今日(6月8日)は、「大鳴門橋開通記念日」
1985(昭和60)年、鳴門海峡を跨いで四国と淡路島を繋ぐ大鳴門橋が開通した。
大鳴門橋は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(四国孫崎)間の鳴門海峡両端を結ぶ吊り橋である。
橋が出来るまで、四国の人は遠出をするときには、船を利用していたが、いつも瀬戸内海のご機嫌を伺いながら行動していた。速い流れ、そして、霧。時には、何人もの命を呑み込んだ海のご機嫌次第で、目の前の見える本州も遠いものであった。
その本州と明石と四国の鳴門を結ぶ2つの橋の1つである大鳴門橋の橋げたがドッキングしたのが、1984(昭和59)年であった。鳴門市と淡路島の南淡町(2005年1月11日合併により、南あわじ市となり今はない。)の鳴門海峡を跨ぐ橋長は1,629m。実際の開通は翌・1985(昭和60)年6月8日であった。それまで、大三島橋、因果島大橋などが出来ていたが、この大鳴門橋は四国の大地に初めてかかった橋である。
鳴門の渦潮を真下に、橋は上下2層式となっており、上部は片側2車線の自動車道、下部は将来的に鉄道 (四国新幹線)を通すことが出来る構造となっていた。本州四国連絡橋公団の設立されたのは、1970年(昭和45年)7月のこと 。 この橋の設計当時は、まだ鉄道輸送が重視され、ましてや、旧国鉄が分割民営化されるなど思いもよらなかった時代の頃。四国の人たちにとっては、四国と本州が繋がって、四国を新幹線が走るというのは、特に地元徳島県人の夢だったであろう。しかし、その後の明石海峡大橋が道路単独橋として建設されることが決定され、結局、明石海峡大橋は鉄道空間を設けることなく1998(平成10)年に開通した。そのため、神戸からの鉄道が大鳴門橋に通じる可能性はなくなってしまった。なお、紀淡海峡に鉄道を通し、和歌山から鳴門に至る鉄道について、大鳴門橋を活用しようとする模索は続けられているものの、徳島県では開通時期の目処が立たない鉄道に見切りをつけ、橋の鉄道空間に徳島県立渦の道を2000年(平成12)4月に開設。大鳴門橋の橋桁に設置された延長約450m・高さ約45mの遊歩道から、渦潮を見下ろすことができ、鳴門公園の新たな観光スポットとして人気を集めている。また、そこから徒歩5分の高台につくられた「大鳴門橋架橋記念館エディー」は、橋を見下ろす絶好のビューポイントだ。記念館内の「大鳴門橋を自転車で渡ろう」のコーナーでは、自転車のペダルをこいでいると、本当は渡れないが、前方の画面に映し出された景色を見ながら自転車で渦潮の上を渡っているような気分が味わえる。また、別のスクリーンでは迫力満点の渦潮が映し出され、見ているだけで、船酔いしそうだ。以下でパノラマ写真が楽しめるよ。
大鳴門橋架橋記念館「エディ」
http://www.360navi.com/photo/36tokusima/02naruto/02edy/10index.htm
私は橋のない頃、仕事で、よく鳴門へ行った。淡路の洲本にも仕事があったので、いつも鳴門から福良港まで船に乗ったが、最初船に乗った人が、距離はいくらもないのにすぐに横になってゴロゴロしているので、どうしたのかと不審に思っていたら、船の出る前に近くいたおばさんが貴方達も横になったが良いというので、同じ様に横になった。その理由は、すぐにわかった。渦潮の近くを通らなければならないが、小さな船なのでものすごく揺れるのである。座っていたら、船酔いをしてしまう。だから、土地の人は皆横になっていたのである。今では懐かしい思い出である。
しかし、淡路島ー鳴門間はフェリー航路(日本初のフェリー)が廃止され、この橋以外に渡航ルートが無く、歩行者、軽車両、原動機付自転車、小型自動二輪車、ミニカーで淡路島ー四国間を行き来することができない。西瀬戸自動車道同様に専用道路を設置してほしいという地元住民の声が多いものの設置予定自体が無く、モータリゼーション問題を象徴するような橋になっている。 とはいえ、今では、鳴門の渦潮と共にこの橋は徳島の代表的な建築物として県民から愛されていることには変わりがない。
本州と四国を結ぶための3ルートある本州四国連絡橋(本州四国連絡道路)の建設資金の大半は借入金によって賄われたが、かなり高額な通行料が災いして開通後の通行量が見込みを大幅に下回った結果、通行料金収入が不足し借入金の返済が思うように進まない財務状況となっており、公団の経営の健全化が急がれていた。2005(平成17)年9月30日日本道路公団等民営化関係法施行法により解散。業務は日本高速道路保有・債務返済機構ならびに本州四国連絡高速道路株式会社に引き継がれた。
今の経営状態がどうなのかは知らないが、明石へ行った時に、今はたこフェリーの名前で知られている明石淡路フェリー乗船場へ行ってみると、明石海峡大橋の割高な通行料を敬遠してこのフェリーを利用するトラック等が結構多い。明石海峡大橋を通行できない車両もこのフェリーを利用している。
(画像は、鳴門側から見た大鳴門橋。Wikipediaより)
大鳴門橋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%B4%E9%96%80%E6%A9%8B
【日本の写真集 デジタル楽しみ村】鳴門海峡の風景
http://www.ne.jp/asahi/to/apple/naruto/naruto.htm
ようこそ渦の道ホームページへ
http://www.uzunomichi.jp/
本州四国連絡橋公団 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B7%9E%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E9%80%A3%E7%B5%A1%E6%A9%8B%E5%85%AC%E5%9B%A3
明石淡路フェリー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC
明石淡路フェリー株式会社 -船の紹介-
http://www.taco-ferry.com/f_profile.html
1985(昭和60)年、鳴門海峡を跨いで四国と淡路島を繋ぐ大鳴門橋が開通した。
大鳴門橋は、兵庫県南あわじ市福良丙 (淡路島門崎)と徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦(四国孫崎)間の鳴門海峡両端を結ぶ吊り橋である。
橋が出来るまで、四国の人は遠出をするときには、船を利用していたが、いつも瀬戸内海のご機嫌を伺いながら行動していた。速い流れ、そして、霧。時には、何人もの命を呑み込んだ海のご機嫌次第で、目の前の見える本州も遠いものであった。
その本州と明石と四国の鳴門を結ぶ2つの橋の1つである大鳴門橋の橋げたがドッキングしたのが、1984(昭和59)年であった。鳴門市と淡路島の南淡町(2005年1月11日合併により、南あわじ市となり今はない。)の鳴門海峡を跨ぐ橋長は1,629m。実際の開通は翌・1985(昭和60)年6月8日であった。それまで、大三島橋、因果島大橋などが出来ていたが、この大鳴門橋は四国の大地に初めてかかった橋である。
鳴門の渦潮を真下に、橋は上下2層式となっており、上部は片側2車線の自動車道、下部は将来的に鉄道 (四国新幹線)を通すことが出来る構造となっていた。本州四国連絡橋公団の設立されたのは、1970年(昭和45年)7月のこと 。 この橋の設計当時は、まだ鉄道輸送が重視され、ましてや、旧国鉄が分割民営化されるなど思いもよらなかった時代の頃。四国の人たちにとっては、四国と本州が繋がって、四国を新幹線が走るというのは、特に地元徳島県人の夢だったであろう。しかし、その後の明石海峡大橋が道路単独橋として建設されることが決定され、結局、明石海峡大橋は鉄道空間を設けることなく1998(平成10)年に開通した。そのため、神戸からの鉄道が大鳴門橋に通じる可能性はなくなってしまった。なお、紀淡海峡に鉄道を通し、和歌山から鳴門に至る鉄道について、大鳴門橋を活用しようとする模索は続けられているものの、徳島県では開通時期の目処が立たない鉄道に見切りをつけ、橋の鉄道空間に徳島県立渦の道を2000年(平成12)4月に開設。大鳴門橋の橋桁に設置された延長約450m・高さ約45mの遊歩道から、渦潮を見下ろすことができ、鳴門公園の新たな観光スポットとして人気を集めている。また、そこから徒歩5分の高台につくられた「大鳴門橋架橋記念館エディー」は、橋を見下ろす絶好のビューポイントだ。記念館内の「大鳴門橋を自転車で渡ろう」のコーナーでは、自転車のペダルをこいでいると、本当は渡れないが、前方の画面に映し出された景色を見ながら自転車で渦潮の上を渡っているような気分が味わえる。また、別のスクリーンでは迫力満点の渦潮が映し出され、見ているだけで、船酔いしそうだ。以下でパノラマ写真が楽しめるよ。
大鳴門橋架橋記念館「エディ」
http://www.360navi.com/photo/36tokusima/02naruto/02edy/10index.htm
私は橋のない頃、仕事で、よく鳴門へ行った。淡路の洲本にも仕事があったので、いつも鳴門から福良港まで船に乗ったが、最初船に乗った人が、距離はいくらもないのにすぐに横になってゴロゴロしているので、どうしたのかと不審に思っていたら、船の出る前に近くいたおばさんが貴方達も横になったが良いというので、同じ様に横になった。その理由は、すぐにわかった。渦潮の近くを通らなければならないが、小さな船なのでものすごく揺れるのである。座っていたら、船酔いをしてしまう。だから、土地の人は皆横になっていたのである。今では懐かしい思い出である。
しかし、淡路島ー鳴門間はフェリー航路(日本初のフェリー)が廃止され、この橋以外に渡航ルートが無く、歩行者、軽車両、原動機付自転車、小型自動二輪車、ミニカーで淡路島ー四国間を行き来することができない。西瀬戸自動車道同様に専用道路を設置してほしいという地元住民の声が多いものの設置予定自体が無く、モータリゼーション問題を象徴するような橋になっている。 とはいえ、今では、鳴門の渦潮と共にこの橋は徳島の代表的な建築物として県民から愛されていることには変わりがない。
本州と四国を結ぶための3ルートある本州四国連絡橋(本州四国連絡道路)の建設資金の大半は借入金によって賄われたが、かなり高額な通行料が災いして開通後の通行量が見込みを大幅に下回った結果、通行料金収入が不足し借入金の返済が思うように進まない財務状況となっており、公団の経営の健全化が急がれていた。2005(平成17)年9月30日日本道路公団等民営化関係法施行法により解散。業務は日本高速道路保有・債務返済機構ならびに本州四国連絡高速道路株式会社に引き継がれた。
今の経営状態がどうなのかは知らないが、明石へ行った時に、今はたこフェリーの名前で知られている明石淡路フェリー乗船場へ行ってみると、明石海峡大橋の割高な通行料を敬遠してこのフェリーを利用するトラック等が結構多い。明石海峡大橋を通行できない車両もこのフェリーを利用している。
(画像は、鳴門側から見た大鳴門橋。Wikipediaより)
大鳴門橋 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B3%B4%E9%96%80%E6%A9%8B
【日本の写真集 デジタル楽しみ村】鳴門海峡の風景
http://www.ne.jp/asahi/to/apple/naruto/naruto.htm
ようこそ渦の道ホームページへ
http://www.uzunomichi.jp/
本州四国連絡橋公団 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B7%9E%E5%9B%9B%E5%9B%BD%E9%80%A3%E7%B5%A1%E6%A9%8B%E5%85%AC%E5%9B%A3
明石淡路フェリー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC
明石淡路フェリー株式会社 -船の紹介-
http://www.taco-ferry.com/f_profile.html