やまちゃん奮闘記

1970年代から海外に出かけ、滞在した国が合計26か国、21年の海外生活が終わりました。振り返りつつ、日々の話題も、

南京地下鉄車内で孫にうんちをさせた祖父母、母親は自ら謝罪

2013-09-01 | 乗り物
28日、南京地下鉄2号線内で股割れズボンの男児に排泄させた光景を見るに堪えないと、ネット上に上げられ、話題となったいた。(=>網易新聞

30日、事件を知った子どもの母親は南京市地下鉄警察に自ら電話して謝罪し、処罰を受けたいと申し出た。


母親は最近、入院して手術を受けたばかりで子どもの世話を祖父母にお願いしていたが、持っていた紙オムツでうんちは拭き取ったと話している。謝罪を受け入れた警察は自ら罪を認めたことをかんがみ、処罰しない方針を示している、と。

いかに緊急と言えども、この写真はやはり見るに堪えないですね。(ー_ー)!!

南京地下鉄の手荷物検査、終了!?

2013-09-01 | 乗り物
南京の地下鉄1号線・2号線全線で、改札口での手荷物検査が8月1日から始まっていたが、アジアユースゲームが26日に終了したので、これに伴い、検査の方も終了となった。(=>南京新聞)。

これまで、化粧品を入れた女性のバッグなどが引っかかっていて、評判が悪かった。
今後はどうするのかな?

今の設備は、来年夏のユースオリンピックまでおいておいて、検査をまた再開かな?

在中日本人108人の「それでも私たちが中国に住む理由 」 8月30日発売

2013-09-01 | 歴史・文化
2012年9月の反日デモ激化から1年――。今も現地に住み続ける日本人たちが語った、中国の現実、中国人の本音、そして日中関係の行方。
戦後最悪ともいわれる日中関係のなか、彼らはいったいどんなふうに中国を見てきたか。
駐在員からブロガー、建築家、NGO代表、研究者、日本語教師、俳優、起業家、寿司職人、医師、主婦、高校生まで。
マスメディアの報道だけで知ることのできない、108人の中国在住日本人の証言。ーー>在中日本人108人の「それでも私たちが中国に住む理由 」が8月30日に出版された。(=>本の案内はこちら

私は、この騒動の中、南京で一人生活していた。昼間は安全な事務所、(弊社は日系でない外資系で、日本人一人がいることは世間には余り知られていない)で、夜はセキュリティーが整ったアパートで、朝晩は、ドイツ系の車で送り迎えで、Door to Doorで外部には一切出ない生活をしていた。
(1974年8月15日に韓国でおきた文世光事件の後に、経験した在韓国日本人排斥運動中と似たような経験=日本人宿舎が暴徒に襲われたりした。私の宿舎は暴徒に襲われなかったが、危険があり、毎晩逃げ回っていた。)

外資系の会社上層部は、私が日本人で一人南京で働いていることを忘れていて、特に対応してくれてなかった。
過去の韓国での経験が役立った。一人でこれで良いと思われる行動で、対応していた。
まあー、一日の大半は安全と思われる会社の事務所にいることができたので、幸いだった。騒動中は、ずっと一緒にいた仲間が頼りだった。 
騒動が静まったの後は、馴染みの日本料理屋でおとなしく食事をしていた。

ある時、社長と話す機会があり、蘇州などの事件の例を説明し、「上記のように何とか生き延びてきたよ」と話すと、気づき、あわてて済まなかったと詫びていた。経験のない外国人には気が付かない事であろう。

私生活はあまり書いてないが、昨年のブルグを拾ってみよう:
2012年9月
9月11日、反日運動はどうなるか?
9月11日、反日運動はどうなるか? 18日はやばい
9月15日、ついに南京でも、反日デモ(ー_ー)!!
9月16日、激怒的鶏蛋 免費
9月17日、尖閣問題おさらい
9月18日、政府に踊らされて、デモに走る中国人
9月19日、恩を仇で返す中国人 大国として品格を失う
9月20日、日本料理店 客足は戻る?@南京
9月21日、日本料理店 客足は戻ってない@南京
9月22日、閑古鳥が鳴く日本料理屋 南京
9月23日、SHARPも燃やされる?
9月27日、尖閣諸島問題を理由に会社を去る中国人?
2012年10月
10月09日、錦織選手が万一の場合はどうしてくれる? 上海マスターズ
10月10日、やはり、ヤジはあった。でも、さらりとかわす錦織! 上海マスターズ
10月13日、中国就労ビザ 取得困難 !!
10月20日、中国就労ビザ延長は本当に困難か?
10月20日、丹羽大使、日本の危機感の低さを懸念!?
10月25日、中国就労ビザ延長 成功 万歳!!
10月29日、特別警戒? 異様な光景

正直、この最中は、ずっとは中国には住みたくないと思ったね。

南京の街のリノベーション その2

2013-09-01 | 建物・風景
先に書いた「南京の街のリノベーション」では第二大橋ー高速道路沿いの古い街並みの取り壊し、緑地化について記述しましたが、南京下関区の開発について、すこし、書いてみます。

南京下関は、南京の中でも、由緒ある古い街でした。
明の初代皇帝、朱元璋が、この地区の丘に、阅江楼(Yuejiang Lou)の建設を計画したが、資金難で断念。2001年9月にやっと完成。4大楼閣の一つとして売り出しています。
同じく、明の時代には「鄭和」がここから遠く南アフリカのケニアまで7回の大航海に出かています。
静海寺にて、アヘン戦争後の中英南京条约(1842年)締結。
1906年に上海―南京間の鉄道の終点の下関駅ができ、上海からの入り口の街として栄えた。
1914年に長江対岸にある、天津ー南京間の終点駅=北駅(浦口駅)ができ、フェリーを介して北からの入り口として栄えた。
1937年12月には南京大虐殺があった地としても有名。(=>下関の光景
1938年1月の写真が掲載されてます。(->ここ

2010年にVIDEOをYOUTUBEに上げてくれた方がいます。下関駅近辺の裏道路風景です。(=>中国・南京の街中を自転車でブラブラしてみた 南京市下関区周辺

私も5月にこのあたりを歩いてみました。(=>南京旧市街地探訪

上記探訪でも触れましたが、この街の開発が計画され、進んでいます。
下関開発計画左記の写真は開発後の姿です。





下関New_Old衛星写真で、過去の街並みと現在の街並みを比較してみましょう。
下駅近辺では、古い街並みがかなり取り壊され、空き地となってますね。上記のVIDEOで取られた街はもうないでしょうね。時間が取れれば、再度探報してみよう(ー_ー)!!
世茂濱江新城」近辺では、かなり建設がすすんでいますね。

目標は2014年8月のユースオリンピックですが、さてできるだろうか?
ちなみに、下関区は現在は鼓楼区に合併されてます。









上海宝山一冷庫でアンモニアが漏れ、15人死亡

2013-09-01 | 社会・風俗
上海市で31日午前、冷凍倉庫から液体アンモニアが漏れ出し、15人が死亡した。警察が原因を調べている。

現場は上海市北部の工業地帯。水産品の貿易、物流などを手掛ける企業の倉庫内でパイプから液体アンモニアが漏れたという。25人が負傷し、うち5人が重症という。

周辺にも異臭が漂った。多数の警察や消防の車両が出動し、付近の道路を封鎖して救助活動に当たった。

上海市トップの韓正・同市共産党委員会書記は、救援に全力を尽くすよう指示した。(=>中国新聞網

中国では工場の公害が社会問題になっており、市当局も神経をとがらせているとみられる。

日本人が被害に遭ったという情報はない模様。