目指せ!ゼロウエイストな暮らし

モノを減らして、ゼロウエイスト。田舎でイラスト描いて暮らしています。

息子と文弥人形

2011年01月27日 | 育児日記
息子が、重機のおもちゃや、うさぎのぬいぐるみと一緒に、文弥人形にはまっている。
去年は、春祭りがはじめる4月から、文弥上演が最も沢山上演される夏、イベントの多い秋口まで、
すごいときには毎週のように、文弥人形公演をはしごしたダンナ。

そして、それについていった息子。

ダンナのひざの上でちょこんと座って、文弥人形を食い入るように見つめ、
しまいには、一公演を最後まで「観劇」することができるようにまでなった。

時に掛け声もあげる。
「ぶんやにんぎょうだね~」とか、
人形が涙をふく演技の時は「ぶんやにんぎょう、はんかちだしたねえ~」とか

まあ2歳児なりの楽しみ方をした。

かつては、農閑期の冬の娯楽でもあった文弥人形だが、
今は観光客のための出し物になっているため、
冬期間の公演はほぼ皆無。


「文弥人形」無断転載禁止

仕事で文弥人形のイラストを描いていたら、
「ぶんやにんぎょうだ。ぶんやにんぎょう、見たい見たい」と言い出し、
さらには文弥人形の、かくかくした動きまで真似た踊りの真似事までしだした。


驚き。驚愕。
2歳児はそんなこともできるのか、と。

そういえば我が家で人形芝居の公演があった時、
文楽で三味線弾きをしていた方が
「こんな幼い頃から人形をみることができるなんて幸せですね。
昔の佐渡の人も、こんな幼い頃から見ていたのでしょうね」

としみじみ語っておられて、感動した。

確かに、この文弥人形というものは、テレビやラジオでは伝わらないものがある。
最高の人形遣いと、最高の語りとがあわさると、
そしてそれを地元の寺なり、道端に設置された舞台できくと、
魂をうばわれるほどの感動すら覚えることがある。
ライブでしか伝わらない、この佐渡の土地と一体になったような土臭い感動がある。



東京を頂点とするいわゆる現代文化を子どもの教育にと求めるならば、
枯渇しきっているかのように見える佐渡だが、

視点を変えてみれば、
何百年も続いてきた日本文化が「生きている」形で、佐渡には存在する。

その気になれば、その豊富な泉にどっぷり浸かることのできる(しかもタダで!)のは、
幸運以外の何者でもないだろう。

今の学校教育は、日本文化をきちんと学ぶことのできる授業は少ない。
(総合教育で期間限定で実施する学校もあるけれども、正規なカリキュラムとはいえないように感じるので、
このように書いてみました)

文弥人形を見て、そして覚えることで、
学校の授業で役に立つということは直接的な意味でいったら、
まずないだろうけれど、

なんというか、佐渡人としての誇りというかプライドというか、
そういう人間としての根っこの部分を、うっすらとでも与えてあげられるような気がした。


そして、それはこれから長いながい人生を生きる上での、
生きる力のようなものにもなるんじゃないか、と思えた。




・・・とはいえ、文弥人形の語りは全然できないダメ母。「ぶんやにんぎょう、うたって」と言われても
それは無理。少し勉強しなくちゃダメかしら・・・な1クリックを↓







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