能登半島地震からあっという間に10日以上の時間が流れました。
能登出身の私自身が何が出来るか?
被災した実家
被災した両親や兄弟
はたしてどこまで支援をすれば良いのか
この数日、私自身が体調を崩していたこともあり
現地の被災者やそのご家族、
関係者の方々の悲惨な現場のことを思うと心が痛みます。
そんな中で、ふと頭に浮かんだのが
芥川龍之介の蜘蛛の糸という小説の題名でした。
そこで生成AIに以下のプロンプトを投げかけ
中でも一番当を得ていたGoogleBardの回答をご紹介したいと思います。
ー私のプロンプトー
芥川龍之介の蜘蛛の糸の要約と作者のメッセージを1000文字程度にまとめてください。
また、この小説が今日の私たちの生活面でどの様に採り入れられれば良いかも500文字程度でまとめてください。
また、この小説が今日の私たちの生活面でどの様に採り入れられれば良いかも500文字程度でまとめてください。
ーGoogleBardの回答ー
あらすじ
ある日、極楽浄土の蓮池のほとりで散歩をしていたお釈迦様は、はるか下にある地獄の様子をのぞいた。すると、地獄の底にある血の池で、犍陀多(カンダタ)という男が他の罪人たちとともに苦しんでいる姿が見えた。犍陀多は、生前、殺人や放火など、多くの凶悪な罪を犯した大泥棒であった。しかし、そんな彼でも、かつて道ばたの小さな蜘蛛を踏み殺さずに助けてやったことがある。そのことを思い出したお釈迦様は、犍陀多を地獄から救ってやろうと考え、地獄に向かって蜘蛛の糸を垂らした。
血の池で溺れていた犍陀多が顔を上げると、一筋の銀色の糸がするすると垂れてきた。これで地獄から抜け出せると思った彼は、その蜘蛛の糸を掴んで一生懸命に上へ上へとのぼった。しかし、地獄と極楽との間にはとてつもない距離があり、のぼることに疲れた犍陀多は糸の途中にぶらさがって休憩していた。
すると、犍陀多の下から、まっ暗な血の池から這い上がり蜘蛛の糸にしがみついた何百、何千という罪人が、行列になって近づいてくるのが見えた。このままでは重みに耐えきれずに蜘蛛の糸が切れてしまうと考えた犍陀多は、「こら、罪人ども。 この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。 下りろ。 下りろ」と大声で叫んだ。
すると突然、蜘蛛の糸は犍陀多がいる部分でぷつりと切れてしまい、犍陀多は罪人たちといっしょに暗闇へと、まっさかさまに落ちていった。
作者のメッセージ
芥川龍之介は、この作品を通して、人間の罪と慈悲の両面を描き出した。犍陀多は、生前は多くの罪を犯した大泥棒であった。しかし、かつて道ばたの蜘蛛を助けたという、たった一つの善行によって、お釈迦様の慈悲の心を動かし、地獄から救われるチャンスを得た。
しかし、犍陀多は、そのチャンスを自ら手放してしまった。彼は、地獄から抜け出せるのは自分だけだと考え、他の罪人たちを押しのけて、独占しようとした。その傲慢な心が、蜘蛛の糸を切らし、犍陀多を地獄に引き戻す原因となった。
感想
この作品は、人間の罪と慈悲の両面を描くことで、人間の善悪の根源を探ろうとした作品である。また、犍陀多の傲慢な心が、自らを地獄に引き戻す原因となったことを描くことで、人間の心の闇を警告する作品でもある。
現代の生活に採り入れられるメッセージ
この作品は、現代の私たちの生活にも、いくつかのメッセージを与えてくれる。
まず、犍陀多の傲慢な心が、自らを地獄に引き戻す原因となったように、私たちも、傲慢な心を捨て、謙虚な心を持つことが大切である。
また、犍陀多は、たった一つの善行によって、地獄から救われるチャンスを得た。私たちも、日々の生活の中で、小さな善行を積み重ねていくことで、大きな幸せをつかむことができるかもしれない。
さらに、この作品は、人間の罪と慈悲の両面を描いている。私たちも、自分の中に潜む罪と慈悲の両面を見つめ直し、より良い人間になるために努力することが大切である。
具体的には、以下の点に注意するとよいだろう。
- 傲慢な心を捨て、謙虚な心を持つ
- 日々の生活の中で、小さな善行を積み重ねる
- 自分の中に潜む罪と慈悲の両面を見つめ直す
これらの点に注意しながら、犍陀多の悲劇を繰り返さないように、私たちも日々の生活を送っていきたい。
蜘蛛の糸の小説を読んだのは恐らく50年以上も前のことなので
なんとなく「小説の流れはそんなだったかな?」という感じですが
大きくは外れていないと思います。
ネット上で「強制移住」や「切り捨て」という言葉が飛び交うようになって
きっと、日本中の大部分の人が犍陀多の身であって
必死にもがいているのが能登の被災された方々にも感じます。
(決して能登にいる方々が悪人などと言っていないので誤解無きよう)
今週末(と言っても明日)、壊れた実家やその会社
できれば両親同様兄も金沢に連れて帰り
たった一泊かもしれませんが地震の揺れの無い所で寝かせてあげたい
お風呂に入れてあげたい、炊き立てのご飯を食べさせてあげたい
そんな気持ちでいっぱいです。
ただ、これが我が家が出来る精いっぱいで
自分自身が蜘蛛の糸の犍陀多に見えて仕方がありません。
被災家族を金沢に連れ帰るだけでも現地の復興には役立つのだと
自分自身に言い聞かせるしかないジレンマに陥っています。