令和2年8月22日(土)
滝 : 男 滝、女 滝
滝が夏の季語になったのは比較的新しく、明治以降である。
木々の緑の中から直下する滝の豪壮さや涼しさは、夏に相応
しい景といえるからで在ろう。
奈良時代、滝は「たぎ」と読み、瀬の急な斜面を流れ落ちる
水、つまり急湍(きゅうたん、早瀬)を言った言葉で、
今(現在)言われている「滝」は「垂み」と言われた。
平安時代(794年の平安遷都から≒400年)以降は、垂直
に落ちる水を「たき」と清音で呼ぶようになった。
滝が夏の季語になってから、他の季節の滝は春の滝、秋の滝、
冬の滝(凍滝)等と、季節の言葉を冠して用いる様になった。
滝の中でも水量が多く勢いがあり、音をたてて落ちる様な滝
を「男滝」、水量がそんなに多くなく優美で静かに流れる様
に落ちる滝を「女滝」という。
最近では、山奥等へ出かける機会が少なくなったが、名古屋
市内に在る徳川園や白鳥庭園には人口の滝が造られており、
吟行の折りによく目にし、ホットさせてくれる場所。
以前、三重県桑名市の奥、播磨という所に住んで居た。
周りは竹藪の多い所で、、、此処から北へ(電車で30分)
行った所に「養老公園」が在った。此処は岐阜県の養老山脈
の麓にあり、少し山道を行くと滝の音が聞こえてくる。
この地方では結構名の在る「養老の滝」である、、、
養老山脈の断層の崖に在り、高さ32m、幅約4mの滝。
緑生い茂る山中に忽然と滝が現れ、夏の暑さを忘れさせる。
養老の滝伝説
昔、美濃の国(岐阜県)の山奥に樵(きこり)の若者が住んで
いた。 大変親孝行な若者でしたがとても貧乏で、酒好きの父
親には滅多に酒を飲ませられぬ暮らしの日々、、、、
或る日、若者は何時もの様に山へ薪を採りに出かけましたが、
足を滑らせ、谷底へ落ちてしまいました。
気を失い、、、暫くして目覚め、、「喉が渇いた」と周囲を
見渡すと、岩陰から水の流れる音がします。 川に辿り着き、
見上げると、其処には大きな滝が、、、、、若者は水を掬い、
「ウム、これは、」それは今まで飲んだ事のない様な「お酒」
だったのです。「これは有難い」、若者は手にする瓢箪に酒を
汲み入れ、急いで家に帰りました。父親に瓢箪の酒を飲ませる
と、「オ、これは旨い、、」
息子は山奥での不思議な体験を父親に話ました。 父親は、
「いつも、お前が親孝行してくれるから、神様のご褒美じゃ」
やがてこの話が奈良の天皇に伝わり、大層感激され、若者へ
沢山の褒美を下された、、、、
そして天皇は元号を「養老」と改められ、滝の名前を「養老
の滝」と命名された。
今日の1句
山滝の岩肌を割き迸(ほとばし)る ヤギ爺