コロナ感染拡大の為、3月のお彼岸以降仕事以外は出かけずレトロ散策もしていません。
3月中頃までの「移るかもしれない、怖い」という意識から
実は自分も無症状で「移すかもしれない」という危機感に変わり、とても電車やバスを使う街歩きは出来ません。
年寄りと同居しているし、仕事場には仲間もいる。何がどうなるかわからないから。
でもまぁ今年はおろか、昨年の夏以降の旅行・散策すら更新できていないので
この機にこもってアップ用の画像選び等しております。画像はとてつもなくある。
※仕事も都内は中止。
今回は今年1月の画像です。
本郷在住の頃、湯島はバスか自転車で通り過ぎるか、受験の時や年始に湯島天神へ行くくらいでした。
結婚して横浜や川崎に住むようになってからはほぼ行かず。
それが2012年くらいから純喫茶めぐりやレトロ散策をするようになって、
あれ?湯島もまだ古い建物残ってるなーと、違う目線で見るようになり。
特に大通り沿いの7軒長屋(5軒+2軒)は目を見張るものがありました。
しかし、、、
なんと5軒が取り壊されて2軒に(涙)右手の駐車場になったところに5軒あったのです。
Instagramで仲良くしてる方が教えてくれたのですが、残りも危ないと聞いてあわてて行きました。
新橋での仕事の休憩時間に。
ここにデザインの異なる看板建築が整然と並んでいました。
4/6現在まだストビューで見られます。
メダリオンも素晴らしい~
↓↓ちょっと暗いですが、現存時に撮った写真が見付かりました。
この2軒の向こうに(右手)同じような長屋があるのがわかりますでしょうか。
5軒の方です。左手は時計屋さんだったようです。
屋号と「文」というマーク?が剥がされています。
何屋さんだったんだろう。
屋号、右書きですね、でも読み取れない・・
どれかの1階部分。風情あります。
ここを通る時は友人が一緒だったり、急いでいたりで、まぁいつでも撮影できると油断してたかな。
このことがあって、さらに気持ちが焦るようになりました。
レトロ建築は撮りたい時に撮らなければ。
「次はない」と思え。
「次回の楽しみに」なんてことはしない。
純喫茶も含めて、レトロ探しは好きなように見て廻れるよう、なるべく一人で出かけるようにもなりました。
コロナで今は出歩けませんけども・・
終息したら見に行きたいところがいっぱいある。
それまで残っていますように。
ここの大通りから路地に入ると、見事な煉瓦建築や昭和初期の銅板建築もあります。
2019年の夏・冬に撮影したものも混ざっていますが、アップしておこうと思います。
上野広小路から湯島の間にある台東区立黒門小学校。
大正12年の関東大震災後による火災で前校舎は焼失、昭和5年に竣工した校舎ですがそれでも戦前です。
現存していることがすごい。一番上の窓がオシャレー
5年程前、仕事で「松坂屋黒門別館」というビルに立ち寄ったのですが、
このあたり公園や郵便局とかお店にも「黒門」という名称が多く、なんでだろうと思っていたら
戦前は「下谷区西黒門」という地名だったそう。
ここからも湯島駅に近いエリアです。出し桁造りの和風建築。
和風建築に合わせたような室外機。しかも右目室外機??
突如現れる銅板建築。元々は店舗兼住宅かな。
めずらしい銅板建築の喫茶店。
いつも閉まっているイメージですが、1回開いてたことがありました。
定休日はわからず。
こちらのタイル張りのレトロ建築も昭和でいい雰囲気。
そして、、、
この見事な煉瓦蔵!
初めて見た時はおぉ!って声に出た。
明治初期に建てられた煉瓦建築を、今はbarとして使っているようです。
まだ先ですが、2023年に取り壊しが決まっているとインスタのフォロワーさんが教えてくれました。
もったいない・・!
いつも自転車が植物に埋まってます^^;
かわいい鬼瓦がオブジェとしてここに。
こちらは住所は上野だけど、湯島駅の方が若干近い。
よく見るタイプですが、なかなか香ばしい看板建築です。
このあたりもまだまだ見たいレトロ建築あるけども、1日も早く日常が戻るよう、今はこらえて自粛の時。
「〇場硝子店」と思ったのですが、「場」が「壜」にも見えなくもないし…。
「壜硝子店」だと〇は篇?
…しっくりしないな…
もしかしたら、〇は、「箒」では…
と思って調べたら、「箒場(ほうきば)」という地名が青森にありました。
八甲田山に登るルートに、箒場岱ルート、というのがあったんです。
で、おそらく、「箒場硝子店」ではないかと思います。
よく読めましたね!!^^;
右書きだなぁと思ったけど、私は諦めました笑
もう解体された物件ですが7軒長屋が圧巻でした!