今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ベースボール記念日

2007-06-19 | 記念日
今日(6月19日)は「ベースボール記念日」
1846(弘化3)年の今日(6月19日)、3アウト・3ストライクなどの現行のベースボールの基本的なルールによる初めての試合がニューヨークで行われたことに由来する。このルールの考案者は、アレキサンダー・カートライト2世だといわれている。そして、日本にベースボールが伝わったのは、1871(明治4)年にお雇い外国人として来日し、第一番中学(現在の東京大学)で教鞭をとったホーレス・ウィルソン。そのときに生徒に教えたものが、その後野球として全国的に広まっていったといわれている。
日本の野球に関する記念日を見ると「野球の日」( 8月9日 )、「プロ野球の日」( 2月5日 )、「プロ野球誕生の日」「12月26日」、 「草野球の日」( 9月3日 )とあり、日本に野球が根付いていることがよく判る。アメリカでいうベースボールが日本で言う野球であるといわれている。しかし、同じルールで試合をしているアメリカのベースボールと日本に広まった野球は「似て非なるもの」とも言われている。それは、野球に対する考え方の違いであるが、そのことは、本日のテーマーではないので、以下参考に記載の〔「野球とベースボールと戦争」物語〕を見るとよく判ると思う。
アメリカの国技であり、アメリカの代表的スポーツである野球はすでに、1850(嘉永3)年ごろにはニューヨーク地方である種の流行を見るようになっていたようだ。そして、この流行の先駆的存在となったのがニッカーボッカーズ・クラブの成立であり、ナショナル・リーグの3代目会長となったA.G.ミルズは、1907(明治40)年の野球の発生に関する彼のレポートで、「我々のナショナル・ゲームである野球が、1845(弘化2)年にニューヨークで結成された『ニッカーボッカーズ・クラブ』と、そのクラブがあの年に公にした基本的ルールとをもって始まったということである」と述べており、その基本ルールと言うのが、A.カートライト編集の野球規則である。しかし、このような見解とは別に、野球の起源に関する学問的定説は諸説有り、いまだに明らかにされていないようである。
ただ明らかなことは、すでに19世紀初頭には、アメリカの少年達が野球に類するボールゲームを色々行っていた中に、イギリスの「ラウンダース」(クリケットを変型した球技)というゲームがあった。このゲームでは、ペッカーやフィーダーと呼ばれる投手が小石を詰めた靴下などのボールを投げ、ストライカーと呼ばれる打者がそれを船の艪などのバットで打ち返し、杭や石でできた4つのベースを回るというものだった。さらには「オールド・キャット・ゲーム」(Old-Cat Game)などというものもあった。こちらは、打者が棒で球を打ち、打球をノーバウンドまたはワンバウンドでキャッチした者が次の打者になる、というものだったそうだ。これらは少しずつルールを変えながら遊ばれた。この時期には既に、投手が打者にボールを投げ打者が打ち返す、フィールドに適当に散らばった野手がその打球をキャッチしそれを打者走者にぶつければ打者はアウトになる、4つの塁があり走者がこれを全て回ってホームに帰ってくれば得点が認められる、など現在の野球に似通った部分が多く認められるという。
また、1830年代には、ボストンでは大人のいくつかのチームによって、「タウンボール」と呼ばれるこの種のゲ一ムが楽しまれていた。そして、フィラデルフィアのオリンピック・クラブのように,クラブ内の対抗戦を楽しむところも現われたという。ただし、この時代にはまだルールは地方によってまちまちで、定まったものではなかったが、基本的にはラウンダースのルールに準じていたようだ。
1834(天保5)年には、アメリカで「THE BOOK OF SPORTS」と言う本(著者ロビン・カーバー)が発行され、ラウンダースが「ベースボール(Base ball)」として紹介されているという。
1840年代にニューヨーク・マンハッタンでボランティア消防団を創設したアレキサンダー・カートライトという男がいた。彼は団員の結束を強めさらに彼らの運動不足を解消するにはどうすればいいか考え、「屋外でのスポーツ」という結論に至った。そして、彼が、消防団からメンバーを募り「ニッカーボッカーズ」というスポーツ団を発足させたのが1842(天保13)年であった。ニッカーボッカーズは近隣のマレー・ヒルという地域でタウンボールをするようになったが、タウンボールはまだ、ルールが厳格に定められたスポーツではなかったため、時や場合によってルールをいちいち変える必要があり、この煩わしさを解消するために彼はニッカーボッカーズメンバーと議論し、意見をまとめ新しいゲームのルールを作り、団員らはクラブを設立することにしたという。これが今のベースボールの原型と言われている。そして、1846(弘化3)年の今日(6月19日)、マンハッタンの対岸に位置するニュージャージー州ホーボーケンにおいて最初のベースボールの試合が開催されたが、カートライト率いるニッカーボッカ-ズはニューヨーク・ナイン相手に1-23で負けてしまったそうだ。予期せぬ大敗に彼等のクラブは解散同然になり、そのショックから立ち直ったのは、1849(寛永2)年にレギュラー・チームを編成し、1851(嘉永4)年にニューヨークのワシントン野球クラブと対戦し勝利を収めたころだという。この頃、、クリケットで用いられていた白シャツと青ズボンおよびストローハットといったユニフォームを整えたという。1850年代になると各地にクラブが出来、1858(安政5)年3月10日に「全国野球人協会」が結成された。このときの加盟クラブは22だったそうだが、2年後には約2倍に達したとか。この頃はユニフォームを着用し、会員制を導入することにより、社交クラブのチームとしての側面が強かったようだが、やがて社交クラブとしてのベースボールも、各地で野球が盛んになると、優秀な選手をチームに残留させるために、アマチュア競技でありながらも、多額の契約金が秘密裏で選手に支払われるケースが出てきた。その最初の報酬をもらってプレーした選手は、ジミー・クレイトン(Jimmy Cleiton)だそうで、1860(安政7)年に、ブルックリン・エクセルシアーズから報酬を受け取っているそうであり、彼が最初のプロ野球選手といわれる。そして、1862(文久元)年にホームランを放った際に内臓に出血を起こし、2日後に21歳で死亡したのだとか。しかし、この当時は選手が報酬をもらうことは許されていなかったので、彼を史上第一号のプロ野球選手とすることはできないとする考え方もあるという。
ルールの変遷を見るとこの当時の「試合進行について」は、 当初は21点先取制だったが、あまりにも時間がかかりすぎるために、1857(安政4)年に「9回終了時に得点が多かったチームの勝ち」になった。そして、「投球についてのルール」では、この当時は、投手には下手投げしか認められておらず、打者は投手にコースの指定ができたという。そして、1858(安政5)年、見逃しに「ストライク」(打て)のコールがされるようになったそうだ。 要するに、打つことが優先で、打者が打ちやすいように様に投げたのだ。このような時代に、1862(文久元)年の試合では、球に手首でスピンをかけ、打ちにくくしたことでセンセーションを巻き起こしたのだとか。それでだろう、1863(文久2)年には、真ん中付近を通らない球に「ボール」のコールがされるようになている。
そして、チーム全員が報酬を受け取ってする野球チーム、つまりプロ野球チームは、1869(明治元)年に誕生した「シンシナティー・レッドストッキングス(現レッズ)」だそうである。そして1871(明治4)年には最初のプロ野球リーグである全米プロ野球選手協会が結成された。アメリカの本格的なプロ野球(ベースボール)の始まりである。
(画像は、メジャーリーグの試合光景:イチロー対石井一久。ここをクリックすりと大きな画像で見れます。 Wikipediaより)
参考:
野球 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%90%83
スポーツ文化史料情報館
http://www.eonet.ne.jp/~otagiri/index.html
「野球とベースボールと戦争」物語
http://www.f6.dion.ne.jp/~yasujima/NewFiles/yakyu.html
アルフォンソパーク
http://alfonsopark.hp.infoseek.co.jp/index.html
玉木正之のこどもスポーツ研究所
http://www.spopara.com/magazine/tamaki/main.html
19世紀の野球興行
http://alfonsopark.hp.infoseek.co.jp/leagues.html
殉球者列伝
http://f55.aaa.livedoor.jp/~amaxanou/junkyu.htm
OCNスポーツ ESPA:I LOVE BASEBALL:記録と記憶
http://www.ocn.ne.jp/sports/espa/lovebaseball/memory/index.html