今回のお話はこちらのカレンダーの記事の続きです。
今回の小話は、11、12月のカレンダーのイラストについて。
文弥人形の画を描かせてもらいました。
文弥人形は、現在は11、12月に上演されることはほとんどないのですが、
本来の文弥人形という観点からみると、
もともと、娯楽らしい娯楽がなかった時代の農閑期、冬の時期に、
佐渡中にあった人形座が、佐渡中をまわって公演して回ったのだそうです。
その頃の映像を見たことがあるのですが、
足腰が立たないような高齢の方も、皆、文弥人形を見に「かけつけて」見に来ていた。
その様子が、すごい。
なんていうんでしょう、人が持つ「楽しいもの」を求める気持ちの原点を見たように思いました。
現代は、娯楽がありすぎて、困ってしまうくらいの時代ですが、
この時代の原点を、できることならば、味わってみたい、その片鱗を感じていたい、と思います。
ヒリヒリするような、娯楽への飢餓感
私の、創作の原点は、おそらく、その辺にもあるように思うし、
そこはなくしたくないな、と思うのです。
覚えておきたいな、と思うのです。
陳腐なものであっても、
もらうのでなく、創るほうで、
その部分を満足させたいと思っています。
今回の小話は、11、12月のカレンダーのイラストについて。
文弥人形の画を描かせてもらいました。
文弥人形は、現在は11、12月に上演されることはほとんどないのですが、
本来の文弥人形という観点からみると、
もともと、娯楽らしい娯楽がなかった時代の農閑期、冬の時期に、
佐渡中にあった人形座が、佐渡中をまわって公演して回ったのだそうです。
その頃の映像を見たことがあるのですが、
足腰が立たないような高齢の方も、皆、文弥人形を見に「かけつけて」見に来ていた。
その様子が、すごい。
なんていうんでしょう、人が持つ「楽しいもの」を求める気持ちの原点を見たように思いました。
現代は、娯楽がありすぎて、困ってしまうくらいの時代ですが、
この時代の原点を、できることならば、味わってみたい、その片鱗を感じていたい、と思います。
ヒリヒリするような、娯楽への飢餓感
私の、創作の原点は、おそらく、その辺にもあるように思うし、
そこはなくしたくないな、と思うのです。
覚えておきたいな、と思うのです。
陳腐なものであっても、
もらうのでなく、創るほうで、
その部分を満足させたいと思っています。
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