7月10日新国立劇場中劇場で、メノッティ作のオペラ「ブリーカー街の聖女」をみた(東京オペラフィル、演出:八木清市)。
原語(英語)上演。日本初演ではないが、日本では26年ぶりの上演の由(作曲家の生誕100年記念)。
スコアもストーリーも手元にないので、前日にネットであらすじだけ読んでみたが、何とも暗い話で、しかも終わり方がまた変わっている・・。
台本は作曲家本人によるオリジナル。
チラシに載ったあらすじは典型的な悪文。私が中学の国語教師だったら教材にして生徒たちに添削させるところだ。
曰く「病気で苦しむアンニーナの身には、その信仰心により神父の祈祷により奇跡が起こり、霊力を与えられている。
祭りの日に彼女の力を求める群衆に兄ミケーレは妹の衰弱を心配し必死に拒むが、その甲斐なく連れ出される。・・
兄と恋人デジデーリアが口論になり、勢いで彼女を刺し逃げ去る。・・・」
音楽は冒頭からいきなりドラマチック。
聖痕に触れると病気が治るとか、口のきけなかった子が「ママ」と言えた、とか、そういう話を聞いていると、
カトリックとは何かと考えさせられる。貧しさからくる人々の苦しみ。
兄と妹の議論が面白い。妹がキリストや大天使ミカエルに会ったということを兄は幻覚だと言う。
妹は勉強ができなかったので学校で「間抜け」と呼ばれていた。
兄「そんなお前がなぜ神に選ばれるはずがあろうか」
妹「私が神を愛しているから」
兄「神は人間じゃない。人間を愛するようには愛せない」
妹「でも私は人間よ。人間としてしか愛せない」
兄「神は全であり無だ」
妹「無など愛せない」
兄「・・修道女には絶対させない!」
この兄は「お前なしには生きていけない」とも口走る。それで聴衆にも少しずつ分かってくる。彼は妹を女として愛しているのだった!
いやあ変わったオペラです・・。
背景の朽ちかけたぎざぎざの壁が、場面転換後、後ろから見ると天使の翼なのだった(美術:土屋茂昭)。
第2幕は彼女の親友の結婚式。3人の男が花嫁を称える歌を歌う。その歌詞がイタリア語で、実に美しい。
やはり英語より音楽的だと改めて感心した。
アメリカのイタリア系移民のコミュニティ。イタリア語の新聞を読み、教会ではラテン語で賛美歌を歌い、神父の読み上げる
式文もラテン語。
ミケーレの心はデジデーリアに見抜かれる。彼女は言う、「私の愛は太陽のように明るい。でもあなたの愛は・・」
「妹を女として愛している!」さらにアンニーナを指さして言い放つ、「妹もそれを知っている!」と。
確かにそうらしい。この時のアンニーナの様子からも分かるし、そもそも彼女が恋人もなく、神の花嫁になりたいと一心に思い詰めること自体怪しい。
兄の気持ちをずっと感じて苦しんできたのだ。
アンニーナ役の女性は声量があってうまいが、英語の発音がよくなくて、何を言っているのかまるで分らない。
もっぱら字幕のお世話になったが、その字幕も時々意味不明な日本語でお手上げ。
修道女になるための儀式が興味深い。キャスター付きの扉が祭壇の前に運ばれ、それを本人が2度ノックし、「私の意志で」ここに来ました、と言う。
白衣を着るのは神の花嫁になることの象徴だろう。
見方によっては、兄ミケーレのライバルは神だ。オペラ史上唯一無二(?)の、これは妹を愛してしまった男の話!
いや、兄に愛されてしまった女の悲劇だ。こんな兄さんいなくてよかった、というのが正直な感想。
妹にとっては首につけられたくびきのようなものだ。
音楽はとても素敵だった。ストーリーは異色だがドラマチックだし、またいつかぜひやってほしい。
原語(英語)上演。日本初演ではないが、日本では26年ぶりの上演の由(作曲家の生誕100年記念)。
スコアもストーリーも手元にないので、前日にネットであらすじだけ読んでみたが、何とも暗い話で、しかも終わり方がまた変わっている・・。
台本は作曲家本人によるオリジナル。
チラシに載ったあらすじは典型的な悪文。私が中学の国語教師だったら教材にして生徒たちに添削させるところだ。
曰く「病気で苦しむアンニーナの身には、その信仰心により神父の祈祷により奇跡が起こり、霊力を与えられている。
祭りの日に彼女の力を求める群衆に兄ミケーレは妹の衰弱を心配し必死に拒むが、その甲斐なく連れ出される。・・
兄と恋人デジデーリアが口論になり、勢いで彼女を刺し逃げ去る。・・・」
音楽は冒頭からいきなりドラマチック。
聖痕に触れると病気が治るとか、口のきけなかった子が「ママ」と言えた、とか、そういう話を聞いていると、
カトリックとは何かと考えさせられる。貧しさからくる人々の苦しみ。
兄と妹の議論が面白い。妹がキリストや大天使ミカエルに会ったということを兄は幻覚だと言う。
妹は勉強ができなかったので学校で「間抜け」と呼ばれていた。
兄「そんなお前がなぜ神に選ばれるはずがあろうか」
妹「私が神を愛しているから」
兄「神は人間じゃない。人間を愛するようには愛せない」
妹「でも私は人間よ。人間としてしか愛せない」
兄「神は全であり無だ」
妹「無など愛せない」
兄「・・修道女には絶対させない!」
この兄は「お前なしには生きていけない」とも口走る。それで聴衆にも少しずつ分かってくる。彼は妹を女として愛しているのだった!
いやあ変わったオペラです・・。
背景の朽ちかけたぎざぎざの壁が、場面転換後、後ろから見ると天使の翼なのだった(美術:土屋茂昭)。
第2幕は彼女の親友の結婚式。3人の男が花嫁を称える歌を歌う。その歌詞がイタリア語で、実に美しい。
やはり英語より音楽的だと改めて感心した。
アメリカのイタリア系移民のコミュニティ。イタリア語の新聞を読み、教会ではラテン語で賛美歌を歌い、神父の読み上げる
式文もラテン語。
ミケーレの心はデジデーリアに見抜かれる。彼女は言う、「私の愛は太陽のように明るい。でもあなたの愛は・・」
「妹を女として愛している!」さらにアンニーナを指さして言い放つ、「妹もそれを知っている!」と。
確かにそうらしい。この時のアンニーナの様子からも分かるし、そもそも彼女が恋人もなく、神の花嫁になりたいと一心に思い詰めること自体怪しい。
兄の気持ちをずっと感じて苦しんできたのだ。
アンニーナ役の女性は声量があってうまいが、英語の発音がよくなくて、何を言っているのかまるで分らない。
もっぱら字幕のお世話になったが、その字幕も時々意味不明な日本語でお手上げ。
修道女になるための儀式が興味深い。キャスター付きの扉が祭壇の前に運ばれ、それを本人が2度ノックし、「私の意志で」ここに来ました、と言う。
白衣を着るのは神の花嫁になることの象徴だろう。
見方によっては、兄ミケーレのライバルは神だ。オペラ史上唯一無二(?)の、これは妹を愛してしまった男の話!
いや、兄に愛されてしまった女の悲劇だ。こんな兄さんいなくてよかった、というのが正直な感想。
妹にとっては首につけられたくびきのようなものだ。
音楽はとても素敵だった。ストーリーは異色だがドラマチックだし、またいつかぜひやってほしい。