近鉄京都線竹田駅で下り、住宅街の中を歩いて行くと、こじんまりとした不動院がある。古刹という印象より典型的な町中の寺院という雰囲気を漂わせている「北向山不動院」である。
大治5年(1130)鳥羽上皇の勅願により鳥羽離宮内に創建、伝教大師(最澄)によって開山されたと伝わり、本堂に大師が自ら刻んだ不動明王を王城鎮護のため北向きに安置したので天皇から北向山不動院の名を下賜された。
久寿2年(1155)に播磨国大国の庄を寺領として、藤原忠実が中興にあたったが、のち応仁の兵火で焼失したが、朝廷の保護厚く近世に復興した。現在の本堂は正徳2年(1712)に東山天皇の旧殿を移築したもの。境内鐘楼にかかる梵鐘は二品済深親王の御銘があって、元禄7年(1694)名士名越浄味によって鋳造されたと伝わる。
御詠歌は「はるばると したいきたれる きたむきざん いままのあたり おがむうれしさ」
所在地:京都市伏見区竹田内畑町36。
交通:JR京都駅より近鉄京都線に乗換え、地下鉄と共有の「竹田駅」下車、6番出口を出て徒歩約10分。
大治5年(1130)鳥羽上皇の勅願により鳥羽離宮内に創建、伝教大師(最澄)によって開山されたと伝わり、本堂に大師が自ら刻んだ不動明王を王城鎮護のため北向きに安置したので天皇から北向山不動院の名を下賜された。
久寿2年(1155)に播磨国大国の庄を寺領として、藤原忠実が中興にあたったが、のち応仁の兵火で焼失したが、朝廷の保護厚く近世に復興した。現在の本堂は正徳2年(1712)に東山天皇の旧殿を移築したもの。境内鐘楼にかかる梵鐘は二品済深親王の御銘があって、元禄7年(1694)名士名越浄味によって鋳造されたと伝わる。
御詠歌は「はるばると したいきたれる きたむきざん いままのあたり おがむうれしさ」
所在地:京都市伏見区竹田内畑町36。
交通:JR京都駅より近鉄京都線に乗換え、地下鉄と共有の「竹田駅」下車、6番出口を出て徒歩約10分。