京都を舞台とした映画・テレビドラマで必ず背景として登場するのが、二年坂近くの「八坂の塔」とその街並みにある「石塀小路」である。
「八坂の塔」として知られる「法観寺」は、飛鳥時代の592年、聖徳太子が如意輪観音の夢告により建立し、仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したという説や、平安京遷都以前、朝鮮から渡来した八坂氏の菩提寺として創建されたという説もある。創建当初は延喜式7ケ寺の1つで四天王寺式の大伽藍を構える壮大な境内を持つ寺院であったという。
八坂の塔(重要文化財)は、永享12年(1440)に足利善教(室町幕府第6代将軍)によって再建されたもの。他の伽藍は応仁の乱でことごとく焼失したが五重塔だけが残ったという。内陣には五智如来が安置されている。京都における仏教文化の起源ともされ、日本における仏舎利信仰の原点とされている。
五重塔は高さ49㍍、6㍍四方の本瓦葺で東寺、興福寺の五重塔に次ぐ高さを持つ純和様建築で、初層から四層までに高欄がなく五層にだけあるという特徴を有し、円形舎利孔、石蓋孔、凹柱座のある3段式にて飛鳥時代(白鳳)の様式を留める。中心の礎石は創建当初のものが残っておりそのまま使われている。初層内部には大日如来を中心とする五智如来像を安置する。塔の中は公開されることもあり礎石の上の心柱や諸仏を見ることができる。また階段を二層目まで登ることもでき窓から京の町並みを眺望できる。
塔内部他の堂塔としては、太子堂、薬師堂、茶室があり、太子堂には、聖徳太子の3歳と16歳の像がある。薬師堂には本尊の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、夢見地蔵、さらに12神将像が安置されている。茶室は五重塔の風鐸の音を聞くことができることから聴鐸庵という。風鐸とは塔の軒先に吊された風鈴状のもの。また、境内には光考天皇の外祖母で藤原教子の墓といわれ、延喜式にも記述がある八坂の墓、木曽義仲の首塚もある。他に八坂の塔にまつわる話題のひとつに「一条戻り橋」伝説で知られる三好浄蔵の話がある。八坂の塔が傾いた時にその法力で、その傾きを直したと伝わっている。
所在地:京都府京都市東山区清水八坂上町388。
交通:JR京都駅から市バス206系統、東山通北大路バスターミナル行きで清水道下車、徒歩5分。
「八坂の塔」として知られる「法観寺」は、飛鳥時代の592年、聖徳太子が如意輪観音の夢告により建立し、仏舎利を三粒を収めて法観寺と号したという説や、平安京遷都以前、朝鮮から渡来した八坂氏の菩提寺として創建されたという説もある。創建当初は延喜式7ケ寺の1つで四天王寺式の大伽藍を構える壮大な境内を持つ寺院であったという。
八坂の塔(重要文化財)は、永享12年(1440)に足利善教(室町幕府第6代将軍)によって再建されたもの。他の伽藍は応仁の乱でことごとく焼失したが五重塔だけが残ったという。内陣には五智如来が安置されている。京都における仏教文化の起源ともされ、日本における仏舎利信仰の原点とされている。
五重塔は高さ49㍍、6㍍四方の本瓦葺で東寺、興福寺の五重塔に次ぐ高さを持つ純和様建築で、初層から四層までに高欄がなく五層にだけあるという特徴を有し、円形舎利孔、石蓋孔、凹柱座のある3段式にて飛鳥時代(白鳳)の様式を留める。中心の礎石は創建当初のものが残っておりそのまま使われている。初層内部には大日如来を中心とする五智如来像を安置する。塔の中は公開されることもあり礎石の上の心柱や諸仏を見ることができる。また階段を二層目まで登ることもでき窓から京の町並みを眺望できる。
塔内部他の堂塔としては、太子堂、薬師堂、茶室があり、太子堂には、聖徳太子の3歳と16歳の像がある。薬師堂には本尊の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、夢見地蔵、さらに12神将像が安置されている。茶室は五重塔の風鐸の音を聞くことができることから聴鐸庵という。風鐸とは塔の軒先に吊された風鈴状のもの。また、境内には光考天皇の外祖母で藤原教子の墓といわれ、延喜式にも記述がある八坂の墓、木曽義仲の首塚もある。他に八坂の塔にまつわる話題のひとつに「一条戻り橋」伝説で知られる三好浄蔵の話がある。八坂の塔が傾いた時にその法力で、その傾きを直したと伝わっている。
所在地:京都府京都市東山区清水八坂上町388。
交通:JR京都駅から市バス206系統、東山通北大路バスターミナル行きで清水道下車、徒歩5分。