今月と来月の練習は1回きりだ。会場が取れなかったため止むをえない。
今日の練習課題は創作曲「枚方風情くらわんか船」を中心に各曲のおさらい。
今年、かつて重要な旅の手段だった京都伏見から大坂天満橋八軒屋までの船便「三十石船」の運行を復活させることになった。万博のインバウンドを目的にした観光船にするためだ。その航路で重要な船着き場となっていた「枚方宿鍵屋」(東海道56番宿場・ブラタモリで取り上げていた)は歴史的にも語り継がれている船宿で、広沢寅蔵の浪花節「清水次郎長伝」で森の石松が船中で「江戸っ子だってねぇ 食いねえ食いねぇー寿司食いねぇー。清水一家で一番強えーのはだれでぇー・・・」と語る場面はこの淀川三十石船の船中でのこと。そして寿司は「くらわんか船」が売りつけた寿司と思われる。「くらわんか船」は天下御免のもの売船で、いまでは嵐山の堰でみられる物売り船と同じようなものだ。
雑言、悪態をついて押し売りしたようでその雑言も許されていたようで、枚方宿鍵屋浦で商いをしていた。その三十石船とくらわんか船の光景を曲に描いてみた。
曲作りのとき資料館として残っている鍵屋を何度も訪ね鍵屋から淀川を見つめながら曲想を練った。あらかたできのが2011年、それからしばらく演奏しなかったが、三十石船が復興すると知り、作風を作り変え篠笛も入れた。賑やかパフォーマンスを取り入れ楽しく演じられるように工夫。
「ここはどこじゃと船頭さんに問えば ここは枚方鍵屋浦 鍵屋浦には錨がいらぬ しゃみや太鼓で船止める」とナレーションを入れ、締太鼓がテンポよくリズムを刻み、三十石船が川下りしてくる光景を演じる・・・。そして中間にくらわんか船の船頭の雑言を入れる「くらわんかーくらわんかー ごんぽじゅる(ゴボウ汁)ごんぼじゅるくらわんかー あんころ餅どうじゃ お寿司はどうじゃ 銭がないからよー食らわんか くらわんかー食らわんかー さぁーささーあさみんな起きなハレー(船中で寝ている人を起こすもの) それそれそれそれ」と口上を声高に張り上げるというもの。この語りは資料館でテープで流されているのを再現した。ナレーションも口上も声の大きい私が担当。
この曲をイベントなどで演奏しまたYouTubeにアップ、わがチームを知ってもらい枚方に「くらわんか船」をテーマにした曲があるとPRしたい。完成までにもうしばらくかかるが、いずれか枚方宿の船着き場で演奏することを夢見ている・・・・
今日の練習課題は創作曲「枚方風情くらわんか船」を中心に各曲のおさらい。
今年、かつて重要な旅の手段だった京都伏見から大坂天満橋八軒屋までの船便「三十石船」の運行を復活させることになった。万博のインバウンドを目的にした観光船にするためだ。その航路で重要な船着き場となっていた「枚方宿鍵屋」(東海道56番宿場・ブラタモリで取り上げていた)は歴史的にも語り継がれている船宿で、広沢寅蔵の浪花節「清水次郎長伝」で森の石松が船中で「江戸っ子だってねぇ 食いねえ食いねぇー寿司食いねぇー。清水一家で一番強えーのはだれでぇー・・・」と語る場面はこの淀川三十石船の船中でのこと。そして寿司は「くらわんか船」が売りつけた寿司と思われる。「くらわんか船」は天下御免のもの売船で、いまでは嵐山の堰でみられる物売り船と同じようなものだ。
雑言、悪態をついて押し売りしたようでその雑言も許されていたようで、枚方宿鍵屋浦で商いをしていた。その三十石船とくらわんか船の光景を曲に描いてみた。
曲作りのとき資料館として残っている鍵屋を何度も訪ね鍵屋から淀川を見つめながら曲想を練った。あらかたできのが2011年、それからしばらく演奏しなかったが、三十石船が復興すると知り、作風を作り変え篠笛も入れた。賑やかパフォーマンスを取り入れ楽しく演じられるように工夫。
「ここはどこじゃと船頭さんに問えば ここは枚方鍵屋浦 鍵屋浦には錨がいらぬ しゃみや太鼓で船止める」とナレーションを入れ、締太鼓がテンポよくリズムを刻み、三十石船が川下りしてくる光景を演じる・・・。そして中間にくらわんか船の船頭の雑言を入れる「くらわんかーくらわんかー ごんぽじゅる(ゴボウ汁)ごんぼじゅるくらわんかー あんころ餅どうじゃ お寿司はどうじゃ 銭がないからよー食らわんか くらわんかー食らわんかー さぁーささーあさみんな起きなハレー(船中で寝ている人を起こすもの) それそれそれそれ」と口上を声高に張り上げるというもの。この語りは資料館でテープで流されているのを再現した。ナレーションも口上も声の大きい私が担当。
この曲をイベントなどで演奏しまたYouTubeにアップ、わがチームを知ってもらい枚方に「くらわんか船」をテーマにした曲があるとPRしたい。完成までにもうしばらくかかるが、いずれか枚方宿の船着き場で演奏することを夢見ている・・・・
「清水次郎長伝」の森の石松の有名な台詞の由来は底だったのですね。
そして『ここはどこじゃと船頭さんに問えば・・』の舟歌など昔の人の心情、風情なども語り継がれているってことは情緒もあり良いことですよね。
現代っ子たちがこうして太鼓を通してよき昔を知り、大切の思うことも良いことですよね。
>今晩は。コメントいつもありがとうございます。
創作したころ数度演奏したのですがさほどの評価もなく悠長なテンポだったので自分自身がだんだん気乗りしなくなって長い間お箱入りでした。
そして三十石船が復活するときき曲想が練り直してテンポのよい愉快な振りも入れて楽しめる曲にし稽古に励んでいます。
ナレーターを入れたり口上を入れたりして枚方宿の歴史を知ってもらおうと企んでいるところです。
幸いNHKのブラタモリで枚方宿、東海道56番目宿場をとり上げていたので地区外の方も枚方宿を知ることができただろうと。家康が整備した京都三条から延伸した大坂天満までの東海道は秀吉が造成した京街道を宿場として整備しなおしたもので、土地の者は京街道として認識しているんですよ。
この太鼓曲を通して枚方の歴史が伝えられたらと思っています。