「無題」
(六)―⑨
「もしよかったら、ウチの店に出しませんか?」
そう言って、私は自分の名刺を差し出した。大手のスーパーではな
いが、最近では、ま、あまり有難くないことでニュースにも出たり
して、関東近郊では以前から少しは名前は知られていた。
「はあ・・・」
彼は、しばらくその名刺に眼を落して考え込んでいた。私は、
「実は、・・・」
実は、私は身体を壊す前から、亡くなった創業者の先代社長の許
可を得て、大手スーパーの間隙を狙って毎週月曜日の週一回だけだ
が店頭で食材ばかりの「百均市」を催していた。その名の通り何も
かも単価を百円に均一して、その替わり量であったり全体の損益の
バランスを図って調整しなが、本当のことを言えば週末の売れ残り
を処分する為でもあったが、それでも客離れを食い止める為の採算
を度外視した特売セールだった。そうは言っても、毎回同じものを
並べていてはすぐに飽かれてしまうので、目玉商品を探すのに苦労
していた。自分から提案して余計な仕事を増やしたことが身体を壊
す一因にもなってしまったが、それでも諦められなかった。すでに
スーパー業界は棲み分けを終えてしまって、だんだん小さくなって
いくパイの奪い合いは、たとえ大手と言っても売上を確保するため
には他社とシェアを競い合う他なく、勢い価格競争がし烈を極め、
中小はその煽りを真面に受けて生死を分ける水面がすでに鼻孔の際
まで達していた。そんな限界状況の中で、経営を任されたバカ息子
らが産地偽装に手を染めたのも止むに止まれぬ事情からだった。弁
解に聞こえるかもしれないが、実際の作業の中で故意ではなくとも
結果的に表示ミスは頻繁に起こった。定められた善と悪の境界に立
ってやがて混交に迷い、遂には一線を画する原則を私情によって歪
めてしまった。実は、暴露すればそのような偽装は商いに携わる者
ならば多かれ少なかれ無縁であるはずはなかった。何故なら、そも
そも商売の原則とは安く仕入れて高く売ることであり、更にそれを
如何に上手く偽るかが求められる生業だからである。
自由競争が淘汰を繰り返して生まれた独占資本に支配された市場
では全てのモノに値札が付いてすでに社会主義社会の配給施設と変
わらないほどに画一的で退屈な店になってしまった。便利なだけの
コンビニや何でもあるが欲しいモノが何もないマクドナルドやユニ
クロのように、客はただ空腹を満たすため服を着るために仕方なく
訪れる。それらの配給所には何一つ新しいものは売られていない。
少なくとも市場の楽しさはない。我々は独占資本主義の下で急速に
競争原理が失われ社会が画一化して社会主義化している事実にまだ
気付いていない。つまり、資本主義とは「命懸けの暗闇への跳躍」
によって破綻を繰り返すものであるが、ところが、グローバル経済
の下で世界には暗闇そのものがなくなり、跳躍しない社会制度を資
本主義とは呼ばないのだ。かつて、跳躍に失敗した金融界を国家の
手で救ったことによって日本の資本主義は終わった。また、同じ理
由によって、リーマンショックから甦ったアメリカも、そして、今
まさに金融危機を立て直そうとするEUも自由を失い急速に社会主
義化するに違いない。価値を失ったものは淘汰される、その原則を
覆して資本主義は成り立たない。つまり、経済のグローバル化と共
に資本主義経済は終焉を迎えようとしている。そんな閉塞的な状況
を唯一破壊してくれそうなのが産地で営まれている直売所ではない
かと思った。そこにはまだいい加減な値札が付けられた怪しいモノが
堂々と並べられていた。外国の市場を訪れた他所者のように、ワク
ワクする好奇心が呼び覚まされた。少なくとも市場の如何わしさが
まだ残されていた。
「いいですよ、月曜だけなら」
彼によると、直売所はちょうど月曜日が定休日なので出荷先を探し
ていたところだったので新しい販路は願ってもない、と二つ返事だ
った。後は買値だったが、当然、一つ百円を越えるわけにはいかな
かったがほぼそれに近い金額を伝えると、「ほんとずら」と驚いた。
私はあくまでも採算を度外視した特売用の目玉商品であることを明
かして、つい最近まで私の片腕だった仕入れの担当者にデンワを繋
いで彼に代わった。
「買値はしかっり彼に伝えておいたので、後の送料だとか細かいこ
とはあの男が段取りしてくれるでしょう」
そう言うと、彼は頭を下げて、
「ありがとうございます」
と言ってから、美術館まで送っていく言うので、
「いや、もう美術館はいいですから、出来たらその産直所へ連れて
行ってもらえないですか」
「あっ、それなら今からそこへトマトを持って行くところですよ。
軽トラでもよかったら送りますよ」
もう充分歩いた私は、「実は、」と出勤途中に起きたことや帰りの
電車で寝過ごしたことなどを打ち明けて、
「いやあ、こんなところで商売がまとまるとは思わなかった」
そう言いながら彼が運転する軽トラの助手席に乗り込みながら、さ
っきまで会社を辞めようと決意したことなどすっかり忘れていた。
(つづく)