※スタンディングで大活躍した看板を日干ししました。秋晴れです。
戦争に向かう時代って、もっと激動だったり、もっと何かが変わったりするのかな、と思っていたのです。
でも、実際には(どこからどこまでを『実際』と言うべきなのかわかりにくいですが)
子ども達は学校へ行くことができ、日々ご飯を食べられています。
布団の上で眠ることもでき、スーパーには商品は陳列しています。
テレビでは普通にバラエティーがやっています。
戦争の一歩手前は、実は「普通の暮らし」なのだという事実を、
「小さいおうち」という中島京子氏の小説は語っています。
昭和初期から、次第に戦況が悪化していく日常を、幸せな家族風景を通して、描いている作品です。
幸せな暮らしの続きのように、太平洋戦争が始まります。
次第に次第に、戦争へと、気づかぬうちに、始まります。
それでも東京は物が溢れ、人も溢れ、贅沢をする喜びに溢れていて、
豊かになる日本を手放しで喜び、戦争なんて遠い世界だったのです。この小説の話は。
そして静かに思うのです。
戦争が今この瞬間、川の水の流れのように、音もなく、流れてきているという事実を。
法律は変えられました。
最初はどうしようもなく、怖かったのです。
そして今、少しずつその事実に慣れてきている自分もまた怖さを感じます。
法律が変わっても「なんだ、大丈夫じゃないか」という奇妙な安心感。
一方で、水面下で、起こっている戦争への波。
この安心感は、嘘に違いない。でも…
どうバランスをとればいいでしょう?
危機感をどう生活へとシフトしていけばいいでしょう?
静かに考え続けています。
教育機関では、安倍政権を批判する文具が配布されていることに対する「調査」が行われているそうです。
あの「アベ政権を許すな」の書を使ったクリアファイルが学生に配られているらしい、というので
それへの「調査」が行われているそうです。
これを、政府の介入、あるいはファシズム政権の一歩であるとするのは考え過ぎでしょうか?
この「調査報道」に対し、「怖い!」と感じ、
「こんなこと(文具所持)で何か言われるくらいなら、
現政権に『したがう』方向でいいんじゃないか」と、
非常にストレーとな物言いですが、そう思ってしまう人がいたとしても不思議ではないように思います。
次への一手、選挙での「no」の意志は、果たして成されるのだろうか、と不安に思います。
多方面からその活躍が期待されたシールズメンバー代表に殺害予告をされ、
別の女性メンバーへのネットでの卑猥な攻撃が後をたたないと言います。
彼女達の勇気ある行動が、こうした行動で歪んでしまったら、本当にもったいないことだと思います。
こうした行動をとってしまうのは、私たちが日本人だからでしょうか?
いえ、こうしたファシズムへの道に進みかけた国は、世界中にたくさんありました。
例えば、少し昔のフランスもまた、今の日本に似た状況になりました。
92年のフランス、極右の大物政治家ルペンがそうでした。
「心理学者フランク・パヴロフによる反ファシズムの寓話「茶色の朝」は、そのことに警告をならした寓話です。
ファシズムは、ある日突然やってくるのではなく、じわじわと侵食してくるものであると主張しています。
1冊1ユーロで売り出され、大ベストセラーとなり、
当時の極右候補が大統領になるのを防ぐことができたのだといいます。
当時、ルペンの極右思想に対してはヨーロッパ中が危惧の念を抱いていましたが、
その一方で、混沌とした社会の中でこの政治家はフランスの栄光を示してくれるカリスマ的魅力を放っていたのです。
む~ん、まさに今の日本のアベ首相のようですね。
カリスマ的魅力…は私にはまったく感じられませんが、
何が何でも再び経済大国に、そのために手段を厭わない、という強引さは、
その思想を同様に持つ人々にとっては魅力的にうつるのでしょうね。
ルペンは、実に10年もの年月をかけ、大統領候補にまでのしあがります。
2002年の大統領選挙でルペンは決選投票に踊り出るほど票を伸ばすのですが、
まさにその時期に、この「茶色の朝」は国民の間で広く読まれてベストセラーとなりました。
92年というほんのちょっと前であったこと。
フランスという日本人があこがれやすい国で起きたこの出来事は、
希望をもてる動きであり、歴史です。
フランス人が、「寓話」といういわゆる作り話に対し、
きちんと寓話扱いせずに、「答え」をだしたことにも、
同じ人間として、希望を持てるのです。
持たせてほしいのです。
戦争に向かう時代って、もっと激動だったり、もっと何かが変わったりするのかな、と思っていたのです。
でも、実際には(どこからどこまでを『実際』と言うべきなのかわかりにくいですが)
子ども達は学校へ行くことができ、日々ご飯を食べられています。
布団の上で眠ることもでき、スーパーには商品は陳列しています。
テレビでは普通にバラエティーがやっています。
戦争の一歩手前は、実は「普通の暮らし」なのだという事実を、
「小さいおうち」という中島京子氏の小説は語っています。
昭和初期から、次第に戦況が悪化していく日常を、幸せな家族風景を通して、描いている作品です。
幸せな暮らしの続きのように、太平洋戦争が始まります。
次第に次第に、戦争へと、気づかぬうちに、始まります。
それでも東京は物が溢れ、人も溢れ、贅沢をする喜びに溢れていて、
豊かになる日本を手放しで喜び、戦争なんて遠い世界だったのです。この小説の話は。
そして静かに思うのです。
戦争が今この瞬間、川の水の流れのように、音もなく、流れてきているという事実を。
法律は変えられました。
最初はどうしようもなく、怖かったのです。
そして今、少しずつその事実に慣れてきている自分もまた怖さを感じます。
法律が変わっても「なんだ、大丈夫じゃないか」という奇妙な安心感。
一方で、水面下で、起こっている戦争への波。
この安心感は、嘘に違いない。でも…
どうバランスをとればいいでしょう?
危機感をどう生活へとシフトしていけばいいでしょう?
静かに考え続けています。
教育機関では、安倍政権を批判する文具が配布されていることに対する「調査」が行われているそうです。
あの「アベ政権を許すな」の書を使ったクリアファイルが学生に配られているらしい、というので
それへの「調査」が行われているそうです。
これを、政府の介入、あるいはファシズム政権の一歩であるとするのは考え過ぎでしょうか?
この「調査報道」に対し、「怖い!」と感じ、
「こんなこと(文具所持)で何か言われるくらいなら、
現政権に『したがう』方向でいいんじゃないか」と、
非常にストレーとな物言いですが、そう思ってしまう人がいたとしても不思議ではないように思います。
次への一手、選挙での「no」の意志は、果たして成されるのだろうか、と不安に思います。
多方面からその活躍が期待されたシールズメンバー代表に殺害予告をされ、
別の女性メンバーへのネットでの卑猥な攻撃が後をたたないと言います。
彼女達の勇気ある行動が、こうした行動で歪んでしまったら、本当にもったいないことだと思います。
こうした行動をとってしまうのは、私たちが日本人だからでしょうか?
いえ、こうしたファシズムへの道に進みかけた国は、世界中にたくさんありました。
例えば、少し昔のフランスもまた、今の日本に似た状況になりました。
92年のフランス、極右の大物政治家ルペンがそうでした。
「心理学者フランク・パヴロフによる反ファシズムの寓話「茶色の朝」は、そのことに警告をならした寓話です。
ファシズムは、ある日突然やってくるのではなく、じわじわと侵食してくるものであると主張しています。
1冊1ユーロで売り出され、大ベストセラーとなり、
当時の極右候補が大統領になるのを防ぐことができたのだといいます。
当時、ルペンの極右思想に対してはヨーロッパ中が危惧の念を抱いていましたが、
その一方で、混沌とした社会の中でこの政治家はフランスの栄光を示してくれるカリスマ的魅力を放っていたのです。
む~ん、まさに今の日本のアベ首相のようですね。
カリスマ的魅力…は私にはまったく感じられませんが、
何が何でも再び経済大国に、そのために手段を厭わない、という強引さは、
その思想を同様に持つ人々にとっては魅力的にうつるのでしょうね。
ルペンは、実に10年もの年月をかけ、大統領候補にまでのしあがります。
2002年の大統領選挙でルペンは決選投票に踊り出るほど票を伸ばすのですが、
まさにその時期に、この「茶色の朝」は国民の間で広く読まれてベストセラーとなりました。
92年というほんのちょっと前であったこと。
フランスという日本人があこがれやすい国で起きたこの出来事は、
希望をもてる動きであり、歴史です。
フランス人が、「寓話」といういわゆる作り話に対し、
きちんと寓話扱いせずに、「答え」をだしたことにも、
同じ人間として、希望を持てるのです。
持たせてほしいのです。
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