「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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大悲山「峰定寺」(ぶじょうじ)

2008年10月21日 14時54分21秒 | 古都逍遥「京都篇」
 鞍馬をさらに北へ、花背で最も奥深い山中、清流に面した急斜面に立つ日本最古の舞台造建築として知られる本堂をもつ大悲山「峰定寺」は、仁王門から20分くらい石段を登り、一息つきたくなる所からふと見上げると、まさに崖に張り付くように凛とした勇姿の本堂が見える。

 「源平衰勢記」に名をとどめる峰定寺は、大峰熊野の修行者、観空西念が鳥羽法皇の帰依を受けて、大悲山に久寿元年(1154)に建立、白檀の二尺の木造十一面千手観音像(像高31.5㌢)を安置し本尊とした。
 奈良の大峰山に対し北大峰と呼ばれ、古来修験道の道場となっている。舞台造りの本堂や仁王門は室町時代の建物で、重要文化財に指定されているほか、不動明王、毘沙門天、釈迦如来像、金剛力士像なども重要文化財になっている。

 周辺は古くから落人の隠れ里で、流罪となった俊寛の妻子が近くの谷で病没したため、俊寛と妻子の供養塔もある。大悲山は、京都の中心部から北へ35キロほど離れた丹波山地の東南部に位置し、桂川の源流も流れる自然豊かな場所に位置しており、春は石楠花、秋は紅葉の名所でハイキング客でにぎわう山岳信仰の霊境となっている。

 本堂から奥は修行場の岩場もあるとのことだが、これ以上奥へは行けない。
 見回すと崖に鎖がぶら下がっていたりして、修験場の雰囲気は感じられる。境内から東に行くと、周囲一七・八㍍の巨大な三本杉や、参道の大杉、仁王門そばの槙の木など名木も多い。
 本堂は方五間、寄棟造の柿(こけら)葺の懸崖造り。蟇股、破風の懸魚、鰭(ひれ)、格狭間など古建築の趣を残している。特に鰭は現存最古のもの。
 貞和6年(1350)再建の仁王門(重文)は、二躰の良元作木造彩色金剛力士立像(長寛元年/1163)が安置されている。
 阿伽井(重文)、日本現存最古の供水所で、一間四方のすっきりした軽快な建物、これだけでも見る価値あり。
 近世には峰定寺は荒廃していたようだが、延宝4年(1676)、時の後西上皇の勅により、上皇の皇子である聖護院宮道祐親王が貴船成就院の元快に命じて、伽藍を再興したという。以後、峰定寺は聖護院末の本山修験宗の寺院となった。なお、再興時期については享保年間(1716-36年)とする資料もある。

 仁王門から奥は入山料が必要で、ここから先は撮影不可(撮影機器はすべて寺に預けないといけない)。

 収蔵庫は平素は非公開で、例年5月3日前後と11月3日前後の3日間及び9月17日(採燈護摩供という行事のある日)のみ公開される。

 所在地:京都市左京区花背原地町772。
 交通:京都バス32系「大悲山口」より徒歩30分(1日4~5往復、出町柳から1時間40分)。
 入山:冬季(12~3月)と荒天時閉山。団体・子供入山禁止。仁王門から奥は大人500円、駐車場あり。

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