「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

 京都・奈良を中心に古刹・名刹や「花の詩」等の紹介。花や風景写真、オリジナルの詩、カラオケ歌唱など掲載しています。

イルミネーションの撮影で大失敗

2024年12月17日 22時41分35秒 | 日常のこと&写真
 毎年のように行っている城陽市イルミネーションの撮影にでかけた。その前にカメラのリチューム電池に充電。
 16時30分に出発、現地には17時5分前後に到着するはず。
 イルミネーション会場の駐車場に入ったのは17時11分と予定より6分ほど遅れた。
 点灯は17時30分なので露店を一回り。夕食代わりになる露店はラーメンと巻寿司くらいだった。ベンチで一休みしながらカメラの露出などを調整するためスイッチを入れたが、あれれ作動しない。なんでやねん、今朝充電したはずなのに。電池入れを開けてみると「あちゃーー」電池が入っていない。そうだ充電して充電器に電池を入れたままにして机の上に置いてきた!?ことを思い出した。あじゃばーだ。
 これでは撮影できない。せっかく来たのでスマホカメラで撮影することにしたがプリント写真の引き伸ばしにはサイズが合わず、年寄り用の楽々ホンでは画質が悪い。
 幸い駐車場入場券は25日閉会日まで何回でも使えるチケットなので、やむを得ないもう一度出直すことにした。ブログなどにはスマホカメラの写真で十分だが、ふれあいサロン等に展示する可能性のある写真なので撮りなおす。明日は妻とニトリモールへ。19日か20日になるが天候次第だ。
 帰宅して妻に話すと驚かない。チョコチョコあることなので「やっぱし」と思ったという。慎重派だが撮影に行くときは気がウキウキしているのでこのような失態は過去にもあったからだ。










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師走の楽しみに幕が下りた

2024年12月15日 23時37分16秒 | 日常のこと&写真
 ここ二週間ほど夕刻から夜にかけてのテレビは「忠臣蔵」三昧だった。今夜は高倉健主演の「47人の刺客」で監督が市川崑だったので妙に凝っていていつもの娯楽ものとはいささか異なっていた。市川崑監督というば東京オリンピック記録映画製作を任された監督だったが、彼独特の視線で映像を構成したため記録映像ではなくアート的だと指摘され編集しなおしを命じられた。そんな凝り性の監督なので暗いイメージさえある。「木枯し紋次郎」もそうだった。痛快な股旅ものとは描き方が異なるので好き嫌いはあろうが、「あっしにはかかわりござんせん」というセリフが受けて視聴率30%台と良かった。
 ま、そんなこんなでこの暮れの私の楽しみ「忠臣蔵」は幕を閉じた。




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おっかけの心境と同じ

2024年12月15日 00時46分59秒 | 日常のこと&写真
12月ともなれば昭和の人間にとって嬉しいテレビドラマが連日のように放映される。
特に私はアイドルを追い掛け回すのに似た心境で、毎年何度見ても繰り返し見続けるほどアホなのだ。
 そのドラマというのはご存じ「忠臣蔵」だ。12月初めから地デジでもBSの各局で放映を始める。昔の映画、長編ドラマ、単発ドラマ仕立てのものまで見ている。筋書きは見なくてもわかっているがそれでも見る。推しの歌手がどこで歌おうが追っかけて同じ歌を何度も聴き見るようなものだ。
 今夜は田村正和の「忠臣蔵その男大石内蔵助」で9時から11時25分まで長々と。
 明日の日曜日は「47人の刺客」高倉健の映画だ。たぶんこの映画で今年の忠臣蔵は打ち止めだろう。しめて5本も見てしまった。
 九州から進学で上京したとき、どうしても行きたかったのが高輪泉岳、いの一番で参拝した。
 保険会社に入社して自分の保険の初契約のときの契約日を12月14日としたほどイカレテルのだ。
 京都に赴任したときはもちろん大石神社や山科や密会の場所である今熊野へも。姫路に赴任したときは赤穂城へ行った。
 来週で私の年の暮れは終わり新年を迎える準備へと。


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思い出つづり

2024年12月14日 11時50分41秒 | 日常のこと&写真
30年前に綴った原稿の再編集をしているがようやく50話を通過した。保険の仕事にかかわる記事は削除し生き方論として編集している。
「思い出つづり」長文なのでスルーされても結構です。
 保険会社を自主退職し、それまで培ってきた経験を活かして生きてみたいと思った。ところが頼るつてもなく五里霧中の中で何をしたらよいのか思案に暮れながら、それまで30年の体験を綴り始めた。来る日も来る日も・・・。妻や子は黙してデスクに張り付いてワープロを打っている私を見つめて「働いてくれないかなぁー」という視線を背中に感じ取っていた。しかし私は「これをやり通すしかない」と強く心に誓っていた。2年半をかけて2巻の原稿を仕上げた。その一つを持って新聞社に売り込みに行った。その新聞社は保険業界新聞社で現役時代その新聞社発行の新聞を自分も購読していた。相手にとつてはかつてのお得意先だ。
 原稿をめくりながら「お預かりします」と一言。新聞社の編集長とコーヒーを飲みながら現状の保険会社について情報交換をして40分ほど過ごし社を後にした。
 しかし一向に返事がない。待つあいだ当座の暮らしがあることから何か仕事をみつけなければならない。私は一大決心をした。この先どのような暮らしになるかわからない。高齢者へと向かう年齢で、現役時代の恵まれた身分や環境の光が当たる仕事に就くことはできないかもしれない。「見栄」を捨てなければ生きていけないかもしれないと覚悟し日陰の労働にあえて飛び込んだ。汗をかき力仕事にも耐えた。よくいうブルーカラーの労働だった。これに耐えられなければ生きるすべが見つからないと頑張った。この仕事の傍らタクシーの運転手になることも想定し自動車試験場で二種免許の試験を受けた。一回5千円の受験料だった。5回受けたが落ちた。運転には自信があっただけに5回目に失敗した帰りやはり心が折れていて試験場前からタクシーで帰った折、運転手さんにその話をすると運転手さんは「試験場では趣味で取得しようと勘違いされたようですね。ドライバーになるのでしたらタクシー会社に入社して取得するとすぐ取れますよ」という。なるほどそういうことかと思った。切羽詰まった事情とでは受け止める方も違うのだろう。
 5回目も通らなかったことからタクシーの運転手さんの助言の通り、タクシー会社の門を叩こうかと思っていたところへ、私の後輩が勤めている保険業界新聞社から電話がはいり「先輩は書くことが得意でしたね」という。藪から棒に何かと思うと「実はわが社の編集長が急逝して困っているので内に来てくれないか」というのだ。私は即座に困ったが原稿を渡した新聞社からは何の返事もないしどうしようかと。すると妻は安定した暮らしがしたいので入社してという。誘ってくれた後輩に「この先、講演の仕事もするつもりなので二足の草鞋でもよいか」と注文をつけたところOKとの返事。次の日、上京し新聞社の社長と彼と新橋で面会、社長も気に入ってくれたようでその場で採用の返事と年俸を決めてくれた。現役時代の半分程度だったが暮らしには十分だった。見栄を捨てたつもりだが職種は常務取締役編集長という肩書となった。
 それから4か月後、原稿の返事が来て「わが社で買い取らせてほしい」とのこと。しかし書籍にできるかどうかを見極めるため新聞に連載させてもらうとし月2回の連載となり2年余り続いた。その間、購読者の評判もよく「書籍にしてほしい」とのメールなども入り連載が終了したと同時に出版となった。連載効果と図書との相乗効果で講演依頼が舞い込み編集長の仕事と多忙を極めた。そのころ太鼓チームも創設し自治会委員にもなっていたので自分の体が自分でないような日々、年月が続き今日へと。あれから30年、阪神淡路大震災の年の9月に退職したのだがあっという間の年月だった。




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駐車場解約手続き

2024年12月12日 11時16分39秒 | 日常のこと&写真
 先ほどマンションの管理事務所へ行き駐車場の解約手続きを済ませた。来年1月24日をもって所有権が失効する。古くからいる女性事務員さんが太鼓のことや写真撮影など不自由で寂しくなるのではと案じでくれた。遅かれ早かれこういう時が来るもので決心するとサッパリとし次の手立てをあれこれ考える性質だ。
 6番館南側にあるユッカが伐採されるという知らせが掲示板に貼られてあったので、管理事務所の帰りに行ってみた。いま白い花が咲いている時期なので花期が終わってから抜き取ってもよさそうだがそんなことおかまいなしかもしれない。可愛そうなのでたわわに咲き誇っている花をカメラに収めた。
 木曜日の朝は昨日愛犬が来たことから散らばっているワンコの毛を掃除機で吸い取る日にしている。各部屋も合わせて掃除するので30分の労働となるがさっぱりする。
 さて、これからすることもない・・・「朝目覚めたら新しい自分がある」の原稿編集をすることにしよう。休憩時はネットで間違い探しをする。これって認知症対策にもなるので毎日欠かさずしている。70歳以上は難問という別の間違い探しYouTubeもあるが、売り込み文句と異なって簡単簡単。いつもやっている方が難しい


                  京都圓光寺





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ふれあいサロン写真展示

2024年12月02日 21時50分57秒 | 日常のこと&写真
マンション福祉会「ふれあいサロン」から12月と1月の2か月間、私の写真個展を依頼されていたので今夕展示をした。
明日から住民に観覧してもらうことになっており、対象は主に一人暮らしのお年寄りたちが展示品を見ながら茶菓子を頂きおしゃべりで過ごすという場になる。
展示観覧は毎日午後から16時まで、12月は26日まで。1月は6日から30日まで展示する。私の場合、12月と1月の写真を入れ替えてみてもらうことにした。合わせて12点+1点展示。+1点は半切にしたやや大ぶりの写真。展示会などではこのタイプが通常で全紙もあるがプリント代の関係で半切にしている。残りはワイド四つ切。
 19時から展示を始め20時までかかった。額が右に歪んでるとか、左がゆがんだとか、額の間隔がとか、サロン係りの人たちがあれやこれやとやってくれた。私は見てるだけで写真の説明をしたり。


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マンション創立50周年誌作成 思い出原稿寄稿

2024年11月24日 10時36分58秒 | 日常のこと&写真
 自治会会長よりわがマンション創立50周年を記念して記念誌を編纂するから太鼓や文化祭についての経緯・思い出をつづった原稿を寄稿して欲しいと依頼された。
 どちらも私が深く関わっていたことからの依頼だった。
 太鼓の方はいささか思い入れがあるため長編になったことからここへの掲載はしない。

「文化祭の思い出」 
  「文化祭」を開催する切っ掛けとなったのは本部(自治会)委員の一言だった。 
その委員と写真を撮りに平等院へ出かけ、宇治川の畔でコンビニ弁当を食べているときのことだった。 
「yamaさん、私、夢があるんですよ。マンションには多彩な趣味をお持ちの方が多くいると思うんです、その人たちの発表の場の文化祭を開いてあげたい」と委員がつぶやいた。  
とても素敵な夢だと思い自治会長にそのことを話した。文化振興に関心を寄せておられる会長だったことから早速役員会に提案、本部役員の快い賛同が得られたことから、文化部長・副部長と協議、「やりましょう」ということになり会長のもと企画を練り始めた。4番館集会所を会場とし展示するボードをレンタル業者から借りることなど具体的に骨格が整い開催期日を決め「文化祭」と銘打ったがもう少し柔らかくした方がとい意見で「趣味の作品展」というキャッチコピーで掲示し会報にも掲載、作品を募集することとなったが「果たしてどれくらいの作品が集まるだろうか?」という一抹の不安が皆によぎった。 
 「作品応募者に金券を渡しましょうか」と意見がまとまり、1番館で営んでおられた薬局店と相談、金券引き受けを快諾してもらった。金券は500円と決まり作品応募者に配った。その影響ということでもなかったと思うが手芸をはじめ多くの力作が集まり、心配をよそに大盛況の初開催となった。 
 文化祭当日の朝9時、管内放送ののち児童を集め文化祭開催の「ふれ太鼓」を叩いた。ところが途端に「朝っぱらからうるさい」と苦情がきて即座に中止したという苦い思い出も。 
 当時、KCC(敬老クラブ)が発足したばかりで連携していなかったこともあり、個人からの作品となった。「文化祭をやりたい」とつぶやいた委員の一言からタウンの新たな文化の歴史がはじまった。その後、KCCも加わり4番館集会所だけでは作品が収まらず6番館集会所も加えた。 
 時を経て駅前モール街にアートギャラリーがオープン、集会所でのボードレンタル料負担もそれなりにかさんでいたことから、費用対効果から「ご近所の力作展」としてアートギャラリーに場所を移しギャラリーが閉鎖されるまで続き、再び集会所に場所を移した。 










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炬燵布団をデスクにかけた

2024年11月19日 18時45分22秒 | 日常のこと&写真
 昨日と打って変わって冬日に。昼前に妻と買い物へ・・・荷物持ちだ。
 帰宅して盆栽の五葉松の枯れた針葉を丁寧に枝から払い落し、散った針葉を塵取りでゴミ箱へ。春までにあと3回程度これを繰り返すことになる・・・
  「さむいねぇぇーー」というと妻が炬燵用のかけ布団を出してくれた。
 デスクは電気炬燵になっているのでパソコンなどを横において布団をかけた。まだコードを付けて電気を入れるほどでもないのでコンセントにはさしていない。
 炬燵布団をかけるだけでも足腰は暖かい。
 することもないので自分用のYouTubeを開いてチェックして過ごした。
 


「会いたい」沢田知可子
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娘のライブを聴きに

2024年11月17日 23時00分05秒 | 日常のこと&写真
長女のライブへ行った。
 生徒さんたちの発表会を共同開催しているA先生とのデュオ演奏会。音合わせ不足があったようだが息があった演奏をしていた。30分の演奏だったが楽しめた。15年ほどお世話になった海星学院時代の塾長が聴きにきてくれていてありがたい。私のフェースブックに載せた娘のエレクトーンの演奏を聴いてぜひ生演奏を聴きたかったと。演奏後、感動したとの言葉に感謝感謝。










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朝から腹が痛む

2024年11月16日 21時16分38秒 | 日常のこと&写真
朝起きた時からシクシクと腹が痛む。4月の内視鏡検査のとき胃が荒れている指摘されていたが痛むということもなかった。8月下旬ころに今朝と同様の痛みがあり「征露丸」を飲んだことがあった。それ以来のこと。朝食は食べたが腹痛が続く。寝冷えというこも考えられるので布団を敷き病人らしく安静に寝ることに。体温は36度7分で微熱ということでもないが35度7分前後が近頃の平均なので一度ほど高い。
 狭心症予防と血糖値のための薬をのんでいるので服用後2時間を経過したところで征露丸。服用後40分ほど経過したところから痛みが少し和らいできた。
 今日は一日寝ていようと・・・。昼食を抜いて寝ていた。
 夕食のころはほぼ平常に戻ったが軽く食するだけで済ませた。
 することもないのでスマホLINEの画像の整理をした。ギガ数が小さいので画像が多くなるとフリーズしたり立ち上がりが遅くなっていた。太鼓の画像をUSBメモリーに保存し削除。
 グウタラな一日を過ごすことになったが、昼食を控えたことから身体が楽になったような気がする。ちょっと腹回りが太くなっていたので丁度よかった。たまには絶食も良しとするか。
 会社を辞める時、思案に明け暮れて精神的にやつれたこともあり、その時はゲッソリ痩せて頬もこけ7キロほど痩せたものだった。痩せるには小食になることよりも精神的に病む方が痩せるということを知った。




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