めたのは、近くのアパートの3階にある一軒の家。
そのドアの前で立ち止まり、私を見上げてニャーと鳴くのである。

まさかの思いもあったけど、勇気を振り絞りブザーを鳴らしてみると
中から足の悪いおばあさんが出てきて、間違いなくウチの子だと言う。
その足下をするりとくぐり抜け、猫はその家にすまして入っていった。
話によると、この家の3階のベランダからいつも出入りしていると言う。
妊娠もしなかったので、私はずっとこの子を「ボク」と呼び
去勢した後に捨てられた男の子だと思いこんでいたけど、
もう今年で9歳になる手術した女の子だということも、その時分かった。

想像どおりだったのは、お年寄りが入院でもして飼えなくなったと、
なぜか勝手にそう思っていたが、どうやらウチに来るようになったのは
おばあさんが入院していた時期らしい。
これが縁で、その後おばあさんと電話番号を交換し、何かあったら
連絡できるようにしている。

この子以外にも、去年は近所で4匹の猫ちゃんを保護したり
病院に連れて行ったけど、その内3匹は無事里親に引き取られた。
でも、一匹は震えながらタオルの中で死んでしまった。
今も、捨てられる猫は後を絶たない。同じ人間として
動物たちに「ごめんね」と詫びている。

   
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エイズの少年

2007-05-30 | 思い・つれづれ
昨日日記を休んだ理由は、キーボードの不具合もあったのだけど
朝たまたま観たワイドショーの特集を、一日中引きずっていたから。

それは、パプアニューギニアのエイズの子供達をとりあげたものだった。
現地に女性アナが自ら出向いて取材したものだっただけに
悲惨なその現実が生々しく悲しく、胸が痛むものだった。
そのレポートの中、ひときわ私の心に焼き付いたのは
16歳だというのに小学生にしか見えず、すでに肉腫が身体のあちこちに
出ている少年だった。

極めて稀なケースらしいが、
少年が罹患したのはエイズの両親を看護したことに因るという。
両親の死後、他の罹っていない姉弟と共に親戚に引き取られたけれど
彼だけ屋根と床があるだけの小屋に隔離され、
食事も2・3日に一度くらい、大勢の家族の食べ残しがある日だけ。
それでも彼は健気に明るく振る舞っていた。
時々ローソクを街に買い付けに行き、村人にそれを売って僅かなお金を得ていた。
誰からも存在しないかのように扱われ、姉弟さえも親戚から近づかないように
言われていたため、少年はずっとひとりぼっちだった。
それでも姉がバス代を貸してくれと頼めば、その僅かな支えのお金から
嬉しそうに貸すのだ。
         

その少年の澄んだ瞳がいじらしく美しく、私は言葉にならないくらいの
感動と焦燥とで、しばらくの間何も手に付かなかった。
少年の孤独と恐怖が、私なんかに一体どれだけ分かるというのか
そう問われているようで・・。

やっと気持ちを切り替えることができたのは、
深夜に「ジャポニカロゴス」の「言いまつがい」を観て。
最近人気の玉木宏くんにインタビューをしていたレポーターの男性が
「順調の方は交際ですか?」って実際に言ったのや、
フジの男性アナがニュースで「○○ノ湯で湯が出ました」(正:火が出ました)等々。
何日か前のウチの娘たちのと一緒じゃないの~(笑)

不眠症の長い私は、努めて笑ってから眠ることにしている。
少し元気が出たけれど、あの少年の瞳は忘れないでいようと思う。
あるがままを受け入れる無欲さと強さに、自分はまだまだだな・・と
少年に教えられた気がするのだ。

世界では、今この瞬間にも大勢の子供達が苦しみながら死んでいる。
この現実から目を背けないで、自分に何ができるかを考えなきゃいけないんだと
再認識。
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命の重さ

2007-05-28 | 絵・アート
今日は二つの死亡報道でもちきりだった。
初めは ZARD のボーカルの女性。
その後、松岡農水相の自殺報道。

どちらもこれから詳細がわかるのだろうけど、
全くの他人とは言え、人の死の報に触れるたびに、
7年前に死んだ母の時の記憶がよみがえる。
ツンと鼻の奥が痛くなる切なさと一緒に
まるでヘソの緒を断ち切られ、母と分断された瞬間のような
生々しい感覚。

死後しばらくして、私はパステルでひたすら母の笑顔を描くことで、
母との別れを受け入れることができた気がする。 
 

松岡さんの方には責められるべき事情もあったと聴くが
ご家族にしてみればかけがえのない命であることに変わりない。
愛する誰かとの永遠の別れを受け入れるというのは、
理屈などではなく、誰にとっても深い痛みを伴うものだ。

  
左は古い雑誌のストック写真から  右は本を真似て作ったひつじたち
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写真のココロ

2007-05-27 | 写真画像
昨日の記事中の写真たちを除いて、このブログに載せた写真は
今のところオリジナルのものばかりです(下手だから判るか・笑)

もちろん他の方の写真を無断転載はいけないのですが、
昨日載せた写真たちは古すぎて、どの本から切り取ったものか
もはや判断不可なので・・どこにお断りを入れるべきかも分からず;
ただ例え雑誌の写真にも、撮る方の愛情や思い入れのあるなしで
これほど大切に取っておく人間もいるということを伝えたくて。


写真を撮るのは素人だけど、写真屋に8年勤めた経験から
優れた写真を観るのは大好き。
その写真屋も今はもう無いんだけど、そこでは受付とか用品を売るだけではなく、
ミニラボの機械を操っての写真作成もやっていました。
ミニラボ機と言っても今のようなモニターを見て判断する自動タイプではなく、
朝一に目玉プリントを出しリファレンス調整をやり、ネガの一コマ一コマを見て
どういう色の出来になるかをも判断し、それ次第で明暗を加減したり
シアン・マゼンタ・イエローもキーボードで加減して色調補整を行うもの。

現像機やプリンターのマシンに入れる数種の液も自分たちで調合するので
それらも間違うことは許されなく、当時の機械の扱いは本当に大変でした。
それでも好きな絵に通じるものがあって、私はその仕事を気に入っていました。


写真屋常連のお客さんの中には、プロやセミプロの方もいて
彼等の難しい注文に応えるのは、大変面白く参考にもなったのですが
どんなに立派な写真家に撮られたものでも、対象に対する愛がない写真には
見る人の心を打つものがないことに気がついたのは、その頃でした。

特にペットの写真。
例えぶれていても、飼い主にだけ見せるその愛くるしい仕草は
プロだって絶対に敵わないと思う。

だから私も、下手なりに好きなものを撮ろうと思うのだけど(笑)
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森の中のティータイム

2007-05-26 | 写真画像
数年前まで、毎月幾つかの女性雑誌を欠かさず買っていた。
仕事上役に立つ記事も多かったし、好きなインテリアの特集があることが
一番の動機だったけど、それ以外にも
森でのピクニック、または野原にテーブルを置いての食事風景などが
掲載されていると、堪らなくなって買っていた。

特に10年以上前のM誌やSN誌は、写真が本当に素晴らしかった。
それらをそのまま切り抜いてファイリングしていたら、端の方など
ボロボロになっていて、今日それをスキャニングしてパソコンに保存した。
あ~文明って便利だなー(笑)


実は私のブログのタイトルになった「森の中の・・」は、
これらの写真が伝える、どこか懐かしく温かい、
私の思う幸せの象徴として選んだものなのです。

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老人はなぜ悲しげなのか

2007-05-25 | 思い・つれづれ
子供の頃、大人たちがみんな立派に見えた。
でも、自分が大人になってしまえば
そんな人ばかりではないことを知ってしまう。

自分の欲望のために悪事をはたらく人。
自分に利益をもたらしてくれる人に媚びる人。
力で弱い者をねじ伏せる人。
平気で嘘をつく人。
或いは善人であるかのように見えても
自分を守るために「黙る」人。

以前、新聞の大江健三郎氏のエッセーの中に
「老人はなぜ悲しげなのか」というタイトルのものがあった。
その中の一文に、胸を突かれる思いがした。
一様に老人の顔が「悲しげ」に見えることに対する
彼の見出した答えは、「未来への未練」

それは返らぬ過去への未練ではなく
「将来こういうことをやりたい、逆にこういうことが
起ってはならない、起りそうなら体を張ってでも
とどめたい、と考えている。それが、やりたいことは
できず、起ってはならないことが起りつつある。
その将来が、無念でならない。」
という思いからの悲しみなのだとあった。


老人になるまでもう少し時間があるけど、
要職にあるあらゆる人の起こす様々な不祥事や
地球規模の自然破壊が進む中、それらを知るにつけ
近頃はこんなちっぽけで脳天気な私でさえ、
多分きっと、悲しい顔をしているんだろうな。

昨晩、近所のアパートに猫と暮らすおばあさんと
昼間殆どその家の猫が過ごす我が家のベランダでの様子を
会話する機会があったので、つい未来の自分と重ねて考えてしまった;
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親になるということ

2007-05-24 | 家族友人
その夜私は、3歳か4歳の女の子が小児癌でなくなるまでの
実話に基づくひと組の親子の話をテレビで観ていて、
29年前の大学病院での日々を思い出していた。

私の初めての子供は元気な男の子だったけど、
臍ヘルニアがあり、それが腸との交通があると疑われた為に、
手術が必要だと診断された。
生後2カ月で入院する事になり、小児外科の病室で
私も3週間の間、折りたたみサマーベッドで寝泊りする
付き添い生活をした。
その日々の中で、様々な難病の子供や癌の子供たち
そしてその母親たちと知り合った。
お互いの病状を語り、私はただ聴いて受けとめるだけだったけれど、
悲壮感と共に不思議な連帯感や思いやりで満ちた空間を共有した。

手術の麻酔が醒めかかった息子の、小さな手に刺された
点滴の針を見つめていると、涙でそれがぼんやり霞んできて、
そのまま窓の外にふと目をやると、こちらを見ている白い鳩が
まるで天使の姿のように見えた。そして私は思わず祈った。
「神様、この子を助けてください。助けてくれたら
たとえどんな子になろうと、構いません」と。
その後退院までの不安定な病状の中で、何度祈ったことか。
だが、しかし、人は忘れるのだ。

(息子小学生時代の版画から)

月日は流れ、親不孝息子がそれを忘れさせるのだ。
まったくメールに返事もよこさず、電話も返してこない!
心配が過ぎて、ひとしきり腹を立てたあとで、
最終的に今日もこう思うことで、自分自身を納得させるのだ。
「あの時大変な難産で産み落としたあれは、
多分大っきなう●こだったに違いない」って;

殆ど連絡をよこさぬその息子は今、関東の会社で
多分元気に働いている。

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娘たち

2007-05-23 | 家族友人
数日前、家で絵を描いている方の娘が、果物カゴのバナナを手につぶやいた。
 「この冷蔵庫、そろそろバナナやねー」 
 私「?」
でもすぐに察しが付いた。
 「このバナナ、そろそろ冷蔵庫(行き)やねー」
と言いたかったに違いないって(笑)

そう言えばこの子が高校生の頃の話。
学校帰りに友人数人と何かをワリカンにした時のこと。
本人は「100円ずつだね、じゃあ」と言ったつもりが
 「100円ずつじゃね、だあ」って口をついて出たらしい。
 「だあ!?」
その場の全員から即座にツッコミ入れられたそうな(爆)
「だあ」もアレだけど、「じゃね」って、アンタ親父かい?

姉が姉なら、下の妹も変。
ゴールデンウィーク中にショッピングに行った時のこと。
可愛い雑貨のお店で、
「お母さん、お前がの・・は、ないんかね~」
娘の目の前には「オレガノ」の文字入りの白い瓶があった;
    orz

画像は、上の娘が下の娘の赤ちゃん時代の写真に落書きしたもの(笑)

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感性という名の贈りもの

2007-05-22 | 思い・つれづれ
私から見たら「そんなに恵まれていて何を贅沢な」
と思うくらい不満を言う人の話を、注意深く聞いてみると
そういう人は大抵、大事なものに気付かず
それを疎かにしていたり、ぞんざいに扱っていたりする。

私の夫だった人もそうだった。
大切なはずの家族よりも、自分の欲求のみを優先し、
それが叶わぬ時はDVに転じるようになった。
でも、彼が離婚に応じてくれたのは別居して10年も過ぎた頃。

そんな結婚生活の中でも、小さな「良かった」を探すことが
唯一私の特技(?)だったから、周囲の人には深刻な事態に見えず
今にして思えば、それが尚更夫の我が儘を増長させたのかもしれない(笑)

元夫は自分の稼いだお金は自分の自由にできるものだと思う人だったので、
こちらは金銭面でも大変だったけど、例えば高価なカーテンを買う代わりに
安くてシンプルな布を10メートル以上買って手作りし、
クッションなどの小物のカバーリングもお揃いにして楽しんだりする歓びを覚えた。

不満ばかりを言って生活するのは辛いし、
思いやりの心がない人の性格は、簡単には変えられないから、
自分の心の持ち方で乗り越えるしかなかったというのもある。
幸か不幸か、離婚に至るまでそのお陰で私は何とか乗り越えられたと思う。

私の場合はともかく(笑)
与えられた中で歓びを見いだすことが努力してもどうしてもダメなら、
その時は抜け出す努力を惜しんじゃいけない。

生きる歓びって人それぞれだから、価値観が違うことによる感じ方の
相違はもちろんあると思うけど、もしも自分の持っているものの価値に
気付かずにいて、飢餓感におそわれるのであるなら、
それは感性が鈍り曇っているせいで、とても不幸なことだと思う。

神から与えられた最も優れた贈り物である「感性」を磨いて
「嬉しい。楽しい。きれい。気持ちいい。美味しい。温かい。面白い。」
それを心から感じることで、人は幸せを味わうことが出来る。
もしもそれらの逆ばかり感じてしまうのなら、
多分魂がうんと疲弊しているのだから、
自分の歓べることが何かを思い出してみて欲しい。
ターシャ・テューダーが言うように、
歓びは自らの手で作り出すものなのだと、心の底から思う。

画像は近所のスーパーで出会った、ターシャのわんこと同じコーギーのちびたろう君。
飼い主さんを待ってる不安そうなお顔が可愛い♪
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エスパドリーユ

2007-05-20 | おしゃれ
毎年夏になると、似合いもしないのにエスパドリーユを履きたくなる。
十代の頃に観た映画で、ナタリードロンが履いていた白い紐を編み上げた
そのお洒落なエスパを見た時、何という可愛いサンダルだろう!と一目惚れした。

少し経って、日本にも入ってきた底のジュート部分が重いその靴は
22センチの私の足には、どれも大きすぎてブカブカだった。
やっと手に入れた私サイズのものは、かかとまでキャンバス地で覆われた
スリッポン型のシンプルなデザイン。とても気に入っていたけど
たった一度雨に打たれただけでジュート部分が縮み、
すぐに履けなくなってしまった。

それから何年も経ち、娘も年頃と呼ばれるようになった数年前
茶色のエスパを靴屋さんで見つけて、娘に履かせたくなり、衝動買い(笑)
でも、娘は変な靴だと言って見向きもせず、
私には大きすぎるそのエスパは、誰にも履いてもらえないまま
靴箱の中で静かに眠っていた。
それが今年、無印やスタジオクリップさんにはエスパがたくさん並んでいる。
LEEなどのファッション誌でも変わり種のタイプが取り上げられていた。

あのエスパを私は再び靴箱から取り出して、何とか私の足で履けないかと
眺めていたら、ふと気付いた!
そうだ・・ステッチを内側に縫い込んだら、サイズダウンできるかも
しれない!って。だってエスパは本来ステッチがある方が可愛いし!


で、数日後それは私の足でもおかしくないくらいのサイズに変身して
出番を待つことになった。ちょっとデコボコだけどご愛嬌(笑)
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