海外ドラマが大好きなワタシでも、日本のドラマにハマることもある。
「ゆとりですがなにか」では、小学校教師の山路(松坂桃李)が悩みつつも性教育の授業に臨み
その緊張した様子とは裏腹に、子供たちとやり取りしながら「本当の成長」の意味を語るシーン
などは何とも深く胸に響く。(黒板に男女の身体の違いを描いて、女性の胸の位置に戸惑い、
何度も描き直すというシーンに笑えたけど;)
「体と違って心の思春期は生きている限り続きます。だから大人も間違える。怠ける。逃げる。
道に迷う。言い訳する。泣く。他人のせいにする。好きになっちゃいけない人を好きになる。
すべて思春期のせいです。オトナも間違える。だから・・他人の間違いを赦せる大人になって
ください。」と締めくくると、普段から「ドーテイ」先生をからかう生徒たちも一瞬黙ったが
直後に「山路、遊ぼう!!」といつものように取り囲む。
「金八先生」の説教臭さがちょっと苦手な向きには、こちらが断然いいかも(笑)
ゆとり世代だけでなく、毎回、社会にもまれていく誰もが「あんたの正義はいったい何だ?」と
問いかけられているようで見応えがあった。
また意外にもハマってしまった「受験のシンデレラ」では小泉孝太郎演じる「余命宣告された塾講師」
が、いよいよ死期が迫りつつある時に、これまでの傲慢な生き方を振り返り、悔いの残らぬように周囲
の人々一人ひとりに向かって言っておきたい言葉を言うシーンが印象に残っている。
友人には「有難うの思い」元妻には「一緒に居たかった」という気持ち。
そして個人授業を行ってきた主人公の生徒には、一緒に車いすで屋上に出て「以前ちっぽけに見えた
この町の景色が、今はこの何処かにおまえや妻や仲間がいると思ったら全部愛おしかった」と語る。
いつの間にか人を愛し、見える景色が変わっていたんだと。
「死ぬってわかってからどうやって最期を迎えるかばかり考えてた。でも今は違う。どうやっていま生き
ていることを実感するか。それが大事なんだって」「おまえが俺のことを(大事だって)思ってくれる。
それが俺が生きているって証だ」
自分でもびっくりするくらい感動し、励まされた。
そしてこの二つ以外にもう一つ、最終回の録画を消せないでいるドラマが「ふれなばおちん」
好きだという気持ちが盛り上がった男性から「福岡に行く自分に付いてきてほしい」と誘われて心乱れる
主婦「夏」。「貴方のいない人生なんか要らない」の言葉はやはり嬉しく、一見、平凡な一主婦と若い男
性との恋愛ドラマのここが佳境なのかもしれないけれど、このドラマの見どころはまさにこの最終回より
一つ前のこの↓シーンだと私は思っている。(この回については少し
こちらの日記でも触れてます)
主人公が目を付けられてしまったパート先の店長に、理不尽な難癖を着けられている現場に、心配で見に
来た夫が現れ、店長の肩を掴む。
店「なんですかアナタ」 夫「済みません。私 上条です。日曜なんでちょっと寄ってみたら何か・・
話聴きました。いや・・店長さんも大変ですねぇ。これだけの店、パートさんだけで回さなきゃいけない
なんて。観たところ、応援の社員も呼んでもらえて無いようだし。なのに本部は無茶な要求ばかりして
くるんでしょう?それじゃ未熟なあなたがキャパオーバーになるのもわかりますよ。まだ若いですしね」
店「はぁ?あんた・・」
夫「でもそれは貴方とあなたの会社の問題で、時間給で働いているこっちには何の責任もないんだ。組織と
関係ない人間相手に憂さを晴らしても、あなたの労働状況は何一つ改善しない。だったら、本部に現状報告
の電話のひとつも入れなさい。あなたには言う権利がある。そしてその方がよっぽどあなたに・・」
と言いかけて、妻の方を観て
夫「もういいだろう。帰ろうか。お前、今日でここを辞めよう」と、妻の肩を押して帰ろうとして振り返り
「この件、、本当にウチに非があるならいつでも言ってきてください。会社に調査に入ってもらってきっちり
カタを付けましょう。それじゃ色々とお世話になりました。」と頭を下げるその背に向かって、店長が
「いい旦那なのにねぇ!」と大声で叫び、「カッコ良すぎて涙が出ますよ。こんなにいい旦那がいるのになぁ
奥さん、男がいるんだもんなぁ」と更に周囲に向かって「みじめですねぇ。あんたがそこまでして守ってやっ
てる奥さんは、平気であんた裏切って、夜に男と会ってるんですよ」夏に向かっても「ね?会いましたよね」
その後も口汚く言い放つ店長に
夫「そうですかね。そういうことができる人じゃないと思いますけど」
店「認めたくないですよねぇ。男としては」
夫
「そうですね。でもそれが本当かどうかってことはどうでもいいんですよ。この人には居てもらわないと
困るんで。ウチはこの人で回ってますから。なのでこういう職場は家族としては心配なので放っておけない。
あと言っとくけどね、あなたが観たことと、この職場とは何の関係もないんだ。そういうとこ、ちゃんと線
を引くのが真っ当な社会人と思いますよ。 じゃお騒がせしました」と妻の背をポンと叩いて一緒に去る。
夫の部下でもあるその男性も偶然その場に居合わせて一部始終を目撃していたが、夫のその立派な態度に
「俺の『好き』とか何の価値もないわ・・」と、うな垂れる。
こんな屈辱の場であっても、妻を守ることができる夫なんて、世間にはどれだけいるだろう。
役を演じた鶴見信吾さんまでがカッコよく見えたし、実際男性に心惹かれていても夫を裏切ることができな
かった妻の、根底にある夫への信頼が、この件でより確かなものとなったのだと思う。
先の都知事候補者の応援の場でライバル候補を
「大年増の厚化粧」などと侮辱して憚らないどこかの輩には
とうてい真似のできないことだろう。
若くなければ価値がないという女性蔑視以前に、スマートさに欠けるだけでなく「人として」悲しすぎる。
かつて一世を風靡した作品を生み出した「作家」の言葉とは到底思えない。
そして・・・今更だけど、先の歌舞伎役者さんの「不倫お詫び会見」でのこの発言も。
直後の三田寛子さんの「立派な妻の振舞い」で、話は逸らされてしまった形だけど、
この
不徳の致すところとは、何と便利でズルい言葉・・と感じた人は多いはず。
相手の女性はカリスマ的人気を誇る芸妓さんだとかで、忙しい身でありながら京都から
週に三回も会いに来るなんて、愛が無ければできないはずと思ってしまうが、この言葉
は女性を「遊び相手」だと軽んじているように感じられて、ご本人にはかなり屈辱的で
はないだろうか。
妻にしても、それで本当に夫への信頼を取り戻し、許せるのだろうか。
いずれにしても他人の私が心配することではないが(笑)以前のようには愛せない気がする。
自分を誤魔化したつもりでも身体の何処かに異変が起きることもある。大昔、私の姉が同じ
状況で夫を赦したものの、二年経ってやはり離婚したのはそういう理由だった・・・。
ドラマを観て、考えさせられたり救われたり☆