ヨッシーの道楽趣向-別冊-【yoshy's Garage】

【Welcome to yoshy's Garage ♪】

【TOURINGー 2022年/岡山ツーリング♪ (前編)ー】

2022-11-13 | TOURING

Web-yoshy'sGarageへようこそ♪
管理人のヨッシーです。

ツーリングに出掛けること叶わぬ
夏の鬱憤と憂鬱を払拭すべく、
4週末連続で
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2を
ツーリングに駆り出ス♬


11月3日(木)pm21:30ー
出発は金曜日(平日)。
高速道路の深夜割りを利用するため
出発はam3:30ーの予定...。
仕事から帰宅し直ぐに、
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2に
ツーリングバッグを載せる。


2022年度最後の
ホッ...といっぷくーCOFFEE BREAK MEETINGー
の際に、
仲間より受け取った
静岡県浜松市のオートバイ神社
(大歳神社)の御守りを括る♪
...ありがとう友よ♬
※大歳神社
大歳神社が
ライダーたちのオアシス
「バイク神社」として有名になったのは、
バイク乗りでもある大歳神社の
権禰宜(ごんねぎ=神社における神職の名前)が、
ライダー向けのサポートをはじめたのがきっかけ。

以前から赴きたいと切願していた
赤の町(JapanRed)へと向かうため
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2の
エンジンに魂(火)を入れる♬
11月4日(金)am3:30ー
深秋の早朝は
冷え込む...。
伊勢湾岸自動車道==四日市JCT==
新名神高速道路(名古屋神戸線)==亀山西JCT==
土山SA(休憩&MachineCheck)
WaterTemp-83℃ upper~87℃ under
OilTemp-76℃ upper~83℃ under
...少し予想より気温が低いので、
ラヂエターに目張りを追加ス。
(オイルクーラーは全塞ぎ)
"TMRCarburetor"のセッティングは
アタリを引き快調♪
寒さなど忘れる程に、
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2を
走らせることが楽しくて仕方がない♬
TMRCarburetorアイドリング

土山SA==草津JCT==名神高速道路==高槻JCT==
新名神高速道路==宝塚北SA(給油)
宝塚北SA==三木JCT==山陽自動車道==
吉備SAに入り朝食休憩を取る♬


朝食はヘビー級だが、
岡山県名物"デミカツ"で
気合いを(基礎体温を上げる)入れる♬

今回は仲間に教わった
"冬期走行"時のアイテムを導入シタ♬
寒い時期の走行は、
ウエアのベルクロ(面ファスナー)を
深く閉じても袖口から冷気が入り込み
辛いことが多い...。
特に高速道路上に走り出てから
ベルクロの閉じ方が悪かった際には
最悪な思いをすることが多い。

そこで...
アームウォーマー(裏起毛付き)を
することで寒さを解消♬
100均で購入できるので
お手軽な対策ダ。
これならば袖口から冷気が
入り込むことはないし、
走行前に
ベルクロの閉め方に
いちいち気を遣う
必要もなくて良い♬

吉備SA==山陽自動車道==岡山JCT==
岡山自動車道(中国横断自動車道)==賀陽IC(降りる)
国道484号線==県道78号線==
国道313号線(ロマンチック街道313)==
国道180号線==県道85号線(高梁坂本線)に入り
ー吹屋ふるさと村-に到着♬
江戸から明治にかけて
鉱山の町として栄えた吹屋。
特に江戸末期からは、
ベンガラの国内随一の産地として
名を馳せた。
赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で
統一された見事な町並みは、
吹屋の長者達が後世に残した
文化遺産です。
ー観光パンフレットより

【吹屋の町並み】
(国指定重要伝統的建造物保存地区)
標高550mの山間に忽然と現れる町並みは、
近世以降、銅山として発展しさらに
良質なベンガラの製造で繁栄した。
しかし、
昭和40年代にはその産業の歴史に
幕が引かれた。
残った住民達はベンガラ豪商の町並みに
歴史的・文化的価値があることに気づき
昭和52(1977)年
全国8番目に国の重要伝統的建造物保存地区
に指定された。
ー観光パンフレットより




2022.10.29ー11.6まで
吹屋"花めぐり"が開催され
吹屋地区の随所に花が生けられていた♪

【旧片山邸】(本片山)
(国指定重要文化財)
宝歴9(1759)年の創業以来、
220年余りにわたり
ベンガラ製造と販売を手がけた老舗。
その家屋はベンガラ窯元としての
店構えを残す主屋とともに
ベンガラ製造に関わる附属屋が立並び
"近世ベンガラ商家"の典型として評価され、
平成18(2006)年に国の重要文化財に指定された。
ー観光パンフレットより


ー山田方谷の扁額(へんがく)
額には「松根舎」と書いてあり
方谷の印「山田球」が見える。
江戸時代、片山家はベンガラ製造販売などで
富を為した豪商で、
吹屋村や坂本村の庄屋も勤めていた。
備中松山藩は山田方谷の産業振興の一環で、
鉄山経営と銅山経営も行うため
吹屋の銅山を買収した。
方谷は、領内の庄屋との交流を頻繁に行い、
片山家にも赴いた。
こうした関係から、
この扁額を揮毫することがあったと想像できる。
この扁額は片山家に伝来したもののようで、
"松根舎"というのは
片山家のいずれかの建物が居室の
名称かと思われる。
扁額の前方にはベンガラの
製造工程が展示されていた。
※山田方谷(やまだほうこく)
ー小さな藩の偉大な聖人
幕末に備中松山藩(現在の岡山県高梁市)
に生まれた方谷は若い頃から学問に打ち込み、
その才により藩に学問の教授として取り立てられ、
後に藩政を担って破滅寸前の藩財政を
立て直すなどの功績を残した。
またその思想は
多くの同世代人に影響を与え、
備中聖人と呼ばれている。


ベンガラ商としての店構えを
そのままに残す母屋とともに、
製造工場とでも言うべき建築物が
八棟建ち並ぶ様が、
商いの大きさをそのままに伝えている。
屋敷は屋久杉などの銘木を使った
欄間やアンティーク溢れる照明器具など
町屋衆のお洒落感が随所に垣間見える。





奥座敷の
ベンガラで染められた
床柱と群青の壁が美しい♬

二階に続く階段は、
襖により"
隠し階段"となっていた...。

階段は狭く急勾配である。


二階書斎窓より
石州瓦屋根が美しく見える♬


母屋二階からさらに
隠し扉を隔てた場所に寝屋がある。

後継者居間

後継者居間の奥(屋根裏)に
当主夫妻の寝室がある...。
片山家のガイドさんに
豪商の当主が何故屋根裏で
寝ていたのかという理由を尋ねてみると、
江戸末期この地域の治安は乱れ
豪商であった片山家の家族は
"身の危険"を回避するために
隠し扉で隔てた部屋で
寝ていたとのこと。
今の時代の金持ちが
Securityに金をかける理由と
同じということか...。

母屋を出て、
弁柄(ベンガラ)蔵入れ場へ向かう。
ー入れ場とは
この蔵には、
弁柄工場を中心にして製造された
"板流し"という弁柄粉が運搬箱に入れられ
運び込まれていた。
弁柄粉を"篩(ふるい)分け"して選別し
銘柄・規格・品質・等級を決めたり、
用途別に調合するなどの選別作業が
おこなわれていた。
分別された弁柄は、
所定の弁柄箱に詰めて隣接する蔵へ
送り込まれた。


弁柄粉が染みつく為に
"赤着"という作業着なしでは
作業のできない作業場であった。


ベンガラの
規格や品質・等級を表す紙札は
木箱等に貼られ出荷された。

ベンガラを入れる紙袋。

出荷する木箱に
押される"印"の数々。



仕向地別の印字が
用意されていた様だ。
私の故郷である
名古屋地方向けの印字も見受けられた♬

出荷箱用印字型。
今で言う、
ステンシルの様なものでだろう。

ーベンガラ封印作業場の様子
袋詰めされたものを
"元結い"で締め封印をする。
封印された袋は
"荷詰め外箱"に入れられ
紙札を箱に貼り付けたのち
出荷される流れだ。

明治22年一年間のベンガラ出荷量は、
関東・関西・中部地方が中心で、
京都府や石川県とった社寺の多い地域にも
多く出しているのが分かる。
吹屋で製造されたベンガラは、
成羽(なりわ)より高瀬船で玉島港へ運び
海上輸送された。

弁柄販売における
賞状などが展示される。
ー国内勤業博覧会(三等有功賞受賞証書)
内国勤業博覧会は明治時代
日本で開催された博覧会である。
国内の産業発展を促進し、
魅力ある輸出品目育成を目的として、
東京(上野)で3回、京都・大阪で各1回の
計5回を政府主導で開催された。
※紅柄
ベンガラの最上級(特上)品は
"紅柄"とも呼ばれていた様だ。


ー胡(えびす)屋のポスター
胡屋(片山家の屋号)のポスターには、
片山家の工場、鉱山の様子などが
描かれている。



名古屋地方向けの
"見本品"が入れられた紙袋も
展示されていた。
商品の見本を送り、
契約に結びつける営業スタイルは
現代も同じだ。

ベンガラ販売には、
品質・単位や
販売方法(小口・大口・大口需要家賣)によって
協定価格が存在していた様だ。

旧片山家を後にし、
吹屋街道の"郷土資料館"へと向かう♬
【郷土資料館】
ベンガラ窯元片山浅治郎家の
総支配人片山嘉吉が分家され、
明治12年3月に完成された。
当時の模様が最も良く保存されているので
郷土資料館としている。
間口5間、奥行16間、
中級の商家の定形で、
店より通り庭で母屋の奥に
味噌蔵、米蔵を配し、
母屋の採光の為に中庭をとっている。
土台と柱はすべて栗の角材を使い、
緑敷居は桜の巨材を使う。



この家の特徴として、
木組みは巨材を使い細部は巧緻(こうち)
というほかなく、
座敷の書院まわりは、
生漆と弁柄で塗り上げ
飾り金具を用いている。
専門家も"これ程の良材と大工の手の
そろった家は世に少ない"
と感嘆している。
ー郷土資料館パンフレットより
※巧緻
たくみで細やかなこと。 巧妙で緻密なこと。
片山嘉吉が、
わざわざ石州の宮大工を呼び寄せ
5年の歳月をかけて明治12(1879)年に
完成させたこの家は、
片山家(本家)のガイドさんの話では、
出雲大社を造営した大工の
手によるものだとのことであった。

吹屋地区では、
岡田准一主演
映画"燃えよ剣"のロケも行われた♬

資料館二階には...

映画で使用された
"ふすま絵"も展示されていた♬

石州瓦葺屋根の美しい町並み
"吹屋街道"を散策しながら
次なる目的地へと向かう♬
ー高梁市吹屋伝統的建造物保存地区





【旧吹屋小学校】
(県指定重要文化財)
旧吹屋小学校校舎は、
明治33(1900)年に東西校舎、
続いて同42(1909)年本館が建築され、
平成24(2012)年の閉校まで
「現役最古の木造校舎」
として使用された。
ー観光パンフレットより

二階建ての本館を中央に東西校舎が
左右対称に配置され、
特に本館は下見板張りの外壁や
軒下の筋違いの表現が特徴的で、
小屋組にはトラス構造が採用されている。

本館の設計には、
国の重要文化財(建造物)に指定されている
"旧遷蕎尋常小学校"を設計した
※旧遷蕎尋常小学校は
2日目に紹介します♬
江川三郎八が担当しており、
明治時代を代表する
擬洋風の学校建築として評価され、
岡山県の重要文化財に指定される。


ー校長室
校長室はどこの小学校も
重厚な造りダ。


校舎一階奥(本館背面)には
三間廊下(間口17間、奥行3間)が広がる。
明治42(1909)年に建築された際には、
開放された土間の
"雨天体操場"として使用されていた。
三間廊下の上部は、
擬洋風建築の特徴である
三角形のトラス構造の骨組みが、
二階の講堂などを支えている。


階段をあがり
二階の教室へと向かう♬

子供達の声が
聞こえてきそうな状態で
時間(とき)が止っている。
...どこか懐かしい風景ダ♬


中央の部屋には
"学校"の備品が展示される。
ー音楽用備品の数々
アルトリコーダーや
ピアニカ(鍵盤ハーモニカ)。
打楽器の数々。
小学生の頃、
花形の部活動であった鼓笛隊を
思い出した。


ー理科の実験道具
天秤秤にバネ秤...。
乳鉢に乳房なんてものも。
音叉も展示してあった♬

天秤秤用のおもり(分銅)...。
小学生の頃に
素手で触れ酷く叱責された記憶甦る。
ま、
悪戯(わるさ)ばかりを繰り返し、
担任の教師に呼び出されることなど
なんとも思ってなかった悪童だったと
今更ながら反省ス(笑)
...でも学校は好きだったな♬

ー鯱鉾・鬼瓦・丸瓦
(吹屋小学校東西校舎の古瓦)
東西校舎に大棟に乗せられていた
鬼瓦と鯱鉾。
黒と赤茶に2分され、
両者は釉薬・土色だけでなく形状も異なることから、
他の建物から転用されたものとも考えられる。
鬼瓦には菊紋が施され、
大正4(1915)年に
小学校西側運動場の北辺に新築された
御真影奉安室(ごしんえいほうあんしつ)
第二次世界大戦以前に天皇・皇后の写真や
教育勅語を収納していた建物に
使用されていたものと考えられる。
※大正11年講堂内に移設し、その後解体。

本館から東校舎へ...
長い廊下が美しい♬

教室の黒板には、
チョークアートが描かれていた♬



木製の机越しの
黒板の風景が懐かしさを感ズ♬
いま思うととても機能性に
優れていることに気づく♬


東校舎の廊下窓より
本館とその向こう側の
西館(多目的室)を臨む...
美しい♬

私は木造校舎で学んだ経験はないが、
高校生の頃に
奥三河の廃校になった木造校舎で
"夏合宿"をした経験を思い返した。
旧吹屋小学校の木造校舎に...
懐かしい思い出と、
包み込まれる様な温もりを感ずる
良い体験となった♬
本館二階窓より
校庭の真っ赤に染まった
紅葉を撮ス。

吹屋地区の駐車場から
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2を取って戻り、
旧吹屋小学校と記念撮影♬
この校舎は、
平成27年から約7年間保存修理工事を行い、
令和4年4月21日にOpenしたばかりであった♬
校舎内には保存修理工事の様子も
パネルにて紹介されていたので、
興味のある方は一度足を運ばれると
良いでしょう。

吹屋の町並みより移動し
向かった先は...。
【ベンガラ館】
(近代文化遺産)
明治の頃のベンガラ工場が
当時の姿に復元されたもので、
ベンガラ景気に沸いたころの
吹屋の町の姿や製造工程などを
学ぶことのできる資料館となる。





今更ながら
"ベンガラ"とは...。
【ベンガラ】
ベンガラは、
天然の赤鉄鉱として採掘された鉱物を粉末にした
酸化鉄赤色顔料のことである。
日本ではインドの北東部
ベンガル地方産出の赤土が
近世に交易品として広まったことから
ベンガルが語源とされ、
酸化鉄赤色顔料のことを
日本ではベンガラと呼び
「弁柄」「紅柄」「紅殻」と表記する。

【ベンガラ製造工程】
(展示資料館の行程説明より)
工程1ー窯場(かまば)
硫化鉄鉱石から取り出した
原料のローハ(緑礬)をよく乾燥させ
ホーロク(土器皿)に少量盛る。
これを釜の中に二百枚前後積み重ね、
下から松薪を焚き1~2昼夜
七百度位の火力で焼くと、
赤く変化したベンガラ(弁柄)の基が
出来上がる。
これを"焼き"という。


行程2ー水洗い・碾臼(ひきうす)場
釜で焼いた"焼き"には、
不純物が多く混じっているため
段階式の水槽で不純物を取り除く。
工程1で出来た"焼き"を水槽に
入れ水を加えて攪拌し、
しばらく時間をおいた後に
段階式に設けた水槽に順次流し込み
水洗いする。
これを水簸(すいひ)と呼ぶ。
水簸が終わると水車を動力とした
石臼で碾(ひ)き粒子を細かく整える。
これを次の工程へと移動させる。




"焼き"をより細かい粒子状にするため、
この石臼には目立てが入れられていない。

碾いた焼きの粒子を均一化させるため
歯車の寸法には精密さが要求された。
随所に職人達の匠の技が活かされる。

この石臼の動力は、
江戸時代に人力から水車へと移行し、
明治期には電力駆動へと変わっていった。

工程3ー脱酸場
工程2で出来たものは酸性分が強いため
ここで酸を抜く作業を行う。
(あく抜きともいう)
工程2から送られてきたものを水槽に入れ、
清水をいれて攪拌する。
弁柄と水とは溶け合わないので
時間が経てば弁柄は沈殿し、
硫酸分を含んだ"うわ水"を捨て、
また清水を入れて同じ作業を数十回から
数百回繰り返し脱酸する。
こうして硫酸分のなくなった
泥状の弁柄を干板に流し、
干棚に並べて天日で乾かす。
乾燥した弁柄を鞭にて"たたき箱"に落とし
トンコ(製粉機)にかけて粒子を整え
製品の"吹屋弁柄"が完成する。


【笹畝坑道】
崩落補修工事のため
現在閉館中のため見学できず...。


【広兼邸】
(市指定重要文化財)
広兼邸は大野呂の庄屋で、
二代/元治が享和・文化の頃に
小泉銅山とローハ(ベンガラの原料)製造を営み
巨万の富を得て、
江戸時代後期に築いた屋敷。
(敷地は2,581平方メートル)
その石垣は山城(城郭)と見まがうばかりで、
数多くの映画ロケ地としても
知られている。
八つ墓村・つりバカ日誌・燃えよ剣等々...。






楼門上部には、
門番部屋(不寝番部屋)が
作られている。
如何に襲われることに対して
用心していたのかが窺える。


二階建ての母屋、土蔵3棟、楼門、長屋、
石垣は文化7(1810)年の建築で、
庭園には水琴窟が設けられている。
離れは大正の建築でお茶室・化粧部屋・
客間・風呂等を備えた座敷で、
当主の結婚式に一度使用しただけで
以降は使用されていない。
映画「八つ墓村」のロケが
昭和53年と平成8年の二度に渡りおこなわれ、
全国的に有名となった屋敷ダ。







庭園を挟み
離れ座敷へと向かう。


この奥座敷(離れ)が、
一度しか使われなかったとは
信じられないほどに贅沢ダ...。

広兼邸からの景観♪
この美しい景観も、
城郭風な建築を施したことから、
防御に適したこの地を選んでの
ことなのだろうと推測できる。
...巨万の富を得るというのも
苦労が付いてまわるものだ。

広兼邸の大きさの対比として、
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2
を駐車場から撮影♬

【西江家】
(国登録有形文化財)
古くは鎌倉時代以来の守護大名"三浦氏"を
祖にもつ西江家。
戦国乱世を生き延び、
江戸時代中頃、
六代目西江兵右衛門によって
「本山鉱山」が開発され、
「ローハ」そして弁柄の生産に成功する。
西江家のベンガラは
"赤の中の赤"と賞賛され、
他のベンガラが"弁柄"と記される中、
唯一"紅柄"と銘うたれるほどであった。

現存する建物の多くは江戸時代中期の建造。
格式を伝える屋敷構え。
楼門、中に入ると武家にしか許されない
"五間続きの部屋"など
往時の隆盛を伝える造りが随所に
残されている。
驚くことに西江家は、
四百年に渡ってなお
暮らしの舞台になっていることだ。
(現在も十八代目当主が住まう)
コロナの蔓延以降は完全予約制となり、
...残念ながら内覧は叶わず。

JapanRed...
吹屋地区大満足♬
国道180号線==国道313号線(ロマンチック街道313)
国道18号線と繋ぎ、
道の駅「久米の里」に立ち寄る。
この道の駅には...
"Zガンダム"が立っているノダ♬

【久米の里のZガンダム】
本機は、
久米市宮部下在住の中元正一氏が、
自ら設計図を描き独力で制作したもので、
機体は鋼製の内部骨格、
外装は繊維強化プラスチック製、
脚部は動かせる様に油圧シリンダー等が
組み込まれている。
コックピット内に人が乗り込み操作できる
二足歩行型有人汎用機械として、
約7年の製作期間を経て1999年12月に誕生した。
全高:7.0m 重量:2t 全幅:3.5m 乗員:1名
ー説明看板より





【機動戦士Zガンダム】
1979年に放映され一大ブームを巻き起こした
「機動戦士ガンダム」の
続編として制作された作品。
一作目のガンダムから
7年後の世界を描いた作品で、
総監督の富野由悠季氏をはじめとする
オリジナルスタッフに新進のスタッフを加え、
新たなる
ガンダム・サーガを描き出し話題を呼んだ。
作品に登場したZガンダムに
藤田一巳自身が、
さらに手を加えたものである。
ー説明看板より


お宿に愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2を止め、
シャワーを浴びたのち
津山グルメを堪能しに市街地へと赴く♪
出向いた土地の食文化(郷土料理)を
できる限り楽しむのも
私の旅ツーリングの流儀ダ♬
津山と言えば....
"肉ダロ♬"ってことで、
今宵は"とある"お店を予約してあるノダ♬
【津山の食文化】
津山では、
古くから山陰と山陽を結ぶ交通の要所であったため、
8世紀には農耕や輸送に用いるための
牛の市が開かれていた。
江戸時代には、
仏教の影響により肉食が禁止されていたが、
近江彦根藩(滋賀県)と当時、
津山を治めていた津山藩のみ
薬として食べる「養生食」として
肉食が認められていた。
「養生喰い」とは、
字の如く「健康のために食べる」「薬として食べる」
という意味であり、
明治12年に当時の陸軍がまとめた全国主要物産には、
東南条郡川崎村(現在の津山市川崎)の
牛肉として掲載されており、
津山の牛肉は全国的も有名であったそうだ。
その証拠に、
開国後外国人が多く日本に入ってくる中で、
神戸に慰留した外国人は
津山の養生喰いのおかげで
牛肉の入手に苦労しなかったと言われている。
(参考:岡山畜産史 津山朝日新聞)
ー食肉製造・販売(有)五大 HPより

今宵のお店は、
「ようこそ肉のまち津山へ!!」
...と食肉処津山を最大限にアピールした
ビルの1Fに店をかまえる
肉居酒屋の憩い屋
"颯花(そうか)"さんダ♬
因みにこのビルの名称は...
"津山肉ビル"と言うらしい(笑)



駆けつけの1杯は、
生中(Asahi"SuperDRY")でキマリ♪
冷えたビールが
メッチャ美味い♬

ママさんに
津山のオススメを
メニューより選んでいただく♬
ーそずり串
牛肉の骨の周りの肉を
そぎ落とした肉の"そずり"。
(津山の方言で肉を
そぎ落とすことを"そずる"と言いう)

ーホルモン串
説明の必要もない"ホルモン"
プルプルッで甘味が強い
良質なホルモン♪

ーねぎ焼き
肉物串以外にも、
野菜串やサラダなども充実している♬

生中(ナマチュー)も良いが
津山といえば...
"瓶チュー レモン"ダロ♪
...ということでにスイッチ。
これが肉に合うんだわぁ♬♬
【津山の"ソウルリカー"】
"瓶チュー レモン"の味わいの特長は、
強炭酸でレモンの酸味が穏やか。
そして、
“ほのかな甘みと深み”が感じられ、
ドライ過ぎず、酸っぱすぎない、
この絶妙な黄金バランスこそが、
"瓶チュー レモン"が津山市の飲食店で、
長年愛される理由。
また、
"瓶チュー レモン"の
“ほのかな甘みと深み”が、
津山市でよく食されている
牛ホルモンの旨みや、
ホルモンうどんのタレの甘辛い味わいと
絶妙にマッチする。
"瓶チュー レモン"の消費量は、
津山市が全国1位である。
ーPRITAIMS HPより

ーカッパロースト
おなか(バラ)の皮と脂身の間にある
薄い赤身の肉のことをカッパと呼び、
枝肉を吊り下げている状態で
赤い部分が「雨がっぱ」を
着ているようにみえるため
カッパと呼ばれる部位。

美人のママさんが営む
肉居酒屋の憩い屋
"颯花(そうか)"さんにて、
津山のソウルフードに舌鼓を打ち、
心地のよい夜風にあたりながら
お宿へと戻る♬
津山で"肉料理"で一杯やるなら
オススメのお店です♪
【吉井川のごんご(河童)伝説】
"ごんご"とは津山地方の方言でカッパのこと。
吉井川の覗き渕には
カッパが生息しているとの伝説が残り、
市内ではカッパのモニュメントや
"ごんご"の名前のついた通り、
バス、商品などに出会える。
ごんごに仮装した踊り連が通りを練り歩く
"ごんごまつり"は
夏の風物詩となっている。



お宿の頭上には
月が美しく輝いていた♬

美しいJapanRedの町並みに
懐かしさ漂う木造校舎♬
映画のロケ地を巡り、
美味い酒に、美味い料理を楽しむ♬
そしてなにより
愛車Kawasaki/ZRX1100ーC2
と戯れている時間(とき)は至福の時ダ♬
2022年岡山ツーリング♪(後編)へと続く...。

【関連資料】
【吹屋ふるさと村】ー岡山観光Web
【旧吹屋小学校】ー岡山観光Web
【広兼邸】ートラベルjp
【肉居酒屋の憩い屋 颯花】ー食べログ
【PRTIMES】ーHP

では
Thanks for coming!
Web-yoshy'sGarageは
ライダーの皆さんのお越しを
お待ちしております♪


ヨッシーは走ることで日本を応援しています。







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【ホッ...といっぷくーログ(4)♬】 | トップ | 【TOURINGー2022年/岡山ツーリ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

TOURING」カテゴリの最新記事