遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

お彼岸

2021-03-21 16:09:44 | 日記

令和3年3月21日(日)

お彼岸 : 彼岸会

春分の日・秋分の日を中日として、その前後三日ずつ

の七日間をいう。

彼岸は、梵語(古代インドの文語、サンスクリット)の

波羅の漢訳である仏教用語由来し、生死流転に迷うこの

世界、即ち此岸(しがん)に対して、煩悩の流れを渡っ

て到達した悟りの境地の意である。 この間を彼岸会と

呼んで、寺や墓に詣でたり、寺院では読経、法話を行う。

この風習は中国、インドには無く、日本では聖徳太子の

時代に始まったと言われる。

春秋二期の彼岸の時を涅槃彼岸に近づくための仏道精進

の期間として、中古以来盛んに行われて来たが、近世に

至り、宗教が幕府の統制下に置かれる様になって以降は

もっぱら葬式法要のみを事とし、祖先の追善供養習慣と

なった。

春の彼岸は単に「彼岸」と呼び、秋の彼岸は「秋彼岸」

「後彼岸」という。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる

ように、春は庭木が萌え、秋は秋草が盛りという良い

陽気となるので、野遊びを兼ねた墓参風景が随所で見ら

れる。

彼岸の墓地はよく清掃され、洗われた墓には新しい供花

が上がり、線香の匂い立ち込める。そうした中に何の事

情か、詣でる人の無い墓がヒッソリと立っているのは、

何とも哀れをそそる。

春は、彼岸を境に一気に春が定まるようである、、、。

昨夜から雨が降り続く、、、遂、出そびれて、午後に

カミさんが慌てて「牡丹餅」を買いに走る。

最近、茶請けには和菓子が良い(これも齢の所為か)

(それでも、娘の手土産のケーキも確り食べる)

 

今日の1句

お彼岸の牡丹餅買ひに奔りけり   ヤギ爺


選抜高校野球開幕

2021-03-20 16:37:12 | 日記

令和3年3月20日(土)

春の選抜高校野球開会式

第93回選抜高校野球大会が3月19日(金)開幕した。

新型コロナウイルスの影響で、昨年は春夏共に中止となり

今年はコロナ感染防止対策を行い、2年ぶりに開催された。

先ず、選手ろ大会関係者はPCR検査実施、1日の入場者数

を1万人以下にする。アルプススタンドは学校関係者のみ

1000人まで、鳴り物(ブラスバンド・メガホン等)の

応援禁止。飲酒禁止、入場時」検温、消毒実施等々。

開会式は午前9時、「パプリカ」の音楽に合せ選手入場、

今年は、第一目に対戦する6校(仙台育英、明徳義塾、

下関国際、健大高崎、北海、神戸国際大付)のみ参加。

入場・整列の後、他の26校は事前に入場行進を撮影し、

録画の画像を後方の大型ビジョンに写し出された。

高校野球は原則・高校生により運営され、開会式の司会

は、長崎日大高校3年の法蔵寺花映さんが勤める。

(NHK杯全国放送コンテスト参加の6千人から選出)

選手入場後・国旗掲揚が行われ、国家斉唱は菅谷茉友さん

(千葉県立幕張総合高校3年)が「君が代」を独唱。

(将来はミュージカルの舞台に起つのが夢とか、、、)

萩生田文部科学大臣の式辞、高校野球連盟の八田英二会長

の「コロナ過の中、大会運営には感染予防対策には万全を

きし、選手・関係者・入場者の皆さまの安全を優先、、」

との開会挨拶があった。

選手宣誓があり、この後の第一試合出場予定の仙台育英

高校のキャプテン・島貫丞選手(3年)が宣誓した。

春夏を通じて最も長い宣誓は力強く、聞く者すべてに

感動を与え、大会を応援したくなるものでした。

選手宣誓

「今日ここに、高校球児の憧れの舞台である甲子園が、

戻って来ました。 この一年、にほんや世界中に多くの

困難があり、そろぞれが大切な多くのものを失いました。

答えのない悲しみを受け入れることは、苦しくて辛い

ことでした。然し、同時に多くの事を学びました。

当たり前だと思う日常は、誰かの努力や協力で成り

立っているということです。感謝、有難う御座います。

これは出場校全ての選手、全国の高校球児の思いです。

感動、喜びを分かち合える仲間と伴に、甲子園で野球

が出来る事に感動しています。

希望、失った過去を未来に求めて、希望を語り実現す

る世の中に。 そして、この3月で東日本大震災から

10年となりました。

日本へ世界中の多くの協力や支援を頂き、仲間に支え

られながら困難を乗越え、10年前、あの日見た光景

から想像できないほどの希望の未来に復興が進んでいま

す。 これからの10年、私達が新しい日本の力になれ

るように歩み続けます。

春はセンバツから、穏やかで鮮やかな春、そして1年と

なります様に。 2年分の甲子園、一投一打に多くの

思いを込めて、プレーする事を誓います。

令和3年3月19日 仙台育英学園高等学校

           硬式野球部主将  島貫 丞

 

コロナ過、暗いニュースばかりが続く世の中、、、、

久しぶりに、若者の力強い言葉に感動を貰いました。

 

今日の1句

球児来て何やらうれし春の風   ヤギ爺

 


合格発表

2021-03-19 16:09:11 | 日記

令和3年3月19日(金)

合格発表

昨日(3月18日)は、県内公立高校の合格発表の日、

朝10時過ぎ、娘から電話があり「お父さん娘(長女)

が合格したヨ!」と、喜びの声、、、

中日新聞より、

 

二年前、娘の長男の合格の知らせがあり、長女への心配

(もし、落ちたらどうしよう、、、)が吹っ飛ぶ朗報。

昨年初めから新型コロナウイルスの影響で、感染防止から

学校閉鎖、外出禁止、テレワーク等と大変な騒ぎの中で、

受験生は相当なプレッシャーを受けていた、、

廻りもそれなりに気を使い、心配を顔に出せず、相応に

気苦労をしていた。学校閉鎖中は、塾も閉鎖、図書館等

も休館となる、、、家で、イライラが伝わり、、胸中を

察する。

何カ月ぶりかに孫が我が家を訪れた時にも、受験には

れず、、、、、、、 そんな中、よく頑張った。

娘からの電話に、、喜びをかみしめて(ホット一息)

ここ数カ月間、本人同様にこれが頭から離れずヤキモキ

していたのは事実である。

私達も、他人事ながら何だかやッと解放された気分。

毎年、各所で「入学試験」が繰り返される。

近年、生活水準の向上に伴い「高学歴社会化」が著しく

進み、有名校を中心に小、中、高から大学迄、入学試験

での競争が一段と厳しく、激しくなっている様だ。

何を隠そう、息子の長男(小6男児)が来年の中学受験

を目指すとか、、、、

他事ながら、小さな内から受験戦争へ、、、、、、

気の毒に思うのだが(本人も希望とか)、、、、

来春は、孫の中学受験と、高3男児の大学受験が

待っている。

マダマダ、この子等の春は遠い様だ、、、、

 

今日の1句

麗かや解放されて大欠伸   ヤギ爺

大欠伸 : おおあくび、疲労時に怒る呼吸運動


草 餅

2021-03-18 16:03:13 | 日記

令和3年3月18日(木)

草 餅 : 蓬 餅

蓬の葉(餅菜)を茹でたものを入れて搗いた餅に

餡を包んだ餅。

真っ青な草の色と蓬の香が食欲をそそる。

 

昔は、蓬の代りに春の七草の一つの御形(ごぎょう)

を用いたこともあった。

蓬を摘んで来て家でも餅を搗いて、野趣に富んだ香り

を楽しんだ事も在った様である。

市販で売られているものは、餡を包んだ草大福が多い。

餅に草を練り込む風習は、草の香りが邪気を祓う力が

あると信じられ、上巳の節句(雛祭り)に蓬を練り込

だ草餅を食べるという風習が、平安時代に中国から

伝わり宮中の行事となった。

江戸時代になると、女子の成長を祝う雛祭りとして、

庶民の間にも広まった。

今では家ではあまり作る事はないが、農村には残る。

蓬餅を餡で包んだものや、餡なしで黄粉を塗したもの

亦、普通の餅の様に餅をのして四角に切り、焼きもち

雑煮、善哉などでも食べられている。

切り餅

矢合観音、門前屋

門前やの草餅

数年前、吟行で出かけた矢合観音では草餅を土産にしたが、、、

 

今日の1句

草餅に心の揺るる日和かな   ヤギ爺


もったいない

2021-03-17 16:07:40 | 日記

令和3年3月17日(水)

もったいない 

物の本体を失する意、もともとは仏教用語で「勿体ない」は

元は「不都合である」「かたじけない」等の意で使われた。

その物の値打ちが生かされず、無駄になるのは惜しい。

棄てるのはもったいない。おしゃべりは時間が勿体ない等と

いう。

食品ロス

 

日本では古来から使われる言葉だが、2004年にケニアの

のワンガリ・マータイさんが「ノーベル平和賞」を受賞した。

2005年の「国連女性地位委員会」で、「もったいない」

という言葉を世界中に広めた。

自然や物に対する敬意、愛情等の意思(リスペクト)を伝え

る表現が見つからず、消費削減・再使用・再利用・尊敬を込

めた言葉として日本でよく使われる「もったいない」をこの

場で伝え、世界に共通する言葉として、出席者全員にこれを

唱和させ、世界中に「もったいない」が広まった。

宴会での食べ残し

 

今朝の中日新聞のコラム「中日春秋」に「もったいない」の

記述があったので紹介したい。

美食家の北大路魯山人は「残肴」(食べ残しの肴)を使った

料理を得意としていたという。客の食べ残しの再利用である。

北大路魯山人

 

工夫を加えて家族に出せば喜ばれる。魚の骨は犬にやればよ

いと、随筆で述べている。米の一粒にも役割はある。

生かさないまま捨ててはならないとも。用あるものはことご

とくその用を使い果たすところに天命はあるのだと思う。(春

夏秋冬:料理天国)

見直されている日本の「もったいない」に通じるところが有り

そうな精神だ。 最後の一滴まで、その使命を全うさせたい。

そんな願いが向けられているのが「新型コロナウイルス」の

ワクチンであろう。

 

廃棄される薬液を極力を産まない日本の注射器が、近く量産

されるという。 ファイザー社製のワクチンは一瓶五回分と

されていた。 

大手医療機器メーカーのテルモの注射器は薬液が残りにくく、

七回摂取が可能だそうだ。 量が増えるのと同じという事だ

ろう。 その注射器が上手く使えれば瓶の中のワクチンはそ

の使命を全うしよう。 

政府は調達を見送ったが、京都の病院からインスリン注射器

で七回摂取する提案も在った。感染の収束に向け有力な切り

札が他にない中、確保の遅れも懸念されるワクチンだ。 

インスリン注射器

 

注射器を巡る努力や工夫は厳しい現状の表れでもあろう。 

ただ「もったいない」の国の技術が生きたのだと思えば誇

らしくもある。

(中日新聞、3月17日朝刊コラム:中日春秋より引用した)

世界中で、中々ワクチンが手に入り難い中、一瓶の摂取量を

少しでも増やそうと、「もったいない」の精神が生きている。

 

今日の1句

もったいない様々なこと春朧   ヤギ爺