マイケル・ジャンクソンの死を、否が応でも認めねばならない追悼式。
ネット中継以外で生中継を観る事ができなかったことは、私にとって
或いは「良かったかも」と思っていた。
後日 、友人が録画して持ってきてくれた一部始終を見終えて
それが間違いだったことを悟った。
「マイケルジャクソンという存在」は、人々の前から間違いなく消えたのだ。
その死から、様々な憶測が飛び交うけれど、もう彼がそれに苦しむことは
ないし、「眠れぬ夜」はもう「永遠の安らかな眠り」に変わったのだ。
以前からファンの中には、そのファン暦の長さを自慢する人がいた。
たとえ途中忘れていたとしても、その期間を含めて「30年」という人や
マイケルの音楽を聴いたことがあるだけで、そこからファンと証する人も。
それなら私のトシの洋楽好きは略40年近いファン暦だ。
デビューしたときから、マイケルの可愛い声には惹きつけられたから。
教科書に落書きして、先生に叱られたこともあるくらい(笑)
でも、多くのファンクラブメンバーは、私同様ファン暦22年だった。
きっちりそう断言できるのは、87年のバッドツアーで来日した時の
放送を観て、その素晴らしさに魅せられた瞬間を自覚しているから。
でも、本当はファン暦の長さなんて全く関係ない。
年齢も性別も、どうでもいい。
彼を好きならたちまち意気投合し、初めて会った人でも
すぐに友人になれた。同じ映像を見て歓び、協力してビデオを
手に入れ、譲り譲り合い、大人までもがワクワクする特別な時間を
共有した。
協力し合って並び、全てのツアーチケットを手に入れることができ、
新幹線に乗り合わせてコンサートを観るための旅もした。
下は16歳から上は70歳までが一緒に友達として旅するなんて!
やがてネットという便利な媒体が出来たお陰で、簡単に映像も
手に入れられるようになったし、動かずしてチケットもやりとり
出来るようになった。代わりに、少しずつ、ファンの形も変わっ
た。仕方ないことなのだろうけど。
ファンサイトが出来ては消え、残りのきちんとした統率力のある
管理人の所へも、時折「アンチ」が出現しては争いに発展した。
便利さと裏腹にこの手のものが出てくるのは仕方ないけれど、そ
うではない人の中にも、違和感を感じることがあった。
裁判中にはアメリカに飛んだというだけで、何故かエラくなったと
勘違いし、現地に来ないファンを攻撃するような言葉を繰り返す人が
いたり、見栄えの良くない人をあからさまに仲間はずれにしたりと
いうことが、もれ伝わってきたことも。
また、「ファン界での、私の位置づけは・・」などと、意味も
ないことに価値を求めるファンも現れ、一部のファンに媚びる
ファンも出てきた。
自分の求めるものとの違いを感じた私は、ブログを始める時、
この場ではそれらのしがらみを一切断ち切ろうと思った。
もちろん私自身が「マイケル」という人から離れることなどあり
得ないけれど、その名を出すと、検索で知り合いのファンに見つ
かるという懸念から、これまで一度も名前を出さずにきた。
そう、亡くなった直後のあの日まで。
でも、その名抜きで自分の生活を語ることが、どれほど困
難なものか、このブログを綴り始めてすぐ気付かされた私は、
以後、
その人とか
スーパースターという呼び方で日記に綴った。
それくらい日常に「マイケル」が沁み込んだ中で育った娘が言う。
「お母さんたちほどのファンが行かんなら、誰が追悼式に行くん?」
確かにそうも思う。
チケットを手にしたのは、必ずしもファンばかりではなかったかも
しれない。
でも世界中には私たち同様、行けずとも「心が」その場にいたファンが、
大勢存在したことも事実だ。
スピーチやパフォーマンスはほぼ黒人で固められ、彼の人柄を語る
人たちの感動的な言葉にも涙したが、とりわけ胸にこみ上げたのは
その合間の僅かな静寂の中で会場のファンが「Michael,I love
you!」と叫ぶとまた別のファンが「I love you more!」と
返すシーンだった。
これはファンなら誰もが知っている、マイケルとファンが交わした
お決まりのやり取りなのだ。
彼はいつの時代もファンに優しかった。
優しすぎて勘違いする人もいたくらい。
しかし何年経とうとも、スターに有りがちな「ファンとの特別な関係」
など結ばないことも、私がマイケルを好きな理由のひとつだった。
この追悼式全てを観ることによって、私は彼の死を受け止めることが
できた。でも、これからも変わらず心の中に彼は存在し続けるし、
誰かのようにファン暦を数えたいなら、これからも一年一年増えてい
くのは確実だ(笑)
大切にしたいのは、きらめくような思い出だ。
私たちは共に裁判の勝利を願ってキャンドルに火を灯し、
メールでエールを送り、無実の主張に署名し、絵を描き
写真を送った。
また、報道の不正確さに抗議し、テレビ局にメールを送り
本番中にも何度も何度も電話で抗議した。
けれど、それは悉く無視され一蹴された。彼が死んでしまう
その日まで。
裁判中、私が分厚い封書で裁判の詳細をコピーして送ったO氏が
先日、番組の中で
「マイケルジャクソン裁判」を読んだという。
彼ははじめて知ったことのように「彼はメディアにかなり叩かれたん
だねー」と、まるで他人事の 様に言った。
自分たちがその片棒を担いだことには気付いていないのだ。
どちらにしても、もうマイケルは帰ってこないが、追悼式に
バーバラ・ウォルターズが出席していたことが、彼女が同様の番組作り
を批判し降板したことを今でも悔いていないという証明だと思った。
ただ悲しく気の毒なのは、純粋な「新しいファン」の人たちに
二度と生のステージでの彼を見せてあげられないことだ。
彼らに「伝説」を伝えて欲しかった。