「無題」 (八)

2012-08-26 02:59:20 | 小説「無題」 (六) ― (十)

           「無題」


            (八)


 美咲が置いていったキルケゴールの本のおかげで通勤電車で退屈

しなくてすんだ。とはいっても、ポテトチップスをサクサク食うよ

うなわけにいかず、スルメイカをいつまでも噛みしめているようで、

わかったつもりで先へ進むと咀嚼されずに飲み込んだイカは嚥下

されずに再び口元へ吐き出されて、飲み込めない箇所に後戻りして

何度も読み直さなければならかった。例えば、「罪とは、神の前で

絶望して自己自身であろうと欲しないこと、あるいは、神の前で絶

望して自己自身であろうとすること、である」と書かれているが、

それじゃあ、いったいどうすればいいのかさっぱりわからなかった。

ところが、何回も同じところを咀嚼するうちに、「自分自身であろ

うと欲しないこと」というのは、自分との対話の中で、自分自身と

の関わりを放棄することであり、「自分自身であろうとすること」

とはそれとは反対に独我論に陥ることではないか。そこから「罪」

とは罪の意識から逃れることであり、或いは、罪の意識そのものを

認めようとしないこと、なのではないか。例えば、人を殺しておい

て自分は知らないと虚偽することであったり、或いは、あんな人間

を殺してなぜ悪いと自分を正当化することである。ところが、「神

の前で」が意識されなくなった時、相対化した世界の中で絶対への

意志からもたらされる絶望がなくなり、絶対は存在しないのだから、

虚偽や詭弁を用いることの疚しさを感じなくなる。恐らく、キルケ

ゴールは神への信仰が失われた時、つまり現代だが、絶望(精神)か

ら逃れた我々は、彼は冒頭で「精神とは自己である」と言っている

ので、自己を失い同時に絶望が消え失せ、しかし絶望とは自己にと

ってのある一つの基準なのだ、その基準を失った世界は矮小化し虚

偽と詭弁がたしなめられず、そして、遂には虚偽と詭弁を根拠に精

神を失くした自己を正当化するようになり、やがて人間は堕落する

に違いないと思ったのではないだろうか。ほら、自己(精神)を失っ

て嘘と詭弁を繰り返す原子力村の人々ように。

 おお、何時の間にか電車はもう降車駅に着いた。


                                 (つづく)


「無題」 (八)―②

2012-08-26 00:58:43 | 小説「無題」 (六) ― (十)


                 「無題」


                  (八)―②


 連休に入ると忙しくなるのは売場だけではなかった。足し算くら

いならできる手の空いた者は猫の手の代わりに店頭に駆り出されて、

人手を取られた事務所には私だけでは処理できないほどの伝票の山

が積み上げられていた。そんな朝早くから、かつての部下だった営

業の男、この男は吉田と言って私が店先で始めた野菜の百均市を引

き継いでくれていたのだが、彼からデンワが掛かってきた。もちろ

ん、それまでにも何度も並べる商品についての遣り取りはしていた

が、そして、その中には例のチョイ悪親父のトマトもあった。私が

「むかしのトマト」と表示するように言って並べさせたところ瞬く

間に売り切れて今では百均市の人気商品だった。それは今年は、と

は言ってもこのところ例年のことだが、春先の不安定な気候のせい

で品薄から野菜が高騰したことが大きな要因でもあった。私は、さ

らに、チョイ悪親父に薦められて、瓜のように巨大な地這いキュウ

リまでも置いたところ評判が良く月曜の百均市は盛況していた。た

だ、いくら良く売れるからといってもすぐに作れないのが自然の恵

みだった。

「どうした吉田?」

「すみません朝から。実は、仕入れの担当者からコンプレ(不満)受

けまして」

「何て?」

「勝手に増やすなって」

「ちゃんと仕入れを通してるだろ」

「それが、捌けるもんだから通さずに増やしたんですよ」

「どれだけ」

その量は当初よりは倍増していた。とはいってもチョイ悪親父も

三棟のハウスでまかなうには限界があった。吉田は、

「木下さんも、もうこれ以上は出せないってとは言ってました」

木下さんとはチョイ悪親父の名前だった。

「だろ?その程度なら問題ないさ」

私は、かつて任されていた仕事だったので事情はよく解った。つま

り、新たな仕入れ先からのものが売れるとこれまで取引していた仕

入れ先がいい顔をしなくなって仕入れしにく くなるということだろう。

「それで、店内のトマト落ちてんの?」

店先の百均市のトマトが売れると店内のトマトの売れ行きが落ちる

のは当然の成り行きだった。

「いや、そんなことはないですけど、ただ、今はものが少ないんで

様子が見えないですから」

「そうだよな」

さっきも言ったように、自然の恵みは思い通りにはならない。生産

者にしてみれば作った野菜をどこに出すかは前年実績に従って割り

振るしかない。小売業者にしてみれば仕入れを減らすことはこれか

らの仕入れが難しくなるのでそれだけはどうしても避けたい。流通

システムの中でそんな持ちつ持たれつの関係が築かれ、新規参入者

を締め出す装置になってしまっている。況して、それがオーガニッ

クや無農薬を謳うなら、農薬に頼った既存の生産者は厳しい目を向

ける。オーガニック野菜が人気になってもスーパーの店頭に並ばな

いのは量が足らないということもあるが生産者が量産できずに困る

ので締め出しているからなのだ。もっとはっきり言えば、農薬が売

れなくなる組合が困るから出荷の独占を盾にして締め出しているの

だ。もちろん薄利多売のスーパーもそれに同調している。しかし、

それらを根底で支えているのは消費者の購買動向である。


                                  (つづく)