Web-yoshy'sGarageへようこそ♪管理人のヨッシーです(^^)ニコ
10月の6・7・8日の3連休を利用し、
2012年の、
ロングツーリングのシメとして
"魚沼(新潟)・会津若松方面(福島)"を走ってきました♬
このツーリングが決められた経緯は
ρ(´ー`)コチラをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/yoshys-garage/e/daccbd4d3d80546bf9bc5d50b0f647f8
6日am4:30-
暖機運転をしていると…
外は"秋"を感じられる
"凛とした空気"に包まれていた。
この空気感を肌で感じ取りながら
オートバイを走らせることが好きだ♬
伊勢湾岸道から
中央自動車道⇒長野道を繋ぎ、
豊田飯山ICより
国道117号⇒国道353号で
"南魚沼"を目指す。OK!!( ̄▽ ̄)δ⌒☆
南魚沼方面へ向かっていると...。
橋の上に
"可愛いオブジェ"を見付け思わず撮影♬
新潟...を感じさせるオブジェから
ツーリングはスタートしてゆきます。
am10:30-こめ太郎さんに到着。
古民家を改装した
かま炊きめしや"こめ太郎"さんで
美味しい"お米(白飯)"をいただきます♪
到着時間を調整しながら
スローペースで走ってきましたが...、
開店時間よりも早く到着してしまったので、
お店の周りを撮影♬
am11:00-開店。
お店に入り
真っ先に目に飛込んでくるのは...
巨大な"福徳稲荷釜"と"囲炉裏"。
雰囲気最高♬
"南魚沼産コシヒカリ"の販売。
囲炉裏では"鮎"が塩焼きにされています。
"釜めし定食"と悩んだが、
"魚沼産コシヒカリ"の白飯を
食スという当初の目的を果す為、
"越後もち豚とんかつ定食"を注文♬
ぴか艶に輝く白飯は、
一口食べると...
"もちもち"とした食感の後に
"お米の持つ甘味"が口の中に広がる
最高の贅沢ダ♬
甘味のある"越後もち豚とんかつ"と
白飯を堪能したら...。
最後は"Simple is best"に
白飯に"笹川流れの塩"をふり掛け
"塩ご飯"をいただきます♬
なんやかんや言っても
白飯の最高の食べ方はこれですね(笑)
お百姓さんが
"八十八の手間"をかけて作るという
"米"は日本の宝。
大切に大切に食べさせていただきました。
お腹も満足したところで、
かま炊きこめや"こめ太郎"さんを後にし、
新潟豪雨被害より7月に復旧全面通行可能
となったばかりの国道252号(六十里越)で
少し走りを楽しみ向かったのは...。
柳津にある
"福満虚空蔵尊圓蔵寺"菊光堂。
『圓蔵寺菊光堂』
会津きっての名刹
福満虚空蔵菩薩圓蔵寺は、
1200年にもおよぶ歴史を誇り、
"日本三虚空蔵"のひとつが
菊光堂に祀られており、
今でも多くの参詣者を集めています。
圓蔵寺には
"赤べこ伝説""ウグイ伝説"
"あわまんじゅうの由来"など
数多くの伝説が残っています。
また、
"七日堂裸まいり""十三講まいり""稚児行列"などの
伝統行事が今も受け継がれています。
大同2年(807年)
法相宗徳一大師によって開創され、
御本尊日本三所之一福満虚空菩薩が
祀られている寺です。
"圓蔵寺"は嶮しい山寺で、
本堂までは長い階段を
上らなくてはいけません(汗)
また"圓蔵寺"は
日本で3ヶ所(千葉・茨城・柳津)の
"福満虚空菩薩"を御本尊としている
お寺と言うだけではなく、
会津地方のお土産の"赤べこ"の
由来となったことでも有名なお寺なのです♪
『赤べこ』
会津地方では牛のことを"べこ"と呼びます。
千二百年有余年ほど前、
会津柳津"圓蔵寺"建立の際に
木材運搬に使役された牛が、
嶮路のために数多く倒れました。
その内最後迄働き通したのが
"赤色の牛"であったと云い伝えられています。
その牛にあやかるように古来から、
"疫病除け"や"開運"を呼ぶ玩具として
親しまれてきた郷土玩具が
"赤べこ"なのです。
"赤べこ"の由来となった牛の石像を撫で、
そしてここ柳津の銘菓
"あわまんじゅう"を
"香月堂"さんでいただきました♬
『粟(あわ)饅頭』
-粟(あわ)まんじゅうの由来-
今からおよそ170年前、
日本三大虚空蔵尊の一つ
"福満虚空蔵尊"の
その界わいが大火災にあって、
当時の喝巌和尚が、
2度と災難に
"アワ"ないようにと饅頭をつくり、
信者一般に"御護符"として配ったものが以来、
柳津の名物となったと言われています。
自家製餡に拘る香月堂さんの
"粟(あわ)饅頭"は絶品でした♬
圓蔵寺参拝の後は、
蒸したて"熱々"の粟饅頭を
是非ご賞味下さい。
少々時間が押してきたので...
足早に"会津若松"まで急ぎます。((ヘ(*--)ノダッシュ
pm4:30-鶴ヶ城に到着。
『鶴ヶ城』
難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、
戊辰の戦役で
新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、
城は落ちなかった。
石垣だけを残して取り壊されたのは
明治7年のことである。
至徳元年(1384年)
葦名直盛がはじめて館を築き、
改修を経て天下の名城となった。
多くの方々の寄付により、
鶴ヶ城が蘇ったのは
昭和40年9月のことである。
平成23年春には、
幕末時代の瓦(赤瓦)をまとった
日本で唯一の天守閣となりました。
平成27年4月、
天守閣再建50周年を記念し
展示室が全面リニューアルされた。
会津"鶴ヶ城"に
閉城寸前に間に合いました。(´▽`)ホッ♪
この会津"鶴ヶ城"は、
土井晩翠が
"荒城の月"の詞を構想した城としても有名。
城の庭には"荒城の月碑"があります♬
ちなみに"荒城の月"の作曲者は
皆さんよくご存知の瀧廉太郎です。
さて...
鶴ヶ城の見所は、
取り壊しとなる以前の
赤瓦葺きの屋根瓦ではないでしょうか♬
日本では唯一の赤瓦のお城の
理由はご自分でお調べ下さい。
なるほど...
と思わせる理由がそこにはあります。
pm6:30-お宿に到着♪
今回は
民宿"えびすや"さんにお宿をとりました♬
ここはライダー歓迎のお宿で...
オートバイを専用の
ガレージ(屋根+シャッター付き)で
保管して下さるのでセキュリティ対策も万全。
玄関口には
"Y.E.S.S"や"H・A・R・T"の看板も
掲げられていますが...
"KAZE"の看板が無いのが残念...。
頑張れ!カワサキ・スズキ(笑)
お宿で翌日の準備をしていると...
出発時の週間天気予報によれば
この連休の3日間、
会津地方は"快晴"だったはずが…
何故か夜半より
しとしとと"雨"が降りだしました(汗)
天気予報を確認すると
翌7日(日)の降水確率は、
午前中50%午後30%とのことなので
行程を急遽組み直し就寝しました。
10月7日(日)
am7:00-お宿出発。
昨晩の内に
大きく行程を組み直し、
早朝朝駆けを予定していた
磐梯吾妻の"3大スカイライン"は
天候回復次第とし、
山形県は米沢へと向かうことにしました。
県道7号線より
国121号線に入り北上してゆくと…
行程変更が功を奏し
米沢方面の雲は薄くなり、
所々は青空が覗きだしました♬
am9:00-上杉神社に到着。
『上杉神社』
明治9年、
上杉謙信・上杉鷹山を祭神として、
米沢城本丸跡に建立。
明治35年に
別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ)に指定された。
※明治政府が定めた神社の位置づけ。
国に尽力した人物を祀る神社。
このとき祭神は謙信のみとなり、
鷹山は摂社に祀られ松岬神社となる。
大正8年に起こった米沢大火で類焼、
ほとんどの建物が焼け落ちてしまったが、
その後国からの援助金や
米沢市民の労働奉仕などにより、
大正12年に現在の神社が完成。
設計は米沢出身で
神社建築の第一人者"伊東忠太"博士。
上杉神社は
境内に上杉氏ゆかりの
文化財を多数収蔵する稽照殿が、
近くに米沢市上杉博物館がある。
上杉神社には、
私一押しの武将
"上杉謙信 公"が祀られています♬
境内には
NHKの大河ドラマ"天地人"で注目された
米沢藩初代藩主"上杉景勝"と
重臣"直江兼継"の銅像があるのですが、
この"天地人像"...
記念撮影の順番待ちができるほどの人気♬
私もその一人だったのですけどね(笑)
"景勝 公"と"兼継"の
立姿がなんと美しい銅像なのでしょう...
私が知る限りの"武将像"の中でも
清州城西側の清州公園に建つ
"織田信長像"と双璧をなすほど
素晴らしい銅像と感じました♬
『天地人像』
原型製作は
福島大学・人間発達文化学類教授であり
彫刻家の"新井浩"さん。
景勝と兼継の主従の強い絆や
上杉家に継承さえてきた
"義"と"愛"の精神を
後世に伝えてゆく為に建てられた。
米沢城の歴史は、
上杉謙信・上杉景勝と
直江兼継だけではありません。
実は"伊達正宗の生誕の地"でもあります。
境内には"伊達正宗生誕の碑があります♬
現在の米沢は
上杉の城下町というイメージが強いのですが、
長く(212年間)伊達家が米沢を
治めていたという歴史があります。
また、
学ぶべきは"上杉鷹山 公"で、
"鷹山 公"は米沢藩で反対勢力に押されながらも
大倹約令を実行し、
米沢の財政を立て直し発展の基礎を築いた人物。
華美な生活は一切せず、
質素倹約な生活を自ら行い
藩の手本として生涯続けた。
故に鷹山"公"と呼ばれるのが
米沢では一般的である。
上杉鷹山といっても思いあたることが無い方でも
"なせば成る、なさねば成らぬ、何事も、
成さぬは人のなさぬなりけり"
という言葉は知っているのではないでしょうか♬
この言葉は
"鷹山 公"のお言葉になります。
上杉や伊達の歴史に興味のある方は、
上杉神社に足を運ばれることをお薦めします。
さて、
米沢と言えば
まだまだ見所満載♬
上杉神社を後に向かったのは...
青竹の美しい"堂森善光寺"
『堂森善光寺』
-堂林善光寺縁起ー
善光寺阿弥陀堂の別当として建立され、
特に鎌倉時代には地域住民の信仰を集め、
室町時代・江戸時代の領主をはじめ
領民の阿弥陀信仰の拠点として栄えた。
境内の鐘楼堂には天保九年(1838年)七月に
鋳造された梵鐘があり、
その鐘銘に大同二年(807年)に
創建されたと刻してあることから、
寺歴不詳ながら平安時代以前に
開山されたとものと思われる。
中世期には大般若経の写経事業が盛んに行われ、
現在その一部が
山形市の立石寺(山寺)に残っている。
奥書には、
出羽国長井荘堂森常住物本聖仁光などの記載があり、
延文二年(1357年)に
住僧"聖仁光"が多くの僧の協力をえて
写経したことが知られている。
しかし
宝暦十三年(1763年)四月三日の火災で本堂を焼失、
明和二年(1765年)三月二十一日に
再建され阿弥陀信仰道場として栄えた。
また、
明治二十六年(1893年)に
再び本堂・庫裡等を焼失し、
明治二十八年(1895年)十二月九日に再建されたが、
この二度の火災によって全ての古い記録を失い、
現在では寺歴の詳細を知ることはできない。
現在は
境内に阿弥陀堂・本堂・霊牌堂・鐘楼堂・十王堂
子育て地蔵堂・仁王門・水子地蔵・前田慶次供養塔などが
建立されている。
尚、総本山は奈良県初瀬の長谷寺で、
真言宗豊山派に所属している。
"堂林善光寺"には
全国的にも珍しい後ろを振り返った
見返り"阿弥陀如来像"が祀られているのですが...
これを目的にし参拝される方も多いのでは
ないでしょうか...
隆慶一郎(本名:池田一郎)の小説
"一夢庵風流記"を原作とした
原哲夫の漫画"花の慶次"にり
広く知られる様になった戦国武将、
前田慶次供養塔があります♬
その時代...
前田慶次と直江兼継が
この寺で酒を酌み交したとされる。
この描写は"花の慶次"で
美しく描かれていますので、
興味のある方は是非お読み下さい♪
供養塔に手を合わせた後は
社務所へ足を運ぶと...
前田慶次関連のお土産が並んでいます。
その中に
ひときわ目につく、
如何にも戦国の傾寄者(かぶきもの)
前田慶次が好みそうな"陣羽織"の貸衣装(笑)
漫画"花の慶次"でも似たような
意匠の陣羽織を慶次が着ていました♪
"旅の恥は掻き捨て"
陣羽織を着込んで撮影開始デッス♬
引っ切り無しに訪れる観光者から
浴びせかけられる"好奇な目"をよそに
兜を"ヘルメット"に
騎馬を"鉄馬"に
現代に蘇る"傾寄武者"を気取ります(笑)
米沢の地にて
"傾寄御免"のマントを背負い
傾いて候♬
調子に乗り"堂森善光寺"で
傾寄者に興じ時間(とき)を忘れはしゃぎ
昼食の時間となっていました(汗)
am11:30-昼食。
昼食は米沢駅前にある
郷土料理"まるぶん"さんに
決めていました♬
ツーリングの昼食に
米沢牛の"牛鍋"をいただきました。
牛鍋に米沢牛の芋煮も付いて
贅沢な定食でした♬
お味は"語る必要もないほど"の
美味しさでした。
しかし...
"牛鍋"ダケで終わらせないのが
私の計画するツーリングなのです♬
米沢といえば...
2軒の"駅弁屋"さんが
激しく鎬を削っています。
米沢まで来て
これを食べないなんてことは、
いくらお腹がいっぱいであっても
許されることではありません...。
1軒目は...
松川弁当店さん。
明治32年5月の奥羽本線開通以来、
米沢駅と共に歩んできたお店になります。
折角ですので
特選米沢牛"牛めし弁当"を
選んでみました♬
2軒目は...
"新杵屋"さん。
創業大正十年、
"牛肉どまん中"など
多彩なお弁当を提供されています。
迷うこと無く看板商品である
"牛肉どまん中"を
選びました♬
購入した駅弁ですが…
流石に昼食に"米沢牛の牛鍋"を
食べた後には食べれませんので、
"晩御飯"としていただきました♬
これを見越して
お宿は"素泊まり"にしておいて
正解でした(笑)
駅弁という性質上、
お宿に持ち帰り温めて食べても
とても美味しくいただくことが出来ました♬
味は2者ともに"甲乙付け難し"でした。
pm1:30-宮坂考古館に到着。
食後に向かったのは...
『宮坂考古館』
故宮坂善助初代館長が
80余年の生涯をかけて蒐集した
約7百余点の貴重な資料を収蔵している。
その大部分は米沢・置賜地方の
考古、歴史、民俗資料である。
大別すると56領の甲冑をはじめ、
火縄銃、槍、屏風など
米沢藩関係の重要文化財が数多く含まれている。
館内は当然ですが
"撮影禁止"となりますので、
パンフレットを撮影しました♬
一番のお目当ては前田慶次所用の具足。
とても長い名前が付けられています。
"朱漆塗紫糸素懸威五枚胴具足南蛮笠式"
それにしても
流石は前田慶次
"傾ぶいた"具足だこと...。
日本各地の城や歴史館を巡ってきましたが、
これほど奇抜な具足は見たことがありません。
米沢で"歴史探訪"している内に
晴天とはいかないまでも、
走りを"楽しめる"位に
路面状況も回復してきたので...
無料開放中の"磐梯吾妻スカイライン"
"磐梯吾妻レークライン""磐梯山ゴールドライン"
を走破して猪苗代のお宿まで戻るのでした♪
丁度切りも良いので...
この辺りを
『がんばろう東北♪(前編)』
とさせて頂きましょう♬
急遽予定を変更し訪れた
山形県は米沢市。
歴史文化を満喫すること叶いました♪
上杉が守り築いた"米澤"に
"いざ 米澤へ参られよ!"
次回
『がんばろう東北♪(後編)』
をお楽しみに♬
では
Thanks for coming!
Web yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しをお待ちしております♪
【関連資料】
【こめ太郎】-かま炊きめしやー
【香月堂】-柳津銘菓"粟饅頭"店(食べログ)ー
【鶴ヶ城】-史跡若松城址 鶴ヶ城ー
【民宿えびすや】-猪苗代民宿えびすやHPー
【まるぶん】-米沢の牛鍋店HP(食べログ)ー
【松川弁当店】-米沢の駅弁屋さんー
【新杵屋】-米沢の駅弁屋さんー
【宮坂考古館】-公式HPー
いいなぁ、これ着てツーリング続けてほしかったなぁ (^д^)
ヨッシーさんのツーリングは食にしろ観光にしろ場所のチョイスが良いなーって思いますよ
せっかくだからその土地の物を感じたいですよね
いいなぁ、これ着てツーリング続けてほしかったなぁ (^д^)
>ヨッシーさんのツーリングは食にしろ観光にしろ場所のチョイスが良いなーって思いますよ
せっかくだからその土地の物を感じたいですよね
-----------------
こんにちは♪
米沢城下を鉄馬に跨り「傾寄御免」できたら
気持ちイイでしょうねぇー(笑)
そういえば以前に北海道に
「サムライダー」(武者ライダー)が出現してましたヾ(^▽^*おわはははっ!!
ツーリング計画お誉めいただきありがとうございます♪
テーマを決めてツーリングに出掛ける様にしています(^^)ニコ
同じ土地だとしてもその時のツーリングは一度きりの
「一期一会」だと思っていますので
しっかりと計画を練る様にしています。
しかし
予定でカッチカチの「旅」も面白くないので
現地入りしてから興味のあることに
「脱線」することにしているんですよ♪
「走り」も「文化(歴史/食)」も楽しみたいですからね☆^(o≧▽゜)oニパッ
一番気になったのが、
お宿の頭上にKAZEが掲げられていない事ですね(^_^;)
掲げてもらう様にお願いしてきたのん??
ま、無事帰還できてなによりでした。
あ、後半へつづくのね♪楽しみにしてます~
私は、週末は京都へ、ソロツーにイッテキマス。
しかも!!!泊りで!!!
今回は弾丸ではなく、フツーなツーリングです(-_-;)
な・ん・て・ネ♪♪♪
一番気になったのが、
お宿の頭上にKAZEが掲げられていない事ですね(^_^;)
掲げてもらう様にお願いしてきたのん??
ま、無事帰還できてなによりでした。
>あ、後半へつづくのね♪楽しみにしてます~
>私は、週末は京都へ、ソロツーにイッテキマス。
しかも!!!泊りで!!!
今回は弾丸ではなく、フツーなツーリングです(-_-;)
な・ん・て・ネ♪♪♪
-------------
こんばんは♪
楽しかったですよー♪
お宿が掲げたくてもKAZEって看板あんのかなぁー(^^ゞ
Kawasakiはこういうのに経費かけなさそうだから(笑)
全日本MX会場で応援旗の配布制限してんの
KawasakiだけだもんΣ(;;´□`)ノォィォィ
後半もオッ楽しみにー(*^^)v
週末は古都ですか♪
ひとり京都なんて「風流」ですな(^^)ニコ
弾丸はイケませんよヾ(^▽^*おわはははっ!!
紅葉前の静かな京都を楽しんで来て下さいね♪