「古都逍遥 京都・奈良編」「花の詩」「日常のこと」や花や風景写真

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「御霊神社」(南都御霊神社)(ごりょうじんじゃ)

2011年07月20日 22時01分17秒 | 古都逍遥「奈良篇」
 小さな社だが牡丹が美しいと聞き出向いてみた。
 「御霊神社」と称する神社は、日本各地に多数あるが、奈良県内にも数か所あり、中でも最も有名なのが元興寺跡の南西に鎮座する御霊神社である。

 西紀寺町の祟道天皇社とともに南都二大御霊社とされ、元興寺南大門前にあったといわれている。桓武天皇の代、延暦19年(800)に宇智郡霊安寺から勧請したもので、御霊会が執り行われていた。本殿には井上皇后と他戸親王が祀られており、西神殿には、伊豫親王・橘逸勢・文屋宮田麿、東神殿には早良親王・藤原広嗣・藤原大夫人が祀られ、いわゆる八所御霊神社が奉祀されている。

 宝徳3年(1451)10月、火災に遭い元興寺金堂などほとんどが焼失してしまったが、その後、遺存した大塔・観音堂とともに、御霊神社も現在の地に遷宮されたという(『奈良坊目拙解』)。
 疫病が流行したときには中街道には井上内親王、上街道には早良親王、下街道には他戸親王の神輿を据えて疫魔の流入を防いだと伝わっており、いまも七十カ町、五千余軒の広い氏子層をもち、健康長寿・家運繁昌・平和の神として広い範囲にわたる信仰を集めている。

 さて、怨霊とは、政争での失脚者や戦乱での敗北者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊である。怨霊は、その相手や敵などに災いをもたらす他、社会全体に対する災い(主に疫病の流行)をもたらす。古い例から見ていくと、藤原広嗣、井上内親王、他戸親王、早良親王などは亡霊になったとされる。こうした亡霊を復位させたり、諡号・官位を贈り、その霊を鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」として霊は鎮護の神として平穏を与えるという考え方が平安期を通しておこった。これが御霊信仰である。(Wikipedia「御霊信仰」より引用)

 お目当ての牡丹だが、期待した牡丹は一株しかなかったが、灯籠や石碑などと妙にマッチしており、カメラ愛好家たちがしきりにシャッターを切っていた。また、塀ごしに見える八重桜は少し盛りを過ぎたところだったが、「日本画」を見る思いで、沢山の観光客がカメラを向け堪能していた。

 所在地:奈良市薬師堂町24。
 交通:JR奈良駅から徒歩25分、近鉄奈良駅から徒歩15分。
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