去年の今頃書いた9条に関するブログと、それに寄せられたコメントがきっかけで、
きたる5月3日の憲法記念日は、自分なりに平和を考える、感謝をする、
そんな日にしたいな、できればそうしたいなあ、と思うようになりました。
といいつつ、じゃあ何をしようと考えると、
この2文字が示す意味合いはあんまりにもスケールがでかすぎて
どう向き合えばよいのか、どう感謝の意を表現すればいいのか難しいなあ、と
改めて思います。
そんな時に、三条市でナチュラルショップを経営している知人が
送ってくれたチラシに「憲法9条を変えさせない」という意見広告を
地元新聞に載せようというものがあったので、賛同金を振り込むことにしました。
掲載新聞は三条市の地元新聞・三条新聞。
賛同金は1家族1口500円と、とってもリーズナブル。
(皆さんの地域でも、小さくてもこんな活動をされている団体があるのではないかな)
でも、お金や封筒を準備しつつ、こんなことも思ったりしました。
「平和」「9条」という言葉がデカデカと描かれたこうした広告は、
使い古され垢にまみれた表現で、(どんなに大きな誌面をとったとしても)
この広告を読んだ人が真剣に平和を考えるかしらと。
世界の風が「戦争」にむかっている今、
「平和」は新たな形で表現されるべきなのではないかしら、と一表現者として
思ったりします。
以前、平和や9条について書いたブログによせられたコメントの中に
長崎出身の方が書かれたものがありました。
長崎では平和教育がとても熱心で、(それ故に)
他の地方の方との「平和」の認識の違いにギャップを感じます。
という内容のものが寄せられ、彼の地に非常に強い関心を持ちました。
どんな平和教育がなされているのだろう、と。
そしてそんな場所で発されるメッセージに強い関心を持ちました。
いつか、彼の地でそんなメッセージを発掘しに行きたいです。
9条は確かに立派。
でもそれを「誇れる」ものだと、その国に暮らす人が思えないなら、遠からず
淘汰されていくもの、だろうと思います。
そして、こうも思います。
ださくても、小さな声でも「平和」を口にだせる自分でありたいな、と。
きたる5月3日の憲法記念日は、自分なりに平和を考える、感謝をする、
そんな日にしたいな、できればそうしたいなあ、と思うようになりました。
といいつつ、じゃあ何をしようと考えると、
この2文字が示す意味合いはあんまりにもスケールがでかすぎて
どう向き合えばよいのか、どう感謝の意を表現すればいいのか難しいなあ、と
改めて思います。
そんな時に、三条市でナチュラルショップを経営している知人が
送ってくれたチラシに「憲法9条を変えさせない」という意見広告を
地元新聞に載せようというものがあったので、賛同金を振り込むことにしました。
掲載新聞は三条市の地元新聞・三条新聞。
賛同金は1家族1口500円と、とってもリーズナブル。
(皆さんの地域でも、小さくてもこんな活動をされている団体があるのではないかな)
でも、お金や封筒を準備しつつ、こんなことも思ったりしました。
「平和」「9条」という言葉がデカデカと描かれたこうした広告は、
使い古され垢にまみれた表現で、(どんなに大きな誌面をとったとしても)
この広告を読んだ人が真剣に平和を考えるかしらと。
世界の風が「戦争」にむかっている今、
「平和」は新たな形で表現されるべきなのではないかしら、と一表現者として
思ったりします。
以前、平和や9条について書いたブログによせられたコメントの中に
長崎出身の方が書かれたものがありました。
長崎では平和教育がとても熱心で、(それ故に)
他の地方の方との「平和」の認識の違いにギャップを感じます。
という内容のものが寄せられ、彼の地に非常に強い関心を持ちました。
どんな平和教育がなされているのだろう、と。
そしてそんな場所で発されるメッセージに強い関心を持ちました。
いつか、彼の地でそんなメッセージを発掘しに行きたいです。
9条は確かに立派。
でもそれを「誇れる」ものだと、その国に暮らす人が思えないなら、遠からず
淘汰されていくもの、だろうと思います。
そして、こうも思います。
ださくても、小さな声でも「平和」を口にだせる自分でありたいな、と。
長崎県内でも「原爆投下」についての認識は温度差がありますし、世代によってももちろん違いはあります。
しかし、8月9日のローカル番組は平和式典の中継があり、市内は11時2分にサイレンがなります。学校は登校日となり、炎天下のなか祈りをささげます。
特別なことではなく恒例となっても8月9日にこういう一日を過ごす意味は大きいと思っています。
核兵器廃絶を訴える高校生の署名活動は長崎から国連へ働きかけていますし、語りべの方がどんどん少なくなっているのは問題になっていますが、長崎が発信できることはまだまだ多いと考えます。
「長崎」が原爆投下の最後の地となってほしいと思います。
おっしゃるように「恒例」であってもこうしたことを継続して行うことの意味はとても大きいと思います。
そうしたことで、自然と培われていくものは多いと思います。(たとえ、その時は面倒とか思っていても)
誤解を恐れずに言えば、「原爆を落とされた」場所から発するものは、他のところよりもずっとずっと大きいと、だからこそ発してほしいし、そして私とか「被爆国」の人間はそれを支持する立場でメッセージを発したいです。
なんか長々と書いちゃいましたが、これからもどうぞよろしくです。
まったくもって少なく自分の子どもに関しても
残念に思うことも多いのです。
だから長崎や広島の子どもたち同士がふれあって
友情から平和を感じてもらいたいとも思います。
長崎の役割もまだまだ大きいと思いますが
私達も少しでも想いをうけとれる自分で
ありたいと思いました。
東京も大空襲があった場所だから、平和教育が盛んでもよいと思う一面もあります。
おっしゃるように「想いを受け取れる」っていう姿勢は大事ですよね。
そんな気持ちを持ち続けていたいと思います。
アメリカでは「ヒロシマ・デーを考える」という集会もあるとか。若者が平和を考えることが「かっこよい」ことになるといいなあ、と思います。